ナイトメア
 第二話 最後の十字架 4





 鋭い剣戟を背後に聞きながら、リーシャは足元の石畳を蹴って横手へ飛び、飛来したいくつもの光の針に空を切らせた。
 そのまま右手をついて細身の体を一転させ、跳ね起きながら指に絡めた鎖を一閃する。それは極細の銀糸となって展開し、彼を追って打ち込まれた針を空中で捉えて、音もなく掻き消して見せた。
「うっわーすっげぇっ! きれいだね、その武器!! ただの鎖にしか見えないのに、さっきもルカの手に傷つけたしさっ!!」
 カイリは夜空色の目を輝かせて手を叩くと、子供らしい動作で右腕を大きく振るった。それに合わせて無数の針が生まれ、ヴゥン…と虫がはばたくような音を立てて天井へ舞い上がる。
 リーシャは嫌そうに淡麗な眉を寄せた。カイリが操る針は、物体というよりも高熱と殺傷能力を帯びた光の塊だ。穴を穿たれた床がわずかに溶けているのだから、その高温は想像するまでもない。前衛として極限まで体を強化したレギアはともかく、リーシャが受ければただではすまないだろう。
「でも、逃げてばっかりじゃあ俺の勝ちになっちゃうよっ、兄ちゃん! そんな武器だけじゃダメだって、早く『同調』した方がいいんじゃないの?」
「うるさいガキだな。そっちこそ、そんなに景気よく攻撃しまくってていいのか?」
 銀色の鎖に指を滑らせながら、リーシャは嘲るように唇の端を持ち上げた。
「お前は、おれたちを『殺す』わけにはいかないんじゃないのか、カイリ?」
「―――――兄ちゃんって嫌味!! その『何でもお見通しです』っていう顔、やめた方がいいって! 絶対嫌われるよ!!」
「願ったり叶ったりだ。お前らのような頭の軽い人種に愛されたりしたら、おれは世を儚んで世界を滅ぼす」
 頬を膨らませて叫ぶ少年に、リーシャは嘲笑を浮かべたままであっさりと言い捨てた。ふざけたやり取りの中でも隙は見せず、鎖を引き寄せながら大きく背後へ跳びすさる。カイリが腕を振り下ろす動作に合わせて、高く舞い上がっていた針が一斉に襲いかかってきたのだ。
 皹だらけの床を何度か蹴りつけ、時間差をつけて打ち込まれる針を舞うようにかわしながら、リーシャはすばやく鎖の中ほどに指を絡めた。ただでさえ細かった鎖がほどけ、何本もの煌く糸となって空へ走った。傍目には銀色の薄紗が翻り、それに衝突した針が音もなく消し飛んだようにしか見えないだろう。
 大きく目を見張ったカイリへ、まるで意志あるもののように細い銀の光が飛んだ。だがそれは少年の体に届くことなく、半球形に広がった光の膜に阻まれて火花を散らした。
「結界か、つくづく甘やかされるな、お前は」
 短く舌打ちの音を響かせると、リーシャは後ろへ飛んでいた勢いのままに体をひねり、片足を軸にして真横へ飛びのいた。一瞬の差で光の針が走りぬけ、逃げ遅れた白金色の髪が宙に舞う。
 眉を寄せながら半ばほどでへし折れた柱に背をつくと、足元を蹴ると同時に手を断面部分に引っかけて、そこを支点に体を跳ね上げた。いかに後衛といえど、この程度の体術がこなせなければ『虚構の眷族』とは戦えない。リーシャの体が空へ投げ出されるとほぼ同時に、光で形作られた針が柱を抉り取り、細かな石の破片が周囲へ飛び散った。
 針はそのまま背後の壁に突き立ち、その上にさらに重なるようにして打ち込まれ、形のいびつな階段のようなものを作った。カイリは身軽に地を蹴ってそれを踏みつけると、着地したリーシャと入れかわるように高く飛び上がる。
 どういう原理なのか、カイリの靴裏は光を突き抜けてしまうことはなく、しっかりとその輝きを踏みしめて見せたのだ。
「いっくよ!!」
 明るいかけ声と共に、カイリは金属の装甲で覆われた腕を振り上げた。先ほどの比ではない数の針が生まれ、それが豪雨となってリーシャの頭上に降り注ぐ。
 体勢を崩したままだったリーシャは、横に飛ぶようにして体を二転、三転させるが、とうていすべての数をかわしきれるものではない。腕や肩、頬、足に針の切っ先が掠め、脳裏に弾ける灼熱と痛みに細い眉が寄った。それでも何とか針の雨を抜けると、リーシャは強い光の凝りに気づいて顔をしかめた。
「兄ちゃんすっげーな、今ので終わりかと思ったのに避けられちゃったよ!! じゃあ次はこれねっ!!」
