黄金の国レファレンディア 2


 


 自分のまとっている衣装に視線を落とし、アーシェは何とも表現しがたい顔で瞳を瞬かせた。
 クレスが事前に言い聞かせておいたのか、着替えを届けにきた女官の姿はすでにない。扉を開けてアーシェを見た途端、魂を抜かれた風情で硬直し、その手からバサバサと着替えの服を落としたのだが、我に返ってからの行動は実にすばやかった。申し訳ありませんっ、と悲痛な声で絶叫し、拾い上げた服をテーブルの上に投げ出すと、真っ赤にそまった頬を押さえながら駆け去っていったのである。
「それは別にかまわないんだが……な」
 疲労の色濃く滲んだ口調で呟き、アーシェは手触りのいい衣装を指先で引っ張った。
 彼がまとっているのは、白の長衣に黒のズボンという無難な組み合わせの上下だった。使われているのはかっちりとした布地だが、上から下へ流れ落ちるような線と、邪魔にならない程度に広がる袖とがあいまって、全体から受ける印象をなんとも優美なものに変えている。その上に袖のない形の上着をはおり、すらりとした形のズボンに足をとおせば、お忍びで遠駆けに出かけた王子さまの出来上がりだった。下手をすれば男装の姫君にさえ見えるかもしれない。
「……これは、いくらなんでも高価すぎるんじゃないか? むしろ少し派手だと思うのは私だけか?」
 動きやすさは申し分ないが、腰の部分をしぼる二重のベルトといい、わざと斜めに裁ち切られた裾といい、袖口にほどこされた銀糸の刺繍といい、普段着というより略式の盛装といった方がしっくりくる代物だった。見せつけるような華美さがない分、そこにある落ち着いた美しさは一級品の一言に尽きる。
 着てしまってから文句を言うのも気が引けるが、アーシェとしてはもっと質素で目立たない衣装を選んでほしかった。ただでさえ目立ちやすい体質なのだからなおさらだ。
「ひょっとしなくてもわざとか? ……ものすごくありえるな、あの馬鹿なら」
 地を這うようなアーシェの呟きは、数秒後にノックもしないまま扉を押し開け、ひょっこりと顔を覗かせた青年王によって完全に肯定された。紅の瞳がアーシェを捉え、軽く見開かれた後輝くような笑みに細められる。
「似合うじゃねえか、アーシェ。まるでどっかの貴族みたいだぜ」
 クレスらしいと言えばクレスらしい第一声に、アーシェはすさまじく恨みがましい口調でぼそりとささやいた。
「……派手だ」
「んなことねえよ。つーか、おまえは顔が派手なんだからこのくらいがちょうどいいんだって」
「顔が派手、っていうのはもしかして褒め言葉のつもりか、そこの馬鹿王?」
「そりゃもちろん褒め言葉だろ、普通に。……やっぱいいよな、美形が着飾ると見てて楽しいよなぁ」
 クレスの表情があまりにも満足そうだったからか、これ以上抗議しても無駄だと悟ったからか、アーシェはこめかみを押さえて諦めの息を吐いた。そこで初めてクレスの姿を視界に映し、長い睫毛に縁取られた瞳を小さく見張る。
「……そういうおまえも十分着飾ってるじゃないか。一応ぎりぎりでちゃんとした国王に見えるぞ」
「一応ぎりぎりで、ってのは余計だ。俺は十分格好いい王さまだろうが」
「子どもみたいに胸を張るな、根拠のないことを偉そうに言うな」
 胡散臭そうな表情で目を細めつつ、アーシェはクレスの爪先から頭までをざっと眺めやった。
 黒の衣装がよほど好きなのか、初めて会った時の戦装束と同様、まとっているのは上着からズボンまで闇の色で統一された部屋着だった。薄手の長衣の上に袖のない上着をかぶり、腰の部分を精緻な細工のベルトでとめ、刺繍のほどこされた裾を膝の下まで流している。黒一色では見栄えがしなくてもおかしくないが、刺繍に使われた光沢のある絹糸と、光の加減で模様を浮かび上がらせる上着に助けられ、国王の衣装として恥ずかしくない程度の豪奢さを演出していた。
「ま、あんまり豪華な衣装は好きじゃねえんだけどな。さすがに国王が質素な服着てたらまずいだろ? 臣下連中が洒落っ気のある服を着られなくなっちまうし」
「確かに。国王が着飾らないと、臣下たちの間で『質素な服を着ないのは王に対する非礼だ』なんて風潮が出来上がりかねないからな。そこそこ着飾るのも国王の仕事か」
「ああ。つっても動きにくいのは勘弁だし、金だの銀だのひらひらだの宝石だので飾られるのはごめんだしな。間を取ってこんくらいの衣装ってわけだ」
「なるほど。よくわかった」
 出会ってからまだ二日しか経っていないが、あっけらかんとしたその台詞は十分「クレスらしい」と思わせるものだった。思わず口元をゆるめたアーシェを見やり、衣装にそぐわない悪童めいた顔で笑うと、クレスは無造作な手つきで扉の外を指し示した。
「じゃあとりあえず、城の中を回ろうぜ。どっか見たいところはあるか?」
「……いや、おまえは休んだ方がいいんじゃないのか? そうじゃなかったら仕事をするとか」
「いらねえよ、別に。俺は頑丈だし、体力だってありあまってるからな」
「じゃあ仕事をしろ、仕事を」
「馬鹿言え。これで仕事始めたらファレオの奴がすっ飛んでくるぜ? 『休めって言ったのが聞こえなかったんですかいい加減にしなさいクレスレイドさまっ!!』ってな」
