不幸な騎士とカボチャのケーキ


 


 じきに冬の足音が聞こえてこようかという時分のわりに、テラスへと差し込んでくる日差しは眠気を誘うほど暖かかった。
 柔らかな光を全身に浴びつつ、貴族の子弟や夫人たちがテーブルを囲み、めいめいくつろいだ様子で会話に花を咲かせている。時おり梢の合間からそよ風が吹き抜け、夫人たちのドレスやまとめそこねた髪をそよがせていくが、テラスに満ちているのどかな暖気を損なう要因にはなっていなかった。もしこの場に異世界から召還された少年がいたら、「アポロが喜びそうな天気だな」と淡い碧色の瞳を和ませただろう。
「……セス」
 だが、天候がこの上ない機嫌のよさを見せているからといって、すべての人間がその恵みに感謝しているわけではなかった。
 形のよい眉を思いきり寄せ、地を這うような声で同僚の名を口にすると、カズイ・レン・ヒューガは眼前で微笑んでいる魔術師に真剣な眼差しを向けた。その表情は剣呑さを感じさせるほど固かったが、眼差しだけは内心の苦悩を示すように小さく揺れている。
 沈鬱ささえ感じさせるカズイの表情に、セスと呼ばれた美貌の青年、レイター・セスティアル・フィアラートはひどく優雅に首を傾げてみせた。さらさらと揺れる黒髪から目をそむけ、カズイはテーブルの下できつく両手を握り締める。
「……なあ、セス。お前は俺の同僚で、同じ第一位階の騎士で、大切な友人だ。だから、お前の気持ちは確かに嬉しい」
 雲行きの怪しくなってきた会話の内容に、周囲にたむろしている夫人たちがちらちらと好奇の視線を送ってきた。中にはあからさまに身を乗り出してくる者もいたが、今のカズイに周囲へ目を向ける余裕など存在していない。
「けど……けどな。俺にはずっと前から、心に決めたたった一人の人がいるんだ」
 青みがかった銀の瞳をひたりと見つめ、強い意思をこめた口調で重い口を開く。自分の思いだけは伝えなければならないという、ある種の使命感にも似た決意を固めながら。
「だから、せっかくだけどお前の気持ちは受け取れない。悪い、セス」
「……ずいぶんとおかしなことを言うんですね、カズイ」
 カズイの悲痛な言葉を受け止めたのは、意外そうに見張られた銀青の瞳と、余裕の感じられる美しい微笑だった。白い指先がそっと伸ばされ、向かい側に座っているカズイの肩へ優しく触れる。
 月明かりを思わせる双眸が艶かしく細められた。
「少しの間だけでいいから一緒にいてくれと、通り過ぎようとした私に声をかけてきたのは貴方でしょうに。今になってそんなことを言われても困りますよ」
「誤解を招く発言をするな――――っ!!」
 椅子ごと後ずさりながら絶叫し、一瞬でテラス中の注目を集めてのけた同僚の騎士に、セスティアルはくすくすと耳に心地よい笑い声を立てた。落ちかかってきた黒髪をはらいのけ、悪戯っぽい表情でカズイの顔を覗き込む。
「いえ、ここはのってあげるべき場面かな、と思って雰囲気を出してみたんですが。間違ってましたか?」
「のるな、流せ、全力で冗談だ!! というか冗談に紛らせてすべてを曖昧にしようという俺の防衛本能と真心の結果だっ!!」
「何を言ってるのかさっぱりわからないんですが、とりあえず落ち着いて下さい。注目されてますよ?」
「黙れ諸悪の根源っ!!」
 セスティアルから若干の距離をとったまま、カズイは哀愁さえ感じさせる動作で頭を抱え、すさまじい勢いで不幸を呼び寄せる己の体質を呪った。
 現在彼を襲っている不幸は、共に食事を取る約束をしていた幼馴染から連絡が入り、急用のせいで行けなくなってしまった、と告げられたことから始まった。彼らの役職が多忙を極める騎士である以上、直前になって連絡してきた幼馴染を責める気にはならないが、やはりひたひたと押し寄せてくる一抹の寂しさはぬぐいようがない。そうして空いてしまった時間をつぶすべく、テラスの一角でぼんやりとティーカップを傾けていたところへ、顔見知りの魔術師が暇そうな風情で通りかかったのだ。声をかけて同席をすすめたのは当然の行動だろう。
 だけどな、と呻くような声で呟き、カズイはちらりとテーブルの上に視線を投げた。そのせいで不幸の根源とでもいうべき物体を直視してしまい、どうしようもないわびしさを感じながらぐったりと脱力する。
「……そんな恐怖の兵器を持ってるなら最初から言っとけよ、頼むから」
「はい?」
 カズイの呟きが聞き取れなかったのか、不思議そうな面持ちで首を傾げるセスティアルの眼前に、『それ』は禍々しい威圧感さえ漂わせて鎮座していた。