 壁に打ち込まれた光の針に着地しながら、カイリは右腕を元気よく振るい、虚空から巨大な光の塊を呼び出して見せた。針のように細く分散させることなく、一箇所に集中させた熱と力の塊だ。
 小さく見開かれた紫銀の瞳の先で、少年が飛び降りる勢いに合わせて右腕を振り下ろす。白皙の美貌が光に照らし出され、一瞬の間を挟んで轟音が響き渡った。
「当たりっ…………って、ヤバッ!! ひょっとして死んじゃった!? どーしよっ、手加減するの忘れて……っ」
 軽い音と共に地面に降り立ったカイリは、そこで言葉を切って瞳を見張った。光の直撃を受けた石畳は大きくひしゃげ、高熱の存在を示すように物騒な蒸気を上げていたが、そこには人間の死体も服の切れ端も転がってはいなかったのだ。
 慌てて視線をめぐらせたカイリは、ありえない方向から強い空間の『歪み』を感じ、弾かれたように顔を上げた。相次ぐ攻撃で大きく破壊され、すでにその役目を果たさずに風雨の侵入を許してしまっている、天井付近へ。
「……………っ!」
 吹き注ぐ雨を切り取るようにして、優美な影が何もない空間から滑り出てきた。空間と空間を無理やり繋げ、一瞬で移動を可能にする『転移』の応用だ。
 そのまま自然落下を利用して距離を詰めたリーシャが、着地と同時に鎖から短剣を引きちぎった。反射的に逃げようとした少年の襟元を掴み、強引に引き寄せながら刃を閃かせる。澄んだ金属音を立てて、装甲に覆われた少年の右腕に鋭い亀裂が走った。
「あっ…………」
 夜空色の瞳が揺れ、次いで衝撃に大きく見開かれた。一拍遅れて悲痛な絶叫が響き、カイリは腕を抱え込むようにしてその場に転がる。眷族の力を使いこなせている、とは言っても、実際はまだ年端もいかない子供なのだ。経験したことのない痛みにうずくまるカイリに、リーシャはひどく酷薄な動作で瞳を細めて見せた。
 そのまま手元に鎖を引き寄せ、虚空を薙ぎ払うようにして腕を一閃させる。一片のためらいもなく、少年の細い首を狙って。
 雨が吹き込み始めた礼拝堂に、銀色の輝きが鋭く走った。


 振り下ろされた長槍をシェルダで受け止め、迫ってくる穂先を押し返そうとレギアが腕に力を込めた、まさにその瞬間のことだった。
「――――――カイリッ!!」
 激しい焦燥を込めた声が響き、アルカイドが槍を引いてその場から飛びのいたのだ。それがどれだけ愚かしい行為か、戦いに身を置く者ならば知らないはずがない。
 あっさりと力の均衡は破られ、シェルダの切っ先がアルカイドの肩を深く切り裂いた。闇色の蒸気が勢いよく噴きあがったが、彼はそれにさえ気づかない様子で自身を『粒子』に分解し、瞬きする間に主との距離を無へと変えてのけた。
 アルカイドの腕がカイリの体を抱え込んだのと、その肩から背にかけてざっくりと裂傷が走ったのは、ほぼ同時だった。
「レギア!!」
 間髪いれずにリーシャが叫び、その意図に気づいたレギアが石畳の床を蹴った。崩れ落ちるアルカイドの首元へ、寸分の狂いもなく大剣の切っ先が突きつけられる。アルカイドが何か行動を起こせば、その瞬間にでも彼の首を切断できる位置へ。
 見開かれた深紅の双眸に激しい怒りが閃いたが、やがて諦めたように強い光を薄れさせた。
「ルカ………ルカッ!!」
 カイリが泣き出しそうな声を上げて、自分を抱えるアルカイドの体に取りすがった。右腕を覆っていた金属が肌の上を滑り、少しずつ収縮しながら虚空へと消えていく。『同調』が解けたのだ。
 リーシャの短剣が傷つけたのは金属の装甲だけで、少年の右腕に傷は残っていない。『同調』を解いたことによって痛みも消えたのか、あるいはそんなことにも頭が回らないほど狼狽しているのか、カイリは必死になってアルカイドの体を揺さぶった。夜空色の瞳にはいっぱいに涙が溜まっている。
 アルカイドはそんな主の様子に苦笑すると、無事な方の手を伸ばして焦茶色の髪を撫でた。
「だーいじょうぶだって、致命傷にはなってないからそんな顔するんじゃないの、カイリ。………っと、でもごめん、これって完全に俺の負け? 負けだよなぁ、やっぱ」
