13 守り手との出会い


 


 淑女たちの笑いさざめく声、ひそやかなささやき、楽団の奏でる明るい音楽、硝子や陶磁の器が触れ合うさやかな音。それらがシェインディアの広い庭園に渦巻き、宙へ弾けながら目に見えない音符を躍らせている。
 ライザードの壮麗極まる屋敷には及ばないものの、さすが門閥家の大貴族シェインディア家の庭園だけあって、その広さと優美さは充分すぎるほど感嘆に値するものだった。木々は丸みを帯びた形に刈り込まれ、柔らかな色調の薔薇がアーチを作り、女主人の人柄の良さを表すような自然な上品さで満ちている。茶会という名称にふさわしく、丸い卓上に並べられているのは綺麗な形の菓子類ばかりだったが、マントをまとった男性客の姿も至る所で目立っていた。その中に位階を持った騎士団のマントも見られるのは、シェインディアの当主であり茶会の招待主であるセレニア・ルイスが、エルカベル騎士団団長と特に懇意にしている女性だからであろう。
「……やはり、このように菓子や茶ばかりの集いは俺の肌に合わんな。先ほどから何やらむず痒くてかなわん」
 手にしたカップの中身を一口すすり、ジェインは苦笑と共に深い緑色の瞳を細めた。
 鋼のような白銀の髪に、深い色合い湛えた緑の瞳を持つ、紫のマントをまとった背の高い青年だった。緑の瞳は光の加減で黒にも映る美しいものだったが、開かれているのは左目だけで、右目は瞼の上に走った傷によってふさがれてしまっている。それでも特に支障はないということを示すように、ジェインは正確な動作で卓上の受け皿にカップを戻した。
「そうか? 私は無駄にゴテゴテした立食会より、こういった茶会の方が気楽で好きだが。第一、この中にはシェインディア夫人お手製のものも入っているそうだぞ。残したりしてはもったいないというものだ」
「違いないが、俺はお主ほど甘味を好むわけではない」
「ジェイン卿は堅苦しくていけないな。少しは挑戦してみるべきだ、絶対に美味しいから。私が保証する」
 そう言ってラグランのパイを口に運び、リチェルは大真面目に同僚に向かって頷いてみせた。ふんわりと揺れた髪は色素の薄い亜麻色で、やや癖のあるそれは羽のように柔らかに小さな背を覆っている。瞳の色は明るい紫水晶、肌の色は輝くような白だ。瞳と同じ色のマントを羽織った体はすんなりと華奢であり、手足も細く、顔立ちは十五、六歳程度にしか見えない。カイゼルの侍従であるシオンよりも年下に見えるほどだった。
 だが口調は大人びたもので、紫の瞳に湛えた光も静かな落ち着きに満ちていた。第一位階の騎士の証である紫のマントを揺らしながら、リチェルは幼い外見に似つかわしくない表情を浮かべて首を傾げた。
「……それにしても、今日の用件は一体何だろうな、ジェイン卿?」
「さあ、俺にはわからん。だがセスティアルが言っていたな、団長が面白いものを拾ったと」
 それについてではないのか、と呟き、隻眼の騎士は大分冷めてしまった茶をゆっくりと口に寄せた。菓子類には目もくれずに茶を飲み続ける彼に、リチェルは呆れのこもった眼差しを向ける。シオンが林檎に似ている、と感じたラグランのパイをあっという間に平らげてしまうと、天使のような容貌をした騎士はあの方も酔狂だからな、と小さく苦笑を漏らした。
 彼らにとって、茶会とは貴族たちが集まり、菓子や茶を楽しみながら和やかに歓談するものではなかった。特に、ここシェインディア家で開かれる多くの催し物は、ほとんどすべてが堂々と密談するための場であると同時に、いわゆる『カイゼル派』の騎士たちが集うための数少ない機会だった。何かあると考えるのが自然な流れというものだろう。
 この二人とて、表面だけを見たら武人然としたたくましい青年と美少年の語らいだった。多くの夫人たちや貴族の娘が熱い視線を送ってくるが、二人ともまるで意に介さずに菓子と茶を口に運んでいく。リチェルが胡桃の焼き菓子に手を伸ばしたところで、不意にその頭上に落ちかかる陽射しが翳った。
