2 太陽の王子





 吹きつける風はだいぶ春めいてきたが、やはり日が翳ってくると暖かさより肌寒さの方を強く感じる。
 薄くたなびき始めた雲に視線をやり、形のよい眉を軽くひそめると、シオンは薔薇の花と蔦模様の描かれたティーポットに手を伸ばした。取っ手をつかんでこちら側に引き寄せ、慣れた仕草で蓋の部分を持ち上げれば、魔術によって閉じ込められた熱がふんわりと湯気を立ち上らせる。ほのかな温もりが頬に当たるのを感じ、給仕に勤しむシオンは碧の瞳を柔らかく和ませた。
「フィオラ様、シェラナ様。ファルジオン葉とレイズブルー葉がありますが、どっちがいいですか? お好きな方を淹れますけど」
「どっちも好きだけど、今はファルジオンの方がいいかな」
 穏やかなシオンの問いかけを受け、金髪に空色の瞳を持つ少年がにっこりと微笑した。その横で同じ色彩をまとう少女が首を傾げる。
「シオンはどっちが好き?」
「僕ですか? ……僕もどっちも好きですけど。今飲むとしたらフィオラ様と同じ、ファルジオン葉がいいかもしれません。どちらかというと甘めでおいしいですし」
「じゃあ私もそっちにする」
 シオンと同じのが飲みたい、とはにかんだように笑い、シェラナは隣に座る双子の兄と楽しげな視線を交わしあった。
 風が悪戯っぽい動きで木々の間を吹きぬけ、フィオラとシェラナの輝くような金髪を宙に巻き上げていく。水晶時計が午後三時過ぎを告げる現在、シオン、フィオラ、シェラナ、カイゼル、そして押しかけ客人のエディオは、広い露台(バルコニー)にテーブルと椅子を引っ張り出して簡単なお茶会の真っ最中だった。
 白くなめらかな石造りのテーブルに、果物をふんだんに使った菓子やパン、芸術的な美しさを誇る茶器、花瓶にいけられた薄紅色の花などが並べられ、初春の風の中に心地よい香りを振りまいている。特に、双子が持参したセレニア・ルイス・シェインディア手製の菓子類はどれも絶品で、取り立てて甘い物の好きではないシオンですら大いに食欲をそそられた。
「……カイゼル様はレイズブルーの方でよろしいですよね。師匠はどうなさいますか?」
 ティーポットとそろいのカップに琥珀色の茶を注ぎつつ、シオンは向かい側に腰かけている主君と、その隣に陣取っている師匠に恭しい視線を向けた。
「そうだね。私もそっちをもらおうかな。ファルジオンの方がちょっと甘くて飲みやすいけど、レイズブルーの苦味のある大人の味も捨てがたいしね」
「だそうだ、シオン。こいつには苦味のある出がらしの茶を振舞ってやれ。それでももったいないくらいだがな」
「あ、そういうこと言うかい? 仮にも客人に対して当主が言って台詞じゃないよ、カイザー」
「誰が客人だ? この場にいるのはガキ共を除けばあつかましい馬鹿一人だろうが」
 いつもどおりと言えばいつもどおりな二人の会話に、フィオラとシェラナが風のざわめくような声で小さく笑った。今僕も『ガキ』の範疇にふくまれた気がする、と遠い目で胸中に呟き、シオンも唇の端に淡い苦笑を滲ませる。
 カイゼルの台詞はどこまでも冷たいものだったが、エディオは親子の談笑の場に違和感なく溶け込み、それが当然のような態度で自分の居場所を確保していた。幼馴染の名は伊達ではないということだろう、どれだけ邪険に扱われてもまったく気にせず、とぼけた表情で差し出されたカップを受け取っている。もっとも、カイゼルが本気でエディオを邪魔者だと認識した場合、彼は一秒ともたずに屋敷の外まで放り出されただろうが。
「……いつもいつも思うけど、君のその態度は子どもたちの教育に悪いよ、カイザー。王子と姫が笑ってるじゃないか」
 ねぇ、と冗談めかして同意を求めてくるエディオに、フィオラとシェラナはよく似た表情で軽く笑い声を立てた。
 男女の違いはあるものの、驚くほど似た雰囲気を持つ双子なだけあって、二人が身にまとっているのは同じような仕立ての衣装だった。フィオラが着ているのは白地に薄青の刺繍が施された上着と、ふくらはぎまでを覆う七部丈の黒いズボン。シェラナが着ているのは兄の服をワンピースにしたものと、紐を編み上げて固定する形の踵が高いサンダル。
