10 騎士と侍従の異世界交流


 


 驚きの混ざったシオンの声に、茶色の髪と青い瞳を持つ青年騎士は不機嫌そうな顔を作った。シオンは反射的に首をすくめたが、カズイの視線は少年の頭上を通り過ぎ、目を見開いている二人の貴族に固定される。
「……フォーネル卿にドーラン卿。仮にも貴族の当主であるお二人が、一介の侍従相手に何をなさっておられる? しかも神聖な皇宮の庭園で」
 フォーネルは岩石のような頬を紅潮させ、ドーランは狼狽した様子で視線をさまよわせた。カズイの年齢は二人の半分程度に過ぎないが、フォーネル家やドーラン家が逆立ちしても敵わない大貴族の当主である。慌てふためくドーランを鋭く一瞥し、ひどく忌々しそうな表情でシオンから視線を外すと、フォーネルは滑稽なほど大袈裟に胸を張ってみせた。
「これはヒューガ卿。いや、よもや貴卿までがスティルヴィーアにいらしているとは思わず、お見苦しいところを見せてしまった。……なに、この小僧が身分もわきまえずに無礼な振る舞いをしたゆえ、ドーラン卿と共に注意を促しておったにすぎぬ。どうぞお許しあれ」
「――――そう、そうなのですよ、ヒューガ卿。無論、我々とて神聖なるスティルヴィーアで揉め事など起こしたくはありません。この少年が礼儀というものを知ってくれれば、私もフォーネル卿もこれ以上言うことは一つもありませんから」
 ねぇ、とわざとらしい動作でフォーネルを振り仰ぎ、ドーランは爬虫類の目を光らせて卑屈に笑った。庭園中に灯された青い光が揺れ、ドーランの表情にぞっとするような陰影を添える。
 シオンは何も言わなかった。二人の主張は自己弁護以外の何物でもなかったが、話をしているのが貴族階級の人間である以上、ただの侍従が感情にまかせて口をはさむわけにはいない。ただ静かに前を見据え、落ち着いた表情で佇んでいるシオンに、カズイは一瞬だけ物言いたげな視線を投げかけた。
「……無礼、か」
 独り言のような口調で呟き、カズイは見苦しく笑っている貴族たちに青い瞳を向けた。そのまま腕を組み合わせ、端正な顔をほんのわずかにしかめる。
「確かに、平民階級の者が貴族に対して礼儀を守らないのは立派な罪だ。それを正していたというなら、俺は貴卿たちの行動に対して口を差しはさむつもりはない」
 フォーネルとドーランは会心の笑みを閃かせた。カズイが『カイゼル派』の騎士であるのは周知の事実だが、やはり平民のシオンよりも貴族の当主たちの主張を優先するつもりらしい。大貴族とはいえ所詮は若造よ、と言わんばかりの笑みを浮かべ、低い位置にあるドーランの肩に手を置くと、フォーネルはカズイに向かって鷹揚に頷いてみせた。
「さすがは名門と誉れ高いヒューガ家の当主殿。社会の序列というものがよくわかっていらっしゃる。……それではドーラン卿。我々はもうお暇するとしようか。いつまでもここにいてはヒューガ卿のお邪魔になろう」
「まとこに。それではヒューガ卿、本当にお見苦しいところを見せてしまい、申し訳ございませんでした」
 ドーランの目がぎょろりと動き、静かに控えているシオンを見やった。
「君もね、あまり変なことを言ってヒューガ卿を困らせてはいけませんよ? 賢い君なら当然わかっているでしょうが、この社会には乱してはいけない序列というものがあるのですから」
 余計なことを言ったらただじゃおかないぞ、というわかりやすい脅しに、シオンは従順な態度でぺこりと頭を下げた。完全に表情が隠れたところでひっそりと渋面を作る。カズイに彼らの無礼を訴えるつもりはなかったが、主君であるカイゼルに問われた場合、皇宮で何があったかを事細かに説明するつもりだった。フォーネルに向かって宣言したように、シオンはカイゼルに仕える忠実な侍従なのだから。
 そうはいっても、二人の暴言を聞いたカイゼルがどんな行動を取るか、シオンはその表情から口調にいたるまで鮮明に予想することが出来た。恐らくは整った顔に侮蔑の笑みを滲ませ、手元の書類から目も上げずにあっさりと言い捨てるだろう。羽虫ごときに関わるほど俺は暇じゃない、と。