「……何だ、グラウド卿か。ご婦人方との交流はもういいのか?」
 リチェルは軽く仰のくと、大柄な体で陽光を遮った同僚の騎士にからかいの混じった笑みを向けた。
「はん、俺はお前らのように禁欲的な騎士様じゃないんでね。綺麗なお嬢さんと仲良くするのはこれすなわち男の義務だ、俺はそれを全うしているだけだぜ?」
「別に異論はないが、私としてはその物好きなお嬢さん方に惜しみない賛辞と拍手を送りたい。少なくとも私が女だったら、君のような大男は心から遠慮させていただきたいからな」
「言うじゃねえかリチェル、相変わらずいい根性だ」
 そう言ってにやりと微笑したのは、まさに筋骨隆々と言うのに相応しい大男だった。身長は、十分すぎるほど長身の部類に入るジェインよりさらに拳二つ分ほど高く、幅や厚みにいたっては一回り近くも大きい。だが、全体的に無骨という印象は薄く、不思議と鍛え上げられた俊敏さを思わせる雰囲気の持ち主だった。何より人好きのする笑みに夜空色の瞳を細め、短く刈り込まれた茶色の髪を陽に輝かせている様は、ジェインやリチェルとは違った意味で女性の心を掴むだろうと思わせる魅力がある。
 二人と同じ紫のマントを軽く払い、グラウドは胡桃の焼き菓子の隣にあった生菓子を手に取りつつ、ジェインとリチェルに悪戯めいた微笑を見せた。夜空色の瞳がすいと流れ、屋敷に面した露台の方を片手の親指で指しながら簡潔に言う。
「来たぜ」
 そして二人にはそれだけの言葉で十分だった。
 グラウドの指し示した露台の入り口を見つめて、二人は示し合わせたようにすっと背筋を伸ばす。手にしていた皿やカップを置いたのも自然な動作だ。グラウドも意一口で生菓子を口内に押し込んでしまうと、乱暴に口元を拭って姿勢を正した。
「……楽しみだな」
 ふふ、という軽やかな笑い声を響かせて、リチェルの紫水晶の瞳が深く煌いたようだった。
 他の客は誰一人として気づかないひそやかさで、けれど堂々と近づいてくる鮮烈な気配にうっとりと双眸を細めながら。




 扉が開かれた瞬間、シオンは思わず声を上げそうになるのを辛うじて堪えた。
 そこにあったのは、華やかさと洗練を絵にして色をつけたような光景だった。庭園の広さはライザードの屋敷で大分見慣れたものの、そこに純白のかけ布が敷かれた丸い卓をいくつも並べ、色とりどりの菓子類や食器で飾った様子は壮麗の一言に尽きた。その間を泳ぎ回るように動いていく女性の衣装がふわりと揺れ、そこかしこに美しく咲いた花々思わせる。どう足掻いても現代日本では再現することのいできない、優美な『茶会』の姿がそこにあった。
「きれいでしょ? シオン。この庭園は母上様のお気に入りなんだよ」
「よく、ここでお花の手入れをしてるの。シオン、お花好き?」
「お茶会もすごいんだよ、色んな貴族の家や騎士の人たちがたくさん来るんだ。母上様だけじゃなくて、父上様が有名だから」
「あの白い薔薇ね、『朝靄の露』って言うんだよ。父上様が母上様にくれたの」
「ね、シェラナ」
「うん、フィオラ」
 まるで違うことを忙しく言いながら、結局のところ互いにわかり合っている様子の金髪の双子に、手を引いてやっているシオンは微笑を誘われた。双子が話しかけてきてくれるおかげで、見たこともない光景に対する驚愕と緊張が薄れたためもある。やっぱり子供は可愛いな、とほのぼのした喜びに浸りつつ、シオンは二人に向かって丁寧に答えた。
「はい、とっても綺麗なお庭です。フィオラ様」
「うん!」
「あの白い、薄く黄色がかっている薔薇が朝靄の露って言うんですか? ぴったりで素敵ですね」
「うん、ぴったりなの」
 一拍置いて、三人はふふふと平和な様子で笑顔を交わし合った。
「……お前、すっかり懐かれたな、お子様同士気が合うのか? そいつらがそこまで懐いたのはお前が初めてだ」