 わざわざファレオの声色をまねてみせたクレスに、アーシェはそこまでわかってるんだったら休め、と言わんばかりの眼差しを向けた。それに気づいているのかいないのか、クレスは妙に晴れ晴れとした表情で広い廊下を歩き始める。ほんのわずかに肩をすくめ、アーシェがそれに続いて足を踏み出した瞬間、まるで見計らっていたように紅の瞳が振り返った。
「そういや、アーシェは疲れてねえか? レスファニアに帰ってくるのに一日近くかかったし、砦の方でもばたばたしてただろ。休んだ方がいいか?」
「いや、ずっと仕事に追われてたおまえよりずっとマシだ。……というか、あれくらいの戦闘や移動で疲れるほど繊細な体はしていない」
「だよなぁ。見た目はすっげぇか弱そうなのにな」
「うるさい、せめて繊細そうと言え」
 青の瞳をじとりと据わらせたアーシェに、クレスはそりゃ悪かったな、とおどけた表情で片方の眉を上げた。出会ってから何度も抱いた印象だが、やはり間違っても一国を預かる国王陛下には見えない。ファレオをはじめとする臣下の心労が知れるというものだった。
「……これで国王っていうのはほとんど詐欺だな」
「あ? 何だ、何か言ったか?」
「別に。ファレオたちも苦労するだろうな、って言っただけだ」
 溜息まじりに言い捨てたところで、アーシェは何かに気づいたように眼差しを流した。柔らかな風がふわりと吹きすぎ、そこに落ちかかった純金の髪をそよがせていく。
 まっすぐに伸びていた廊下が終わり、代わりとばかりに外に面した吹きさらしの回廊が始まっていた。磨き上げられた白い床、等間隔に並ぶ列柱、優美な線を描くアーチ型の天井が、色とりどりの花々を突っ切るようにして隣の棟に渡されている。王城自体がいくつかの棟にわけられ、その間を吹きさらしになった回廊がつないでいるのだ。
 落ちかかってきた髪をさらりとはらい、優しい仕草で口元を和ませると、アーシェは隣を歩いているクレスに青の瞳を向けた。
「……外から見た時も思ったが、綺麗な城だな」
「だろ? レファレンディアの建築技術は大陸でも五指に入る、って言われてんだぜ」
「ああ。……それに、綺麗なだけじゃなくて守りやすそうだ。城壁らしい壁がないのには驚いたが、これなら十分篭城ができるな」
「いきなり思考がそっちに行くか、おまえ」
 クレスは呆れたように青の瞳を見下ろしたが、すぐに誇らしげな表情で軽く笑い、アーシェの視線を追ってレファレンディアの王城を見渡した。
 大国の城としてはめずらしいことに、レファレンディアの王城には城壁と呼べるだけの囲いがなかった。一見すると無防備な城だが、背後に広がる深い森と、城の周囲をぐるりと取り囲む堀と、やや高い位置に張り出す露台のような足場が、この建物が戦いに備えて作られた城塞であることを主張している。有事の際は城内に国民を収容し、足場に兵を配置して攻めてくる敵軍を迎え撃つのだろう。
「ひとつひとつの棟には城内からしか行けねえようになってるし、回廊を封鎖しちまえば城内に踏み込まれても時間が稼げる。その間に裏の森から逃げられるようになってるらしいぜ」
「らしい、っていうのはおかしいだろう、仮にも国王が」
「仕方ねえだろ? 逃げたことねえんだから」
 そこで一度言葉を切り、クレスはアーシェに視線を戻しながら表情を改めた。
「ま、このままじゃそうも言ってられねえ状況になりそうだけどな」
「……」
「今は間違いなく戦時中だ。状況も有利とは言えねえ以上、近いうちに篭城するはめになる可能性だって十分にある」
「……そうだな」
 最低限の言葉で答えを返し、アーシェはいつの間にかゆるやかになっていた歩みを速めた。
 優しい風が色とりどりの花を揺らし、回廊の上まで甘い香りを運んでくる。よほど腕のいい庭師が手かげたのか、いくつもの花が芸術的な配置で地面を彩り、回廊の周囲に広がる空間をちょっとした中庭のように見せていた。どこまでも穏やかな景色に目をとめ、自分でも無意識のうちに表情を和ませると、アーシェは隣を歩くクレスを仰いで小さく笑った。確かに差し込む光のように。
「たとえ状況が有利とは言えなくても、おまえは戦うんだろう?」
「当前だ。俺はこの国の王だからな」
「それなら私もつき合うさ。そういう約束だからな」
 あっさりと言い切ったアーシェを見やり、クレスは何のかげりもない表情でおう、と答えた。
「頼りにしてるぜ、アーシェ」
「ああ」
 そこで自然に会話がとぎれ、梢の立てるざわざわという音が静寂の支配者となった。穏やかな風が白皙の頬を撫で、落ちかかる純金色の髪を穏やかに巻き上げていく。
 改めて意識するまでもないことだが、レファレンディアに吹く風はアーシェに優しい。勝手気ままに歌う梢も、露をふくんで咲きこぼれる花も、木漏れ日を降らせる緑の木々も、まるで幼い頃から知っていた場所のように暖かく、愛おしい。
(……だからかもしれないな)
 さらりと落ちかかった髪をかき上げ、アーシェは形のよい唇に微笑を滲ませた。
(守りたいと、思えるのは)
 声なき声でぽつりと呟き、左目の方が色調の濃い瞳をわずかに細める。ふいに柔らかくゆるんだ気配に気づき、不思議そうな表情で首をかしげると、クレスはやや低い位置にある稀有な美貌を見下ろした。どうかしたのか、と。
 その瞬間のことだった。
「……クレス陛下」






    


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