 何より気になるのは、毒々しい光沢を放つ『それ』の色彩と、わずかな風に乗って流れてくる刺激臭だった。黒と赤と茶色と灰色を混ぜ合わせ、限りなく適当な形にちぎり、仕上げに鼻がまがるほどの臭気を加えれば、ちょうどテーブルの上に乗っている『それ』の姿が出来上がるだろう。叶うことなら認めたくなかったが、カズイはこれとよく似た物体を戦場で見かけたことがあった。軍馬の蹄によって踏みにじられ、大地にこびりつくように転がった人体の一部だ。 
 その姿だけでも恐怖に値するというのに、『それ』は縁に蔦模様の描かれた皿に乗せられ、己が『食物』に属するものであると高らかに宣言していた。すぐ傍には瀟洒な細工のフォークが寄り添い、さあ食えと言わんばかりに無言の圧力をかけてくる。
 セスティアルがどこからともなく『それ』を取り出し、にこやかに笑いながら食べるように促してきた瞬間、そんなに俺が憎いか――っ、と声なき声で絶叫したからといって、カズイの精神を軟弱だと責めるのは酷というものだろう。『食べたら腹を壊す』という次元を飛び越え、『食べたら間違いなく死ぬ』という高みにまで達している物体を、今まさに咀嚼して嚥下するように求められているのだから。
 テーブルの上に上体を伏せ、ひたすら己の不幸を嘆いている同僚の騎士に、セスティアルはそれさえ優美な仕草で瞳を瞬かせた。
「カズイ? さっきから疑問だったんですが、具合でも悪いんですか?」
 いきなり寸劇を始めたかと思ったら今度はテーブルに突っ伏したりして、という疑問の声を受け、カズイはこめかみを引きつらせながら小さく首を振った。今すぐ椅子を蹴って立ち上がり、脇目もふらずに安全な場所まで逃走すればいいのだろうが、基本的にお人好しなカズイはどうしても椅子から体を引き離すことができない。
「……何でもない」
「そうですか? カズイは多分風邪を引かないと思いますが、一応気をつけて下さいね」
「おま……っ」
 それは俺が馬鹿ってことかこの野郎、と渋面を作りつつ、カズイは皿の上に乗っている恐怖の物体を指差した。
「……それで、これ。どうしたんだ?」
「このケーキですか?」
「ケーキだったのか!?」
 ぎょっとしたように目を見張るカズイに、セスティアルは幼い子どもを見るような表情で小さく笑った。これがクッキーに見えますか、と。
 クッキーどころかひしゃげた肉塊にしか見えないのだが、カズイはその問いに対しては慎ましく沈黙を守った。代わりにぎこちなく首を傾げ、ケーキと呼ばれた『それ』からセスティアルの瞳へと視線を移す。
「この……何だ、ケーキ?」
「どうしてそんなに言いづらそうなのかわからないんですが、ケーキが何か?」
「いや、お前が作ったんだろ? これ」
「ええ。私もよくは知らないんですけど、シオンの世界ではちょうど今くらいの時期に『ハロウィン』というお祭りをするそうなんですよ。何でも、子どもたちが化け物に扮して大人たちの間を練り歩き、命が惜しくば菓子をよこせ、と要求しても罪にならないお祭りなんだとか」
「怖いだろう普通にっ!!」
 この場にシオンがいたら違いますっ、と全力で訂正しただろうが、カズイはセスティアルの誤解を解くだけの知識を持ち合わせていなかった。子どもたちが世にも恐ろしい化け物に姿を変え、刃物を片手に「命が惜しくば菓子をよこせ」と要求する様を想像してしまい、何とも言えない微妙な表情で眉間に皺をよせる。
「……で、その怖い祭りがなんだって?」
「そのお祭りでは、慣習としてカボチャを使ったお菓子を作るそうなんです。シオンが賄い処でカボチャのケーキを作っていたので、せっかくですから作り方を教えてもらったんですよ」
「ちょっとあいつに話がある」
 流れるような動作で席を立ち、そのまま身を翻して駆け去ろうとしたカズイのマントを、静かに伸ばされたセスティアルの右手があっけなく捕らえた。ぐえ、と鋭角的にのけぞったカズイを見やり、銀青の双眸が柔らかな笑みを形作る。
「そんな怖い顔をしてシオンのところに行ったら怯えられますよ、カズイ? それに、せっかく持ってきたんですから味見くらいして行って下さい」
「……」
「見た目はあんまりよくないんですけど、味はそこまで悪くないと思いますよ。私は一口くらいしか食べてないので偉そうなことは言えないんですが」
「食ったのかよ!?」
「ええ。さすがに一度も味見していないものを人に食べさせるのはちょっと、と思いましたから」
