黄金の国レファレンディア 1


 


 レーヴァテイン大陸には、ほとんどの国々で使われている大陸共通語の他に、『古き貴き言葉』と呼ばれる神話時代の言語がある。
 今では呪文の詠唱や礼拝の際にしか使われないが、音そのものに力が宿るという謂れに従い、国の名前や王族の神名(しんめい)に用いられることも多かった。中央の大国『ランドーラ』は『権勢』、硝子の国『レフュロス』は『銀の月』、魔術師の国『デリスカリア』は『理の代弁者』という意味の国名を持ち、その歴史の古さを高らかに謳いあげている。古き貴き言葉を国の名に掲げ、レーヴァテインを支える十二の神に加護を願っているのだ。
「……『レファレンディア』か。なるほど、確かに『黄金』だな」
 見上げるほど高い王城の門をくぐり、どこか優しい仕草で青の瞳を細めると、アーシェは並足で馬を進めながら穏やかに呟いた。
 アーシェの記憶が正しければ、『レファ』は『最も美しいもの』、『レンディア』は『黄金』を意味する古き貴き言葉だった。『最も美しき黄金』の名が示すとおり、レファレンディアはいたるところに太陽の恩恵を受け、白亜の建物を柔らかい金色に輝かせていた。
「建物に金が使われてるわけじゃないのに、街や城全体がうっすらと光って見える。綺麗な国だ」
 顔の動きだけで背後を見返り、瞼の裏に通り過ぎてきた城下の街並みを描き出す。白や薄青の石で作られた家々も、まっすぐに伸びる煉瓦の道も、その両脇に植えられた春の花も、大陸中を旅してきたアーシェを感動させるほどの美しさをいっぱいに湛えていた。よほど気候のよい土地柄なのだろう、花は露をふくんで瑞々しく咲きこぼれ、樹木は葉をしげらせながら空を目指し、王都レスファニアの街を優しい色彩で彩っている。できる限り人目を引きたくなかったため、フードを目深にかぶって馬を進めていたのだが、それでもアーシェの肌に触れてくる風は心地よかった。引き締めていた口元がゆるんでしまうほどに。
 そして今、アーシェの眼前にはレファレンディアの王城がそびえ建ち、その壮麗な威容を惜しげもなく見せつけていた。
 丘と呼べるほどではないが、王城のある場所は城下の街に比べると少しだけ高くなっている。背後には人の手の入っていない森が広がり、前方には斜面を利用した広場が作られ、自然な雰囲気と洗練されたたたずまいを綺麗に調和させていた。氷のように透きとおる白い石で出来ているにも関わらず、そこには人を拒絶する冷たい空気はない。建物全体に多用された曲線と、光を吸収してやんわりと輝く石の材質が、『黄金の国』の王城にふさわしい豪奢な美しさを演出しているのだろう。
「な、綺麗な家だろ? ちょっとでかすぎて移動には不便だけどな」
 アーシェの呟きが聞こえたのか、隣で馬を進めるクレスが嬉しそうに笑みを漏らした。
「これでも他の国に比べたら質素なんだぜ? まあ、あんまり華美なのは好きじゃねえし、暮らすんならもうちょっとこじんまりしてる方がありがてえんだけどな」
「そうだな。城を指して『家』っていうのはちょっとどうかと思うが」
「何だよ、俺はここに住んでんだから俺の家だろ、家」
「本当に小庶民な発想をする王さまだな、おまえは」
 呆れのまじった口調で呟きを漏らし、アーシェはすっかり手慣れた様子で馬の手綱をしぼった。厩番と思しき男たちが姿を現し、恭しい態度で馬から下りるように促してきたからだ。
「お帰りなさいませ。ご無事で何よりでございました、陛下」
「われら一同、陛下の無事なお帰りを心よりお待ちしておりました」
 深い喜びと安堵がうかがえる声音だった。ファレオや城下の民たち同様、彼らも王であるクレスを心から慕っているのだろう。
「ああ、遅くなって悪かったな」
 黒馬の鞍から身軽に飛び降り、厩番の手に手綱を渡すと、クレスは紅の瞳をすがめて闊達に笑った。
「俺のと、こいつの馬を頼む。ファレオは先に行ってるだろ?」
「はい。細かな雑事はファレオさまに任せ、陛下はすぐにお部屋で休まれますよう、とのことでした」
「あー、あいつは仕事の虫だからな」