 自分たちが取るに足らない羽虫だとも知らず、フォーネルとドーランは睨みつけるようにシオンを見下ろした。カイゼルに知られたら身の破滅だと思い込んでいるのだろう。だったら余計なことを言わなければいいのに、と胸中に呟き、シオンは平然とした顔で二人の視線を受け止めた。そのまま柔らかな微笑を浮かべる。
「もちろんです、ドーラン卿。真実と異なることを口にし、ヒューガ卿や主君であるカイゼル様を困らせるなど、ただの侍従に過ぎない身に許される行動ではありませんから」
 本当のことしか話すつもりはない、ということである。二人の貴族は憤怒の表情を作ったが、まさかカズイの前で激発するわけにもいかず、唇を引きつらせるようにしてぎこちない笑みを浮かべる。
「……いい心がけだ、小僧」
 小柄な少年に射殺せそうな視線を向けると、フォーネルはドーランを促して大股に歩き出した。シオンが余計なことを言う前に逃げ帰るつもりなのか、くるりと踵を返して『外苑』の出口へ向かい始める。
 その背中にひんやりとした声が投げかけられた。
「――――『ライザード卿はいずれ謀反を起こすのではないか』」
 二人の貴族がぴたりと歩みを止めた。シオンも驚いたように目を見張り、碧の瞳で隣に佇んでいる騎士を仰ぐ。
 ゆったりと腕を組み合わせたまま、カズイが冷たい表情で二人の貴族を睨んでいた。
「お帰りになられる前にぜひ聞きたいんだが、俺は先ほど、この『青の苑』を歩いている途中にこんな言葉を聞いた。口にするのも恐ろしい、無礼という言葉では言い表せないような暴言だが、残念なことにこのような讒言(ざんげん)を言いふらす輩が存在するらしい。……貴卿たちに心当たりはないか?」
 カズイの青い瞳が凄絶な光を放った。蒼白な顔で振り返ったフォーネルとドーランを見やり、長身の騎士は組んでいた腕をゆっくりとほどく。
「平民が貴族に対して礼を失するのは罪だ。ならば同様に、中流貴族に過ぎぬ者が大貴族の当主をそしるのも罪だと思うのだが、貴卿らはどう思われる? よもやそのような無礼がまかり通るとでも?」
「それは、無論……」
「ならば話は簡単だ。根も葉もない噂話を信じ、恥知らずにもライザード卿を誹謗する者がいたら、貴卿たちの良心と識見に従って諌めてほしい。……貴卿らもご存知のことと思うが、レイター・セスティアル・フィアラート卿を初めとして、我々第一位階の騎士のほとんどはライザード卿を心から尊敬している。無礼な誹謗を聞いてしまった場合、自制心が上手く働いてくれる自信がないほどに」
 もはやぐうの音も出ない二人の貴族に、カズイは明るい色彩の瞳を鋭く細めた。
「賢明な貴卿たちならおわかりだろう。我らが騎士団長と仰ぐライザード卿への暴言は、我らエルカベル騎士団第一位階の騎士への侮辱へと取らせていただく。相手が奴隷だとうと、平民だろうと、貴卿ら貴族階級の者だろうと例外ではない。騎士の誇りと三日月の紋章にかけて全力で叩き潰す」
 そこで一度言葉を切り、カズイは叩きつけるようにして貴族たちを一喝した。
「わかったらとっとと俺の前から消えろ、目障りだ!」
 見えない手のひらに押されたようによろめき、顔色をなくした顔に恐怖の表情を乗せると、二人の貴族は挨拶もそこそこに身を翻した。それでも走り出さなかったのはさすがと言うべきだろう。かろうじて『歩いている』と表現できる速度で足を動かし、フォーネルとドーランはまろびあうようにして庭園の向こうに消えていった。視界から朱色のマントが消え去るまで数秒とかかっていない。
 碧の瞳を大きく見張ったまま、シオンは驚きの表情で傍らに立つ青年騎士を見上げた。まさか助けてもらえるとは思わなかったのだ。
「……あの、ヒューガ卿」
「何だ」
 ためらいがちに声をかけると、愛想とは無縁のぶっきらぼうな答えが返ってきた。反射的に背筋を伸ばしつつ、シオンは慎重な動作で頭を下げる。
