ナイトメア
 第五話 賢者の予言 4


 


 靴の裏に硬い地面が触れるのを感じ、リーシャとレギアは自分たちが異空間に到着したことを知った。周囲への警戒はゆるめないまま、手の中に握られている武器の感触を確かめ、慎重な動作で息を吸い込んでみる。ひんやりした空気が胸を満たし、二人の討伐者はほんのわずかに肩の力を抜いた。
「いきなり真空状態に放り出される、とかいうふざけた状況にはならなかったみたいだな」
「お前だけが真空でパンッ、っつー状況なら諸手を挙げて大歓迎だったんだけどな」
「で、お前はその後一人であの変態たちに突撃して戦うわけか? 二対一で? ずいぶんと仕事熱心だな、だったらおれは横で見物してるから一人であいつらに嬲り殺されて来い。ちゃんと手傷は負わせた上でな」
 そうしたらおれが何の苦労もなく止めを刺してやるから、という淡々とした相棒の言葉に、レギアは大剣『シェルダ』を構えなおしながら目をすがめた。端正な顔にすさまじく嫌そうな表情が浮かぶ。
「つーかリィ。ものは相談なんだけどよ」
「なんだ」
「今すぐこの場で発作的かつ突発的に爆死しねぇ? 世界平和にこれ以上ないくらい貢献できるすばらしい偉業だと思うぜ、普通に」
「お前があの男爵に突っ込んで行って自爆する、っていうなら考えてやらないこともないな。一瞬の百分の一程度なら」
「あーそうかよ、死ね。挨拶代わりにとりあえず死んどけ」
 レギアが投げやりな態度で目線をそらし、リーシャが鎖に指をからめて冷たく笑う。もはや口を挟む気も失せたのか、単に興味がないだけなのか、金髪の貴族が唇の端を持ち上げながら二人の前に進み出た。指輪のはまった手を優雅に差し伸べ、わざとらしいほど丁寧に一礼してみせる。
「改めてようこそ、エア・ラグナの『屍天使』にグランデュエルの『逆十字』。私を守護する虚構の眷属、ヴェルガーの居住たる空間へ」
「……居住空間か」
 敵への警戒は相棒に任せ、リーシャはすばやく周囲の空間に視線をめぐらせた。形のよい眉がかすかにひそめられる。
 そこは奇妙な色合いに支配された空間だった。くすんだ赤と黒と白がもつれあい、いびつに歪んだ縞模様を作っている空。赤茶けた岩石で構成され、思い出したように細かな砂塵を巻き上げる大地。悲鳴のような声を上げて吹く風。清浄さとは無縁の冷たい空気。ここからでは見ることができないが、そのいたるところに決してふさがらない『穴』が存在し、空間そのものを深すぎる虚無へ流し込んでいるはずだった。ヴェルガーの作り出した『居住空間』を一歩でも出れば、瞬く間に激しい磁気嵐に捕らえられ、細かく切り刻まれながら虚無へと吸い出されることになるだろう。
 ここには抜けるような青空など存在しない。頬を撫でる優しい風も、朝露をふくんでうっとりと綻ぶ花も、木漏れ日を降らせる美しい緑の天蓋も望めない。あるのは破滅へ向かう荒涼とした空気だけだ。喉をむしばむような風に眉を寄せ、視線をレヴィンとヴェルガーに固定すると、天使の異名を持つ青年は指先で銀の鎖をほどいた。
 清冽な光が幾筋も走り、静かにたたずむリーシャの周囲に輝きを散らす。
「ここが『虚構の界』、か。……すさまじく悪趣味な空間だな。どうりで虚構の眷属が自分の主に尽くすわけだ」
 紫銀の双眸がひややかに笑った。
「こんな場所にいたら遅かれ早かれ発狂するだろうからな。豊かな世界に通じるほとんど唯一の扉が『主』なんだ、献身的に尽くして靴の裏でも舐めたくなるだろうよ」
「この空間を見て眷族どもに同情しないところが人格破綻者っぽいよな、リィ」
「なんだ、お前は同情したのか?」
「冗談」
 気軽な動作で肩をすくめ、レギアは『シェルダ』の刀身を指でたたいた。紺碧の瞳が鮮やかな光を宿し、精悍な面差しに紛うことなき『戦士』の表情を添える。
「自分のモンじゃねぇ眷属に同情するほど暇じゃねぇよ、当たり前だろ」
「同感だ」
「……さて」
 人を食った物言いが不愉快だったのか、両目をすがめながら二人の会話をさえぎり、レヴィンは何かを捧げ持つようにして手のひらを上向けた。そこから漆黒の輝きがあふれ、くすんだ色合いの空気を染め上げていく光景に、リーシャとレギアは息のあった動作で武器を構える。紫がかった銀の瞳が鋭く細められた。
「交差する槍と翼の刻印……確かに貴族位の眷属みたいだな」