 どこか楽しげな表情で小さく笑い、クレスはフードをかぶったままのアーシェを片手で差し招いた。
「とりあえず、城の中に入ろうぜ。色々案内したいところもあるし、服だって着替えたいしな」
「……たった今、すぐに休んでほしいというファレオの伝言を聞いた気がするのは私だけか?」
「細かいところは気にすんな。ファレオだって俺が大人しく休むとは思ってねえよ」
 いつものことだ、と子どものような口調で断言し、クレスはとまどった様子で首を傾げている厩番に向き直った。彼らの目は一様に「その方はどなたで?」と語っていたが、気づいていない風をよそおって明るく笑い、長年の友人にするようにその肩を片手で叩く。
「じゃあ頼んだぜ。俺たちは行くから」
「は……」
 感極まったように頭を下げ、歓喜と敬愛をこめてクレスを見つめる厩番たちに、アーシェはこの国に来てから何度目か知れない苦笑を漏らした。
「……本当に、妙な王さまの治める妙な国だな」
「ん? 何か言ったか?」
「いや」
「そっか? ならいいけどよ。……じゃあ城ん中行こうぜ」
 唇の端を持ち上げてにっと笑い、クレスはアーシェを促して王城へと足を向けた。
 開放的な雰囲気を示すように、正面にあつらえられた扉は大きく開け放たれ、中で働く人間や武装した兵士たちの通り道となっていた。クレスの説明によると、城門が開くと同時に正面の扉も開放され、再び閉められる日没まで出入り自由になっているらしい。魔術師を用いた警備の兵が常駐されている以上、その大らかさを無用心だと責める気にはならないが、アーシェは何となく釈然としない思いで首を傾げた。
「……何というか、この国を見てると王族や王城に抱いてきた印象が一変するな」
「だろ?」
「何でそこで嬉しそうな顔をするのか聞いてもいいか?」
「だっていい意味で一変するんだろ? 王族とか王城とかに抱いてた印象が」
「……否定はしないが」
「よし!」
 ものすごく不本意そうな顔で答えたアーシェに、クレスは扉をくぐりながら嬉しそうに頷いた。足早に歩いていく二人に気づき、城の人間が顔を喜びに輝かせて次々に礼をする。すでにアーシェの噂が伝わっているのか、フードに隠された美貌へ好奇の視線が集中し、熱のこもったささやきが城内の空気を揺らしていった。
「なぁアーシェ。そのフード、取らねえのか?」
「取らない」
「何で。いいじゃねえか、取っても」
「逆に何で取らなきゃいけないのか、私にもわかるように簡潔に説明してみろ」
「そりゃおまえ、これが俺に味方してくれる戦神シエルの御子だぜどうだ美人だろはっはっは、って見せびらかしたいからに決まって……」
「斬り飛ばされたいのか?」
 アーシェの手が腰の剣に伸びたのを見やり、クレスは笑顔を引きつらせながら上半身をそらした。
「……いや、アーシェ。冗談が通じねえとモテねえぞ。半分近くは本気だけど」
「黙れ。本気で斬るぞ」
「どこを? とか聞くと実行に移されそうだから聞かねぇことにする。つーか待てって。ほら見ろ、周りのやつらがびっくりしてるだろうが」
「誰のせいだ、誰の」
 ほんのわずかに決まり悪そうな表情を作り、アーシェは剣の柄に添えていた右の手を下ろした。目を見張っている聴衆に手を振り、気にしないで仕事に戻るよう促すと、クレスは懲りてないとしか思えない顔で両目を細めた。
「ま、顔で目立ちまくるってのも考えようによっちゃ面倒くせえか。経験がないからわかんねえけど」
「おまえは名前と身分だけで十分目立つだろう。……顔もまあ、上級の部類に入ると思うが」
「おっ、そうか?」
 ぼそりと漏らされた呟きを耳ざとく拾い、クレスは何のてらいもない表情で破顔した。
 アーシェの言葉は世辞や追従の類ではなかった。神々しくさえあるアーシェの美貌には及ばないが、襟足のあたりで切り散らした黒髪にも、紅玉を思わせるめずらしい色の瞳にも、適度に日に焼けた端正な顔にも、人の目を引きつけてやまない絶対的な魅力がある。戦神シエルの写し身と言っても過言ではないほどだ。
「美形に顔褒められてもあんま嬉しくねえけど、アーシェに褒められると何か嬉しいよな」