 その上に陽光を思わせる金髪が落ちかかり、降りそそぐわずかな日差しを浴びてきらきらと輝いていた。フィオラの髪は背の半ばまで伸ばされた直毛、シェラナのそれは腰まで流れ落ちるゆるやかな巻き毛、という差はあったが、どちらも思わず目を見張るほど清冽に煌き、天使のような愛らしい造作をまばゆい光で彩っている。
 一見したところ、その外見にカイゼルからの遺伝を感じさせる要素はない。誰もが母親似と口をそろえる容姿だったが、自分でも不思議なことに、シオンは双子とカイゼルをよく似た親子だと捉えるようになっていた。ふとした瞬間にのぞく瞳の色や、言葉の端々に滲む意思の強さに、外見とは関係ない確かな血のつながりを感じるためかもしれない。
 そしてその傾向は、兄であるフィオラの方により顕著に現れていた。
「……いいな、父上様とエダは仲良しで。いつも思うけど見てて楽しい」
「うん。私とカイザーが仲良しなのは疑う余地のない真実だけど、この会話を聞いてもなお仲良しと言い切れる君は将来有望だと思うよ、王子」
 王子、という彼独自の呼びかけに対し、フィオラは邪気を感じさせない表情で口元をほころばせた。
「だって父上様、エダを罵倒してる時すごく楽しそうだから。父上様は大嫌いな相手を完膚なきまでにやり込めてる時と、軽蔑してる相手が何かしらの理由で失脚するのを見る時と、仲のいい相手を気のすむまでいじり倒してる時が一番楽しそうなんだよ。エダだって知ってるだろ?」
「とっても誇らしげな口調が何とも言えず素敵だよ、王子。っていうかシオン、こういうのを何ていうんだっけ? ほら、君のいた世界の言葉で」
「……えぇと、一応ファザコン、という言葉がありますけど、この場合は……」
 途方に暮れたようなシオンの答えは、カイゼルの低い笑い声によってあっさりとさえぎられた。
「お前も言うようになったじゃないか、フィオラ。だが一つ足らんな」
「足りませんでしたか?」
「ああ。歯向かってくる敵を最後の一人まで叩き潰す時も、だ。ちゃんと覚えておけ」
「はい、父上様」
 すっきりした表情で顎を引き、フィオラは偉大な父親に尊敬のこもった眼差しを向けた。シェラナも兄の隣で瞳を輝かせ、口をつぐんだまま熱心に頷いている。シオンでなくとも双子の将来が心配になる光景だった。
「……フィオラ様。ほら、お茶が冷めてしまいますよ」
 フィオラたちの意識をこちらに引きつけるべく、シオンは琥珀色の液体が揺れているカップを指し示し、優しい仕草で双子の顔を覗き込んだ。シオンは間違いなくカイゼルに心酔しているが、この可愛らしい子どもたちが主君そっくりに成長する未来を思い浮かべると、全力で阻止しなければならないという使命感が湧き上がってくるから不思議である。
 そんなシオンの内心を知ってか知らずか、フィオラは笑顔の中に純粋な好意をにじませ、近くに立っている侍従の少年に大きく頷いてみせた。
「うん。シオンも後でちゃんと飲まなきゃ駄目だよ。シェラナも、まだちょっと熱いから気をつけて」
「はい。ありがとうございます、フィオラ様。……シェラナ様は猫舌なんですよね。もう少し冷めるまで何か食べてますか? こっちの焼き菓子がまだたくさん残ってますけど」
 取りましょうか、と優しく問いかけるシオンに、シェラナはどこか大げさにも見える動作で首を振った。
「大丈夫。もうけっこう冷めてるから」
「そうですか? 気をつけて下さいね」
「うん。シオンもちゃんと飲んでね。これ、おいしいから」
「はい」
 シオンが柔らかい笑みを浮かべて頷くと、シェラナも宝物をもらったような表情でふわりと微笑した。
 微笑ましいシオンと双子のやり取りを見やり、エディオは妙に年齢を感じさせる動作で両腕を組み合わせた。濃い紫の瞳を楽しそうに細め、隣に座っている幼馴染にからかうような視線を投げる。
「いいねぇ、カイザー。青春だね」
「何が言いたい、エダ?」
「別に? ただ、娘にあそこまで嬉しそうな笑顔を見せられて、お父さんとしてはどんな気持ちかなぁと思っただけだよ。……もう姫は十一歳だろう? 大貴族の娘なんだから、あと二年もすればお嫁にいける年齢だしね」
「で?」
「だから、いつか姫もどこかにお嫁にいっちゃうんだよなぁと思って。……うわぁどうしよう、今普通にその相手を殴りたくなってきた」