「そうだよ、『竜』の刻印持ちさん」
 薄い唇を笑みの形に吊り上げ、レヴィンは刻印のしるされた手のひらにゆっくりと口づけを落とした。
「君たちの守護者はヴィーよりずっと高位なんだろうけど、だからこそ私たちには勝てないよ。私は君たちに眷属を『召喚』する暇を与える気はないし、手順を無視して呼び出せるほど君たちが丈夫だとは思えないしね」
「わざわざのご忠告、痛み入るが」
 左目をまたぐように描かれた刻印が光を放ち、天使を思わせるリーシャの美貌を清冽に彩った。主の言葉を肯定するように。
「お前ごときに心配してもらう必要はない。いざとなったら前衛の馬鹿が囮になって『召喚』の時間かせぎをするからな。……まあ、せいぜい『同調』だけで倒されないように注意しろ。あまり手ごたえがないのも微妙すぎる」
「おいコラそこの後衛の馬鹿。なに自然にオレを囮にすることで話をまとめてやがんだ」
「黙れ。おれのために囮になれることを神に感謝して安らかに死ね」
「しかも死ぬこと決定かよ、っつーかお前が死んだ方が世界的に見て明らかに正しいだろうが。今まで犯してきた罪、別名生まれてきたことを心から悔いて死ねこのボケ」
 しかつめらしく言い切った相棒をちらりと見やり、リーシャは何かを思いついたように整った面差しを和ませた。聖母のような笑みを湛え、やや高い位置にある紺碧の想像を仰ぎ見る。
「……どうでもいいが、そう怒るな。お前なら一人でもあいつらと戦えると思えばこそだ。―――おれはこれでもお前の戦闘能力を『信頼』してるんだよ。レギア」
 とたんにぐぇっ、という引きつった呻き声を漏らし、レギアは真剣に吐き気をもよおした表情で口元を覆った。その横でリーシャが会心の笑みを閃かせる。あまりにも次元の低いやり取りに呆れたのか、いつの間にかリーシャの肩から離れ、のんきに上空を漂っていたピュイが小さく鳴き声を上げた。
 ふいに冷たさを増した風が吹きつけ、白金と漆黒の髪を空に巻き上げていった。一瞬でその表情から笑みを消し、リーシャとレギアは進み出てきた『男爵』に鋭い視線を投げかける。風になびく髪に裾の長い服、膝裏まで覆う長靴、手に提げた得物まで黒一色に染まる中、ただ深紅の双眸だけが禍々しい光を湛えて煌いていた。
「最期の会話はそれで仕舞いか、グランデュエルの討伐者」
「……本当、君たちは面白いねぇ。緊張感というものがまるで感じられない」
 ヴェルガーの横で何度か首を振り、レヴィンは光のあふれ続ける手のひらを握り締めた。周囲に満ちる空気がぐっと圧迫感を増す。
「それじゃあそろそろ始めようか。私はこう見えても忙しいからね。君たちとは違って」
 どこか嘲るように呟き、レヴィンは握り締めた拳を天に向かって振り上げた。一瞬の間をおいて轟音が響きわたり、細かな砂塵が巻き上げられ、リーシャとレギアの上に無数の影が落ちかかる。ピュイが慌てたように翼をはためかせ、まだ安全だと思われる空中へ避難していった。
「ここはヴィーが『虚構の界』に作り出した居住空間。つまりヴィーの思うままに作り変え、動かすことのできる世界。――そして私はヴィーの主だ。この空間の支配者を意のままに操り、平伏させることのできる存在なんだよ」
 低く舌打ちの音を響かせ、リーシャは右に、レギアは左に向かって飛びのいた。数秒前まで彼らのいた位置が隆起し、巨大な岩石の塊となって宙にそびえ立つ。平らだった大地はあっという間に岩の群れに埋め尽くされた。
「さあ始めよう、私の邪魔をする『杯』の国の走狗たち」
 レヴィンの青い瞳が笑みの形に細められ、狂気にも似た表情で白金の髪の青年を見つめた。赤い舌が蛇を思わせる動きで唇を舐める。
「私の相手は君かな、エア・ラグナの『屍天使』?」
「そうみたいだな。――――レギア!」
 目の前の貴族から視線を外さないまま、リーシャはヴェルガーと対峙している相棒に向かって声を張り上げた。
「とりあえず、死ぬならせめて相打ちにもちこんでからにしろよ!」
「ありがたくて涙の出る言葉をありがとうよっ!」
 いつも通りの会話を合図に、リーシャとレギアは足場の悪い地面を蹴った。極細の鎖と大剣の切っ先が宙を走る。
 それをヴェルガーとレヴィンが迎えうった瞬間、決して公の記録には残らない、抹消されるためだけの戦いが始まった。