「申し訳ありませんでした。こちらの不注意でお手数をおかけしまして……」
「……」
「それから、あの、助けて下さってありがとうございました」
 何よりの真情がこもった言葉だったが、カズイは難しい表情を貼りつけたまま別の方向を見ていた。その場に何とも形容しがたい沈黙が落ちる。
「あの……」 
 何かを言おうと口を開いたが、青い瞳で一瞥された瞬間、内心で奮い起こした勇気が見るも無残にしぼんでしまった。カイゼルに『犬』と評された顔でしょんぼりとうなだれ、カズイの表情を伺いながら丁寧に礼を取る。
「……本当にすみませんでした。以後、このようなことがないように十分気をつけたいと思います。……それでは、僕はこれで」
 失礼いたします、と丁寧な口調で告げ、シオンは頭を下げながら門に向かって歩き出そうとした。本当はカズイとの『気まずい関係』をどうにかしたかったのだが、ここまで無愛想な態度を取られるとシオンの決意も鈍らざるをえない。シオンはこれ以上嫌われたくないのだ。フォーネルたちの言葉に惑わされることなく、毅然とした態度で上司の名誉を守ってみせた潔い騎士に。
 だからこそ何度も頭を下げ、出来るだけ早く相手の視界から消えようとしたのだが、その歩みは他ならぬカズイの腕によって阻まれてしまった。まとっていた白のマントをつかまれ、シオンは後ろにのけぞりながら目を白黒させる。
 振り返ったシオンの視界に映ったのは、心の底から不機嫌そうに見える端正な顔だった。
「……ちょっと待て」
「え?」
「だからちょっと待て。帰るな」
「は?」
 目を見張ったシオンの肩を掴み、カズイは恐ろしく真剣な表情で口を開いた。
「お前、今時間あるか?」
「はい?」
「だから時間だよ、時間! 今すぐ帰らなきゃならないような急ぎの用事はあるか? っていうかないな!? 今暇だな!?」
「あの……」
「暇だなっ!?」
 完全に据わっている青の瞳に睨まれ、シオンは反射的に「はいっ!!」と頷きを返した。それを見やって一つ頷き、カズイは親の仇を見るような表情で美しい庭園を見回す。
 その瞳が大理石の四阿を捉え、何かを決意した光に煌いた。
「ちょうどいい機会だからな。少しつきあえ」
「……え」
「話があるんだ」
 カズイの形相には思わず引いたが、まさかここで拒絶するわけにはいかず、シオンは困った顔を作りながらも小さく頷いた。




「……で、お前は一体なにをやっておる?」
 溜息混じりの声を受け、セスティアルはひどく不思議そうな動作で首を傾げてみせた。
「なにを、とは?」
「そうか、わからぬなら言い直そう。……お前はなぜ、こんなところでシオンとカズイ卿の会話を盗み聞きしておる? 帝国最高位のレイターの名が泣くぞ」
「違いますよ、エステラ。これはどちらかと言うと盗み聞きではなく盗み見です」
「なお悪いと言っても?」
 呆れ返った表情を隠そうともせず、黒髪の女騎士は傍らの魔術師に胡乱な眼差しを向けた。それを受け止めた銀青の瞳がにこりと笑う。
 刈り込まれた生垣にぴたりと張りつき、シオンとカズイの様子を覗き見ているという微妙な状況でも、セスティアルの美貌と優雅さはまるで損なわれていなかった。陽炎のように揺らめく光を受け、繊細な面差しが硝子細工を思わせる危うさを孕んでいる。事情を知らない者なら一瞬で魅入られてしまうだろう。
 困ったものだ、と唇の動きだけで呟き、同じように生垣の隙間へ顔を寄せると、エステラは翡翠の瞳を細めてやんわりと笑った。
「……まあよい。とりあえず、お前の作戦は功を奏したようだな。ああ見えてカズイ卿は素直な御仁だ、この分ならあの二人の珍妙なわだかまりも解けるだろう」
「そうですね。そうなってほしいものです」
 喉の奥でくすりと笑い、セスティアルはひそやかな身のこなしで生垣から離れた。シオンの立っている場所とは違う道に足を踏み入れ、優しい笑みと共に背後のエステラを促す。
「それじゃあエステラ、私たちはそろそろ行きましょうか」