「意味のわからんことを言うな。何でお前が相手を殴る必要がある。そもそも、殴らなきゃならんような馬の骨がシェラナに近づけるはずがないだろう」
「へぇーえ」
 わざとらしいほど驚いた表情で眉を上げ、エディオは楽しげに会話しているシオンとシェラナに瞳を向けた。
「なるほど。馬の骨は姫に近づくことさえ許さない、というわけだね」
「それがどうした」
「いいや、別に。……ああそういえば、もうじき皇宮の『薔薇の間』で恒例の舞踏会があるだろう? どうだい、変な虫が寄ってこないように、シオンに姫の相手役を任せたら」
 エディオは相手の出方を伺うように首を傾げたが、カイゼルが予想に反して薄く笑みを浮かべたのに気づき、悪戯が失敗した子どものようにそっと肩をすくめた。それを見やってカイゼルが鼻を鳴らす。
「で、お前は何を企んでる、エダ?」
「今の時点では何とも。――――でも、そうだね。たぶん君が予想しているとおりのことだよ」
「なるほどな。……が、その前に向こうが何か仕かけてくる可能性の方が高い。『影』が動き出した以上、あまり猶予はないと考えた方がいいだろう」
「わかってるよ。だからもちろん、こちらもできる限りの手は打っておかなきゃならないね」
 途中から子どもたちが聞き取れない程度に声をひそめ、騎士団長と軍師として言葉を交わしていた二人は、フィオラが空色の瞳でこちらを伺っていることに気づき、まとわせていた緊張感をあっさりと霧散させた。
「何だ、フィオラ」
「……あの、父上様。シオンも舞踏会に出るんですか?」
「出ようと思えば簡単に出られる。シオンは俺の侍従であると同時にこの馬鹿の弟子だ。軍師補佐の身分を持っている以上、俺とエダが招待されれば堂々とついて行けるからな。それが何だ?」
「いえ」
 貴族の子弟らしい優雅な動作で首を振り、座っていた椅子から音もなく立ち上がると、フィオラは小走りにカイゼルとエディオのもとへ駆け寄った。不思議そうに首を傾げる妹たちに何でもない、と笑いかけ、少し背伸びをするようにして父親に顔を近づける。
「だったら、一回でいいからシェラナとシオンを一緒に踊らせてあげたいんですけど、駄目ですか?」
「ほぅ?」
「僕たちはまだ十一ですけど、十歳になった頃から小さな舞踏会や懇談会には顔を出してますし。いろんな人が声をかけてくれますけど、シェラナはたぶん、シオンと踊りたいと思ってます」
 フィオラの口調はひどく真摯なものだったが、そこには妹を思いやる優しい情感がこめられていた。
 彼の言葉が聞こえなかったのだろう、シェラナとシオンが困惑気味に視線を合わせ、まったく同じ仕草で小さく首をひねっている。それをちらりと横目で見やり、カイゼルはわずかながら優しさの垣間見える表情で唇を持ち上げた。
「そうか。で、お前はそれを叶えてやりたいんだな?」
「はい。僕はシェラナもシオンも大好きですから。……できたら、シオンには僕の義弟(おとうと)になってほしいです」
 その言葉を聞いた瞬間、黒髪の軍師が堪えきれないとばかりに噴き出し、あさっての方向を向いて小刻みに肩を震わせ始めた。目を丸くするシオンとシェラナに片手を振り、気にするなと伝えながら必死になって笑いを噛み殺す。そんな幼馴染にひややかな目を向け、目の前に立っている小柄な息子に向き直ると、カイゼルは深青の瞳を細めてなるほど、と呟いた。
「義弟か。面白いことを言い出したな、フィオラ」
「そうでしょうか?」
「ああ。……だが、悪くはない」
 シオンはその時のカイゼルの表情を目にしていなかったが、もし見ていたら息を呑んでその場に固まっていただろう。それは楽しげでありながらどこまでも鮮烈な、王者にしか浮かべることのできないカイゼル特有の笑みだった。
「いいだろう。協力してやる」
「本当ですかっ?」
「ああ」
「ありがとうございます、父上様」
 空色の瞳をきらきらと輝かせ、フィオラは尊敬する父親に向かって丁寧に一礼した。天使もかくやという繊細優美な美貌に、太陽を思わせるまぶしい笑みをにじませながら。






    


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