 始まったね、という小さな呟きは、銀に縁取られた闇の中に吸い込まれ、何の余韻も残さないまま消えた。
 ゆっくりとした仕草で首を振り、肩口で揺れる銀色の髪をかき上げると、ほっそりとした体つきの少年は傍らに立つ女性に視線を向けた。長い睫毛に縁取られたその瞳は、凍りついた湖を思わせる銀灰色(ぎんかいしょく)に染め上げられ、きらきらと煌く闇に眩い光を刻みつけている。
「男爵とはね。初めて会った時から知ってたけど、どうしてあの子たちは厄介な道ばかり進むことになるのかな、まったく」
 どこまでも涼しげに響く少年の声に、長い黒髪を流した女性はかすかに微笑した。
「それも仕方のないことではないか? 私たちが愛するのは強く壮烈な魂。平穏無事に過ごすばかりの主では退屈だろうに」
「それはそうだけどね。だからといって、そう易々と僕たちを呼ぶような事態になられちゃ困る。普段ならともかく、戦闘中に僕たちを呼ぶのは負担が大きすぎるんだから」
「確かに。こんなことを言える立場ではないが、人間の体はあまりにも脆すぎるからな」
 不思議なほど『女』を感じさせない口調でささやき、漆黒の女性は輝きを秘めた闇に眼差しを投げた。銀の少年が同感、とばかりに肩をすくめる。
 二人が立っているのは果てのない闇の中だったが、同時に目に痛いほどの光を感じさせる場所だった。あらゆる場所で銀の光が揺らめき、漆黒の闇を飾り立て、上下左右の感覚がない空間を美しく装わせている。少年と女性がまとう色彩そのままに。
 雪原のような銀髪を軽く揺らめかせ、空間の支配者である少年は唇の端をつりあげた。
「それでも」
 銀灰色の瞳に深紅の輝きが宿る。
「僕たちは、いとしい主が望むならどんなことだってするだろう。同族を屠ることも、罪のない人間を殺すことも、父である存在に弓引くことも、僕たち虚構の眷属にとっては当たり前の行動にすぎない」
「私たちが愛するのは主のみ。主の望みを叶え、主の身を守り、主の敵を排除することこそ至上の喜び」
 まるで歌うように言葉を続け、銀の少年と漆黒の女性はひどく綺麗に微笑んだ。空間そのものがざわめくように輝き、少年と女性の髪に神々しいまでの光彩を与える。
 彼らが愛するのは自分たちの主だけだった。目の前で大切な存在を嬲り殺しにされ、自身もおびただしいまでの血を流し、うずくまりながら力を欲して空を睨みつけた少年を。信じた国から手ひどい裏切りを受け、愛した者を守りきれず、慟哭の叫びを上げながら剣を手放さなかった青年を。虚構の眷属たちは痛いほどの思いで愛し、守り続けることを名と魂にかけて誓ったのだから。
「愛してるよ、わが唯一にして絶対の主。どうか、その気高く強い魂が折れることのないように」
 その声そのものが銀の光を生み出し、漆黒の空間に新たな煌きを振り撒いていった。その軌跡を目で追いながら、銀の少年と漆黒の女性は静かに呟く。
 祈りでも願いでもない、自分自身にかけた誓いの言葉を。
「その強さが失われない限り、われらは全力を持ってその魂を守るから」






    


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