「……その違いは何だ、その違いは。っていうか私は美形で決定なのか」
「おう」
 おまえが美形以外の何だってんだ、とあっさりした口調で言い切り、クレスはどこか誇らしげな態度で胸を張ってみせた。
「違いっつーのはあれだ、友達に褒められたら普通は嬉しいだろ? 見ず知らずの他人に褒められるより」
「そうか。で、いつ私とおまえが友達になったんだ?」
「あっ、おまえそういうこと言うか!? 俺の繊細な硝子細工の心は今の一撃で修復不可能なまでに破壊されたぞ!?」
「魔術で加工された強化硝子の心、だろうが。繊細という言葉に土下座してわびろ」
 レーヴァテインでも五指に入る大国の王と、一人で獣人十体以上をほふってのけた魔術師の会話に、周囲の人間は度肝を抜かれた風情で目を丸くした。アーシェの態度があまりにも堂々としているせいか、不敬罪だという発想が脳裏をよぎることさえないらしい。ぽかんとした表情で臣下たちが見守る中、アーシェとクレスは幅の広い廊下を渡りきり、隅の方にしつらえられた扉の前で足を止めた。
「……何だ?」
「客室みたいなモンだ。すぐに着替えを持って来させるからここで待っててくれ。俺もちょっと着替えてくる」
「それは別にかまわないが、着替えの手伝いはいらないからな?」
 青い瞳がやや剣呑に細められた。
「人に着替えを手伝われて喜ぶような趣味は持ち合わせてない。着替えを持って来たらすぐ下がるように言っておけ」
「奇遇だな、俺も手伝われるの好きじゃねえんだ」
「いや、おまえはそれだとまずいだろう。仮にも一国の王が」
「いいんだよ、別に。ひとりで着るのが面倒な正装はちゃんと手伝わせてるしな」
 あっさりした動作で肩をすくめつつ、クレスはアーシェを伴ってこじんまりした客室に入った。
 部屋の面積こそ小さいが、国王の客に提供される部屋だけあって、一般市民が見たら目を剥くような調度がずらりとそろっていた。淡い白を基調とした壁、薄青のカーテンがはためく窓、レースで彩られた黒檀のテーブルなど、全体的に品のよい清楚さを感じさせる内装で統一されている。塵ひとつ落ちていない床を踏みしめ、フードを下ろしながら室内に視線を投げると、アーシェは口元をゆるめていい部屋だな、と呟いた。
「風とおしもいいし、調度品の趣味も悪くない」
「そうか? じゃあ後でアーシェの部屋も用意させっけど、こんな感じの内装でいいか?」
「ああ。私は別にここでもいいが」
「却下」
「……ちなみにその理由は?」
「ここじゃ俺の部屋から遠いだろ」
 何でそんな簡単なこともわからねぇんだよ、と言わんばかりの顔を見やり、アーシェはすべてを彼方に放り出した風情で溜息を吐いた。だいぶ慣れてきたとはいえ、クレスの言動にいちいち突っ込んでいては精神が持たない。
「……勝手にしろ」
「おう! ……んじゃアーシェ、服持ってこさせるから適当にくつろいでろよ。その旅装だってもうぼろぼろだろ?」
「そうだな、頼む」
 素直に頷いたアーシェに笑みを返し、クレスは漆黒のマントを翻して客間の扉に向かった。
「じゃあ後でな、アーシェ」
「ああ」
 ひらひらと手を振ってくるのに苦笑し、早く行けと言う意味を込めて片手を振り返してやると、クレスは実に満足げな表情を浮かべて扉を閉めた。律動的な足音が遠ざかっていくのを確認し、小さく嘆息しながら黒檀の机にもたれかかる。やれやれというように。
「……本当に、いつの間にか奇妙なことになったな」
 誰にともなく呟きをこぼし、アーシェは落ちかかってくる純金色の前髪をかき上げた。
「まあそれも、悪くはないが」
 わずかに開けられた窓から風が吹き込み、頭上で結われた長い髪をさらりと揺らしていく。全身を包む風はひどく優しかったが、アーシェは何かに気づいたように青の瞳を細め、硝子越しに広がる空へと視線を向けた。稀有な美貌がほんのわずかにかげる。
 レファレンディアの空はどこまでも青く、どこまでも高く、どこまでも明るく。不吉な予感を感じさせるほどに、ただどこまでも美しかった。






    


inserted by FC2 system