 焼きあがったときに軽く食べてみました、と柔らかくささやき、セスティアルは立ったままのカズイにけむるような笑みを向けた。
 セスティアルの心がけは確かに立派だったが、この物体を食べて「そこまで悪くない」と判断する舌など、あらゆる毒に耐性のある鈍感な毒見係並みに信用できない。さすが団長の腹心だぜ、と悲壮感の漂う口調で呟きつつ、カズイはこの場から逃亡することを諦め、掴まれたままのマントを引いて椅子に座りなおした。そのまま決然とした表情で居住まいを正し、目の前に置かれているカボチャのケーキを睨みつける。
 今さら確認するまでもないことだが、カズイがセスティアルに勝てる可能性など万に一つもなかったのだ。
「……わかった」
 ややあって吐き出された敗北宣言は、前面降伏を告げる総大将の声のように重く響いていった。
「その代わり、頼みがある」
「はい?」
「次に会った時でいい、エレアに伝えてくれ。俺は勇敢に戦ったと……」
「……さっきの寸劇の続きですか?」
 目を瞬かせるセスティアルに力のない笑みを向け、カズイは強張る指を叱咤しながら銀製のフォークを取り上げた。毒々しい色合いから可能な限り目をそらし、フォークの先でケーキの一部分をすくい取る。
 最後の望みをかけてぐるりと周囲を見渡したが、こちらをうかがっていた夫人たちでさえ明後日の方を向き、わざとらしいまでの大声で自分たちの会話を続けていた。誰であっても己の身がかわいいということだろう。
 人間なんてそんなもんだよな、と唇の端で笑い、何かを堪えるように瞑目すると、カズイは殉教者を思わせる潔い態度でケーキの欠片を口に放り込んだ。吐き出さないように口を押さえ、ほとんど噛まずに一息で飲み下す。
 ふいに穏やかな風が吹きぬけ、ざわざわという潮騒にも似た音を奏でていった。風に遊んだ黒髪を背中に追いやり、首を傾げながらどうですか、と問いかけたセスティアルの目の前で、カズイはどこか緩慢にテーブルの上へと突っ伏し。
 そのままぴくりとも動かなくなった。





「……あああすみませんカズイ様、僕がセスティアル様によけいなことを教えてしまったばっかりに……!」
「確かによけいなことだったが、被害が奴一人ですむなら別に問題はないな」
 生垣の中に身をひそめ、テラスの様子をうかがいながら己の浅慮を悔やむシオンに、手近な木の幹に長身を預け、呆れた表情で腕を組んだカイゼルがあっさりと言い捨てた。そんなっ、と慌てた顔になるシオンを見やり、どうでもよさそうな態度で腕を組みなおすと、名誉の殉死をとげた部下に深青の瞳を向ける。
「シオン。セスが作ったのはあれ一つか?」
「……あ、はい。もともと材料が多くなかったみたいなので。本当はその……カイゼル様に召し上がっていただきたかったみたいなんですが」
「俺は緊急の仕事で執務室にいない、とお前がセスに伝えたんだな?」
「……はい」
 それはシオンがとっさについた嘘だったが、おかげでカイゼルは『カボチャのケーキ』の魔の手を逃れ、こうして離れた場所から犠牲になったカズイを眺めていられるのだ。生垣に張りついているシオンを見下ろし、カイゼルは唇の端に薄い微笑を滲ませた。
「よくやった、シオン」
「……っ、はい!」
 ぱっと顔を輝かせた侍従の少年に、長身の騎士団長は傲岸な仕草で顎をしゃくってみせた。
「気が済んだならもう行くぞ。フィオラとシェラナがお前の作った菓子を食いたがってたからな」
「……あ、でも、カズイ様は……」
「放っておけ。真剣に呼吸が止まったらセスが治癒の魔術で何とかするだろう」
「えぇと……」
「何だ? お前が『セスの作った菓子の行方が気になる』と言うからこうして見に来てやったんだろうが。まだ何か問題があるのか?」
「いえっ、そういうわけでは!!」
 カズイの安否は気にかかるが、それは主君の機嫌と天秤にかけられるほどの重大事項ではない。内心で倒れ伏しているカズイに謝りつつ、シオンは蔓薔薇の生垣から体を離し、踵を返したカイゼルに従って秋の庭園を歩き始めた。どこまでも従順なシオンを首だけで見返り、カイゼルは何かを思い出したように悪戯めいた笑みをよぎらせる。
「ああ、言い忘れてたがな。シオン」
「はい?」
「フィオラとシェラナが意味のわからん仮装をして『菓子を下さい』と言いにきたんだが」
 何か心当たりはないか、という楽しげな言葉に、シオンは返すべき言葉を完全に失って硬直した。








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