 薄く苦笑を浮かべたまま、アルカイドは首筋に突きつけられた刃に視線を落とし、顎をそらすようにしながら片手を上げて見せた。降参、という小さな呟きがやけに軽く響く。それを確認してシェルダを引きつつ、レギアは呆れたような眼差しを相棒へ向けた。
「完璧だな、リィ。ちょっとありえないほど完全無欠な悪役っぷりだ。っつーかやめとけ、力いっぱい人格とかその辺のものを疑われるからやめとけ」
「うるさい黙れ。おれが一番嫌いなのは無駄な労力を使うことだ。虚構の眷族が主を見捨てることなんて、天地が引っくり返っても絶対にありえないからな。殺すつもりでいけば必ず庇うだろうと思ったが………」
 頬に滲む血を乱暴に拭い、リーシャはことさらひややかに笑って見せた。
「予想通りだったな。平和的に勝利できて何よりだろう、レギア?」
「やっべー、何でこんな人格破綻のクソ鬼畜がオレの相棒なのか、真剣に自分の過去を洗い直したくなってきた。………しかもお前、アイツが庇わなかったらあのガキ殺す気だったな? まあいいか、とかそんくらい軽く考えてたな?」
「人聞きの悪いことを言うな、いくらなんでもこんなガキまで殺すか。まあ、クソ生意気な上にこのおれに喧嘩を売った腐れ馬鹿の一人や二人、死んだところで別に胸は痛まないけどな」
 冷たく細められた紫銀の瞳に、カイリはぎょっとしてアルカイドの巨躯の影に隠れた。くすくすと笑い声を響かせながら膝を折り、リーシャは座り込んだままのアルカイドとカイリに視線を合わせる。その細い指はしっかりと短剣を握っていた。
「で、おれたちを襲うように頼んだのは誰だ?」
 その短い問いかけに、アルカイドは小さく深紅の双眸を見張った。傷の痛みに顔をしかめながらも、何とか体をひねってリーシャに向き直る。背にカイリを庇うことだけは忘れずに、その場にどっしりと胡坐をかいて座り込んだ。
「――――よくわかったねぇ、 綺麗なお兄さん。でも何で? 俺たちがただの盗賊で、金目当てに襲ったっつー可能性の方が普通に高くない?」
「ほざくな。どこの世界に、知ってて『刻印の保持者』を襲う物好きな盗賊がいるんだ? 普通の旅人を襲った方がずっと楽だろうが。保持者のことを知らない馬鹿にはよく襲われるが、お前たちに限ってそれはありえないだろう。本人が刻印の保持者なんだからな」
「……………仰るとおりで」
 切って捨てるようなリーシャの声に、アルカイドは巨大な体躯を縮めて頷いた。背後でレギアが物言いたげに眉を上げたが、リーシャは気づかなかったことにして言葉を続ける。
「こっちにも色々と心当たりがありすぎるからな。ということで、さっさと答えてもらおうか?」
「………つっても、俺らもよく知ってるわけじゃないし。この前………二、三日前だったかな? ここに『男爵』様が来て、カイリに主の伝言だか何だかを伝えていったんだよ。なあカイリ?」
 アルカイドの言葉に答えて、少年がそろそろと顔を出した。
「うん。何だっけな、確か、『もうすぐグランデュエルの討伐者が通るはずだから、捕まえて欲しい』って。ルカより階級が上の眷族だったし、何か主持ちっぽかったし、強そうだから言うこと聞いておいた方がいいかなーって。ほら、俺って盗賊みたいなことやってるし………」
「みたいなこと、じゃなくて盗賊だろーが。で、そこにオレらがノコノコやって来たっつーわけか?」
 横合いからレギアが口を挟んだ。リーシャはほっそりとした手を顎に当て、何かを考えるように紫がかった銀の瞳を伏せている。すぐに答えが見つかったのか、はき捨てるようにして低く呟いた。
「『盾』の公国か。また厄介なところが」
「ラジステルか? 何だよ、オレらあそこに睨まれるようなこと何かやったか?」
「おれたちが何もしてなくても、あそこの王は策謀好きでいらっしゃりやがるからな。また何か、グランデュエルの方にちょっかいでも出すつもりなのか、国内で何か問題でも持ち上がったのか。―――――大体な、お前らも妙な依頼を受けるな。はっきり言ってすさまじく迷惑な上に不愉快だ」
「ごめんなさい………」
 じろりとリーシャに睨みつけられ、カイリは夜空色の瞳を伏せて悄然とうなだれた。慌てたようにアルカイドが間に割り込み、必死になって主を庇う。
「いや、カイリは悪くないって! 面白そうだからやろうってそそのかしたの俺だし! 怒るなら俺の方を………っ」