「……別に異論はないが、いいのか? お前のことだ、シオンとカズイ卿がしっかりと和解できるか否か、その目で確かめるまでは動くまいと思っておったのだが」
「大丈夫ですよ、シオンなら」
 それはどこまでも自然に響く言葉だった。大丈夫であってほしいという希望でも、あの二人なら何とかなるという信頼でもない。揺るぎない事実を口にするような、子供に簡単な答えを教えてやるような、大人の余裕すら垣間見える穏やかな口調だった。
「どんな理由であれ、シオンを嫌い続けるのはとても難しいですから」
「……」
「他人に優しくするのは難しいですが、シオンはまるで呼吸をするように人を好きになれる子です。優柔不断というわけでも、主体性がないというわけでもなく、好きな人には全力を持って優しくするという、簡単なようでいて難しいことがちゃんとできている。……だから多分、シオンを嫌い続けるのはとても難しいんだと思います。よほどひねくれた人でない限り」
 他人から優しくされた時、好意を向けられた時、気分のいい時に『優しさ』を見せるのは簡単だが、他人から貶された時、悪意を向けられた時、気分の悪い時にそれを持ち続けるのは難しい。人間は感情に左右される生き物だからだ。好きな相手にはごく自然に優しくできても、嫌いな相手にはどうしても冷たい態度を取ってしまう。
 シオンも決して例外ではなかったが、彼の場合、『好きな相手』に含まれる人間が常人よりはるかに多いのだ。まるで呼吸をするように他者を愛し、その幸せを願い、受けた優しさを倍にして返すことができる。セスティアルはその気質を得難いものだと思っていた。あのカイゼルが戦う術を知らない少年に侍従の地位を与え、一年近く経った今でも傍に置いているのは、『魔力を消し去る力』に加えてシオン自身を好ましく思っているために違いないのだから。
「カズイは決してひねくれた人間ではありませんから、きっとすぐに仲直りすることができますよ。……喧嘩をしていたわけじゃないのに『仲直り』というのも変かもしれませんが」
 青みがかった銀色の瞳が微笑を作った。月明かりのように輝くそれを見つめ、肩をすくめることで同意を示すと、エステラは実に『男らしい』動作で闇色の髪を払う。
「そうだな。それほどよく知っているわけではないが、あの少年を見ているととても温かな気持ちになる。心の優しさが外側に滲み出ておるのだろう。……ならば我々が心配することもないな」
「ええ。シオンとカズイならきっと大丈夫ですよ。あの二人は、ある意味ではとても近しい『同胞』なのですから」
 エステラと共に庭園を進み、『青の苑』の出口に足を向けながら、セスティアルはまるで歌うように言葉を続けてみせた。
「ということで、エステラ。ゴミ掃除をしてから我が君のところへ帰ろうと思うんですが、途中までご一緒しませんか? よかったら『転移』で送りますが」
「それはありがたい申し出だが……ゴミ掃除?」
「はい、ゴミ掃除。害虫駆除でも別にいいんですけど、害虫だって立派に生きている生き物ですし」
 ゴミと一緒にしたらかわいそうですからね、という儚げな呟きを漏らし、美貌の魔術師は口元に清雅な笑みを滲ませた。風が歓喜の声を上げて吹き抜け、長く伸ばされた黒髪を恭しく巻き上げていく。臣下が主君の髪に口づけるように。
「身の程知らずにも我が君を侮辱したゴミたちに、レイターである私が責任を持って『分際』というものを教えてあげませんと……ね?」
 穏やかに響いた声も、青い光に照らし出された笑みも、慈悲深い聖母が裸足で逃げ出すほど優しげなものだった。それを見やって軽く嘆息し、エステラは歩き出したセスティアルに続いて足を踏み出す。ブラス・ディン・フォーネル、ディック・ドーランという名を持つ『ゴミ』の顔を思い浮かべ、著しく熱意のかけた表情でその冥福を祈りながら。






    


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