 呆れたようにそう言うと、前を歩くカイゼルが軽く背後のシオンを振り返った。とたんにシオンの背が伸びるが、双子は嬉しそうに笑ってシオンの腕にしがみつく。父に話しかけられたことと、シオンと気が合うのかと言われたことが嬉しかったのだろう。
「うん、シオン好き!」
「好きー」
「……っ、ありがとうございます!」
 シオンは感極まったように頬を紅潮させ、双子に向かって勢いよく頭を下げた。それだけですんだのは人目があったからで、誰もいない場所だったなら僕も好きですっ、と叫びながら双子をひしっと抱きしめていたに違いない。シオンは、シェラルフィールドに飛ばされて初めて何より癒される心を感じていた。
 その様子を視界の端に捉え、カイゼルは実に楽しげな微笑を浮かべた。彼から見れば小動物が小動物とじゃれているようなものだが、不思議と和む光景であるのは間違いなかったからだ。カイゼルはもう一度喉の奥で低く笑うと、あとは背後など振り向かずに足を進める。庭園の中でも目立たない、隅の方の卓へと。
 いつの間にか、周囲に漂っていたまとまりのないざわめきは消え、明らかに指向性を持った話し声が聞こえ始めていた。それがカイゼル・ジェスティ・ライザードという存在に向けた好奇と尊敬、そして何より畏怖であることを、双子の手を引いて歩いていくシオンは敏感に感じ取っていた。だが、カイゼルの歩みは速くも遅くもなく、あくまで誰よりも堂々としたものだった。思わず、シオンはうっとりとその背を見つめてしまった。
 自分では全く気づいていないが、その碧の瞳に浮かんでいるのは忠誠を誓った相手への誇りと、その後ろについていけるという喜びだった。
 それにはセレニアだけが気づいたようで、そっとシオンの様子を伺いながら柔らかく微笑した。子供を見守る母親のように。だが、シオンがそれに気づくよりも、カイゼルの前にマントを羽織った人影が進み出る方が早かった。
 ふわりと、過ぎていく風に鮮やかな紫のマントが翻る。
「……お久しぶりです団長」
 そう言って流れるように頭を下げ、カイゼルに向かって略式の礼を施したのは、白銀色の髪に深緑の瞳を持った隻眼の騎士だった。 
 ふと、シオンは軽く目を見張った。カイゼルの前に進み出た三人があまりにも三者三様で、鮮烈としか言いようがない雰囲気の持ち主だったからだ。
 隻眼の青年に、ふんわりした亜麻色の髪の少年、そして屈強の大男。三人が共通しているのはまとった紫色のマントと、それを留めた三日月の留め金、腰から下げた瀟洒な剣だけだった。つまり、三人ともがエルカベル騎士団第一位階の騎士であり、騎士団長であるカイゼルの部下だということだろう。年齢から容姿、体格まで見事にバラバラな三人を見て、シオンはぶしつけにならないように気をつけつつも、思わず目を見張って騎士たちを凝視してしまった。
 そんなシオンには構わずに、カイゼルはああ、と鷹揚に頷いて三人を見遣った。深青色の鋭い瞳をかすかに細め、同じように頭を垂れる二人にも小さく笑みを向ける。そのまま変わりないか、とも近況は、とも聞かずに、無造作に背後のシオンの襟首を掴んでひょいと前に押し出した。
「……え」
「いい機会だ、とりあえず、お前らにも紹介しておく。これが少し前に俺の侍従になったシオン・ミズセだ。これからは戦場にも連れて行くことになるだろうからな、顔と名前は覚えておけよ」
「え、えぇっ!?」
 こともなげに告げられたシオンとしては、目を白黒させてカイゼルを振り仰ぐことしかできなかった。カイゼルの言った面白い奴らに会わせてやる、というのは彼らのことだろうから、シオンは侍従として無礼にならないように挨拶しなければならない。だが、シオンの目の前に立っている三人の騎士は、それぞれ異なる表情で呆気に取られたようにシオンを見つめている。何とも言えない気まずさが周囲に漂った。
「……あ、あの、申し訳ありません」
 混乱しながらも、ウィルザスに徹底的に仕込まれた大貴族の侍従としての反応は、シオンの意思を裏切ることはなかった。