「あ?」
 途端にリーシャの瞳が険しさを増し、アルカイドは主を庇ったままでその場から飛びすさった。傷の痛みに大きく顔を歪めたが、それでも声を上げなかったのは『騎士』としての矜持だろう。リーシャはそれを見てにこりと笑うと、立ち上がりながら背後のレギアを振り返った。
「レギア」
 リーシャの眼差しがシェルダに注がれていることに気づき、レギアは嫌そうに眉を寄せた。だが口に出しては何も言わず、一つ肩をすくめて柄の部分を持ち上げる。反射的に槍を握ったアルカイドに「違ーよ」と手を振って見せ、柄に巻きつけてあった布を無造作に引っ張った。
 ボロボロの布に隠されていたのは、柄の部分に掘り込まれた精緻な文様だった。台座に置かれた聖杯と、それを守るように羽ばたく竜。細かく刻み込まれた古代の文字。そして、ちょうど柄頭の部分に形作られた瀟洒な十字架。アルカイドは何かに気づいたように瞠目し、深い紅の瞳でレギアを見上げた。
 レギアはそれに苦い表情を過ぎらせ、柄を水平に掲げながら柄頭に手をかけると、軽い音を立ててその部分をひねってみせた。連結部分に複雑な線が走り、ややあって小さな十字架の掘り込まれた印章が手の中に落ちる。貴族などが身分証明に使うものとは違い、本人以外には決して扱えないようになっている特別な印章だった。
「おいカイリ、ちょっと手ー貸せ、手」
「手?」
 カイリは訝しげに首を傾げたが、レギアに向かって素直に両手を差し出した。抵抗しても無駄、と悟ったのだろう。レギアは右手だけを掴んで裏返すと、手のひらの部分にその印章を押し付けた。
 淡く漆黒の光が迸り、少年の手のひらにうっすらと十字架の模様が映る。だがそれも一瞬のことで、すぐにその光は薄れて消えた。
「これって………」
「オレらと戦ったっつー証。つまり、討伐者に仕置きされた証拠だな。これがあればグランデュエルに入れるぜ。ということで、お前らはグランデュエルの聖皇省(せいおうしょう)に行け」
「へ?」
 カイリはわけがかわらない、というように間の抜けた声を上げた。その頭に容赦なく拳を叩き下ろし、リーシャがレギアの後を引き取って続ける。
「犯罪を犯した刻印の保持者でも、更生の可能性がある者は討伐者の裁量によって聖皇省に紹介できる。つまり、慢性的に人員不足の聖皇省に行って、討伐者になるべく訓練を受けて来いってことだ。…………ああ、もちろん途中で逃げてもまったく構わないが、その印章を押されたからには逃げられると思うなよ? 他の討伐者が大挙として押し寄せてくるからな、お前らが討伐者になると誓うまで」
 超過労働気味の討伐者の執念はすごいぞ、と嘲りの笑みを浮かべておいて、リーシャはさっさと細身の体を翻した。レギアも印章を柄と連結させ、もとのように背に負った鞘に戻す。
「聖皇省の責任者はシザー・ジェルマンだ。レギア・ブライトに紹介されて来た、とでも言っとけ。多分取り計らってくれるだろ」
「ちょっと待てリィ。おいカイリ、リーシャ・ラーグナーに紹介されたって言っとけよ、そっちの方がきっといいことあるぞ。上司にいびられるとか仲間内に避けられるとか」
「黙れこの究極的馬鹿、略してレギアが」
 いつものように軽口を叩きあいつつ、二人はもはや用はすんだとばかりに踵を返し、瓦礫に埋もれた上着などの発掘にかかってしまった。
 それをぼんやりと見つめていたカイリは、ふと気づいたようにアルカイドと視線を合わせると、口元にぎこちなく笑みを浮かべた。
「グランデュエルに行け、って言われてもさぁ、兄ちゃんたち………」
「ま、見逃してくれたってことじゃない? 殺されなかっただけマシっつーことで」
 アルカイドは飄々とした態度で肩すくめ、主である少年の髪をくしゃりとかき回した。カイリはくすぐったそうに笑い声を立て、討伐者たちの後姿を振り返る。今更ながらペタンとその場に座り込むと、カイリは笑いながら大きく息を吐き出した。
「…………殺されるかと思ったぁ」
 心情のこもったその呟きに、物騒な討伐者たちが振り返ることはなかった。






    


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