 カイゼルの手が襟を離れたと同時に急いで膝をつき、シオンは青年と少年と男性に向かって丁寧に頭を下げた。第一位階の騎士は騎士団の中でも最高位の存在であるのだから、略式の礼では失礼に当たるだろうと思ったからだ。
 何より、カイゼルの侍従として恥じない行動をしなければ、というのがシオンにとっての至上命題だった。
「……お目にかかれまして幸甚至極(こうじんしごく)に存じます、第一位階の騎士様方。カイゼル・ジェスティ・ライザード大将軍にお仕えする栄誉を賜りました、シオン・ミズセと申します。どうぞ。以後お見知りおき下さいませ……あ、性別は男、です。一応」
 ついそう付け加えてしまったのは、これ以上男か女か尋ねられたら立ち直れないような気がしたためだ。言ってから余計だっただろうか、と目線を上げてみた瞬間、ぽかん、とした表情を浮かべる騎士たちと眼差しがぶつかった。やっぱりやめておけば良かったかも、と頬を染めたシオンに対し、不意に亜麻色の髪をした少年が吹き出した。つられたように茶髪の男性が笑い出し、隻眼の青年も唇の端に微笑を浮かべる。カイゼルでさえ楽しげに喉を鳴らして笑っていた。
「あ、あの……」
「……いいな、君、今のは中々可愛らしかったよ、シオン・ミズセ? よく女に間違われるのは私もだ、気にすることはない。むしろ美形の証として誇ってもいいことだろう」
 くすくすと鈴を転がすような笑い声を響かせながら、少年の騎士が跪いたシオンに立つように促した。幼い容姿に似つかわしくない大人びた口調に、シオンは虚をつかれたように軽く瞳を瞬かせる。だがすぐに我に返って立ち上がると、少年は笑みの名残を残しながらさて、とシオンを見上げた。
「まずははじめましてだな、私はリチェル・カーロイス。いや、正式に名乗るならレイター・リチェル・カーロイスだな。エルカベル騎士団第一位階の騎士で、カイゼル団長直属の部下だ」
「俺はグラウドだ。グラウド・クロスファディ。見りゃわかるだろうが、団長直属の第一位階の騎士だ、よろしくな坊主」
 あまりにも気さくな名乗りに、シオンはその碧の瞳を大きく見張った。グラウドは見るからに武人といった趣があるが、リチェルはシオンよりも年下に見えるほどなのだ。しかも『レイター』は、黒髪に青みがかった銀の瞳を持つ魔術師と同じ、最高位の魔術師であることを示す称号であった。
 驚きを隠せないシオンに、最後の隻眼の騎士は生真面目に頭を下げながら口を開いた。その動作の一つ一つがきびきびとして、いかにも厳しい訓練をこなしてきた騎士といった雰囲気を助長させている。無意識のうちに聞く者の背筋も伸び、かしこまってしまうような動作だった。
「お初にお目にかかる、シオン殿。俺はジェイン・レイ・ティアニー。ティアニー家の次男で第一位階を授かった騎士だ。こちらこそ以後お見知りおき願いたい」
「……あ、はい! どうぞ、これからよろしくお願いいたします」
 慌てて頭を下げたシオンに、騎士たちは再びおかしそうに微笑を過ぎらせた。そこに浮かんでいるのは、多かれ少なかれ侍従の少年に対する好感だった。カイゼルの背後からその様子を見ながら、シェラナとフィオラは視線を合わせてふふっと笑いあった。
 心から嬉しそうに。
「よかったね、シオンが好きになってもらえて」
「うん、よかったね」
「シオンだもんね」
「うん、シオンだもんね」
 カイゼルの横に立ったセレニアが「あら、どうしてシオンだから、なの?」と柔らかく問いかけたが、二人は楽しそうに笑うばかりでそれには答えなかった。
 教えなーい、と子供らしく笑い声を響かせながら。
 その明るい空色の瞳に何を映していたのか、この時はまだ誰も知ることができなかった。
 当事者である、シオン自身でさえも。






    



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