許されない願いでも 3


 


 酒場の裏手に回ったとたん、さりげなさを装って眼前に立ちふさがった集団に、アーシェは何の感慨もふくまれていない冷めた視線を向けた。
 黒ずくめの服装に身を包んでいるわけでも、覆面で顔を隠しているわけでもないが、その身のこなしから職業を想像するのはたやすかった。手にした隠し武器で獲物を狙い、秘密裏に処理してのける暗殺の専門家だろう。
「……申し訳ありません、クレス殿。恐らくこいつらはレフュロスの者です」
 銀の前髪を無造作にかき上げ、ティアラは隣に立っているクレスを申し訳なさそうに振り仰いだ。
「先ほども申し上げたとおり、わが国はレファレンディアではなくランドーラと手を結ぶべきだ、と考える者が少なくはありません。だからと言ってこうまで直接的な手に出るとは思いませんでしたが……」
「思ったより過激派だった、ってことだな」
「そのとおりです。まったくもってお詫びのしようもありません」
 こめかみを押さえるティアラの前に、剣を引き抜いたジェスが自然な動作で歩み出た。緑の瞳がつめたい光をはらみ、大気中にひんやりとした輝きを刻みつける。
「こいつらの狙いはティアラザードと俺だろう」
「ジェス」
「近衛師団の一番隊隊長と副隊長がのこのこと出かけていった挙句、レファレンディアの手の者に殺害された。だから言わんこっちゃない、最初からランドーラと手を組んでおくべきだったんだ。いや、今からでも遅くはない。レファレンディアとは手を切ってランドーラと友好関係を結ぼうじゃないか。……おおかたこんな筋書きだろう。馬鹿貴族の言い分が簡単に想像できるな」
「確かに」
 どこまでも女性らしくない態度で宙を仰ぎ、ティアラは形のよい唇を笑みの形につりあげてみせた。
「……ということですので、クレス殿。貴方とエリュス殿は構わずお帰り下さい。いくら馬鹿の集まりとはいえ、貴方を弑そうとするほど愚かではないでしょう。レフュロスの馬鹿はわれらにお任せを」
「だそうだが、どうする、クレス?」
「そういうおまえは?」
 静かに紡がれたアーシェの問いに、クレスは面白がっているとしか思えない不敵な笑みを返した。アーシェはそれを見やって肩をすくめる。どうするもなにも、と。
「何度も言わせるな、今日の私はおまえの護衛だ。おまえの意思に従う」
「そうか。じゃあ頼む」
「わかった」
 必要最低限の言葉だけで会話を終わらせ、アーシェは腰の鞘から銀の細剣を抜き放った。ティアラが口を開こうとするのを片手で制し、滑らかな足取りでジェスの隣に並ぶ。緑の瞳に怪訝そうな光が宿った。
「……何だ?」
「クレスの意向だ」
 眉を寄せたジェスにさらりと返し、アーシェは青の瞳を鋭く細めた。
「数は……全部で二十か。五人任せる」
「あ?」
 何とも言いがたい表情で顔をしかめ、ジェスは隣にたたずむアーシェに剣呑な目を向けた。それも当然だろう。魔術師の証である青い瞳を持つとはいえ、ティアラよりよほど儚げに見える美貌の青年が、二十人中十五人を相手にすると宣言しているのだから。
 ジェスの視線を綺麗に流し、首の動きだけで背後を見返ると、アーシェは悠然と腕を組んでいるクレスに小さな笑みを見せた。
「おまえは下がってろ。私がやる」
「おう。頼もしい護衛殿に任せて見物してるぜ」
「クレス殿、それは……!」
 あまりに危険です、と続けようとしたティアラを見やり、クレスは口の端を持ち上げて悪戯めいた微笑を作った。
「大丈夫だ」
「……ですが」
「心配ねえよ。何せアーシェは俺のために降臨した戦神さまだからな」
 その語尾にかぶさるようにして、金属同士を打ち鳴らす澄んだ音が響きわたった。襲いかかってきた仕込み刀をするりと流し、アーシェは目にも止まらぬ速さで敵に足払いをかける。まさかそうくるとは思っていなかったのか、男は愕然とした表情で体勢を崩し、背中から硬い石畳の上に叩きつけられた。
 たったひとりでランドーラの囲みを突破し、獣人二十体を片づけたアーシェにとって、レフュロスの刺客はお世辞にも上等な敵とは言いがたかった。ランドーラの兵より弱いわけではないが、アーシェが苦戦するほど強いわけでもない。そのまま二人目の鳩尾に膝を埋め、三人目の首に手刀を叩き込み、四人目の右腕に白銀の刃を走らせると、アーシェは残りの刺客を相手取るために身を翻した。
「な……」
 ジェスは目の前の刺客と組み合いながら、ティアラは油断なく剣の柄に手を這わせながら、あっさりと敵を沈めていくアーシェに驚愕の眼差しを向けた。
 金の閃光が宙を走るたびに、厳しい訓練を積んだはずの刺客が呻き声を上げ、なすすべもなく地面の上へと崩れ落ちていく。ジェスの剣技も魔術師とは思えないほど見事だったが、アーシェのそれに比べれば一歩も二歩も劣ると言わざるをえないだろう。
 激しい驚愕が渦巻く中、黒髪の国王はどこまでも嬉しそうに目を細め、隣に立ち尽くしているティアラに微笑を向けた。
「な。だから言っただろう?」
「……」
「アーシェは俺の戦神さまだ、ってな」
「は……」
 驚きとも感嘆ともつかない溜息を漏らし、ティアラはやや高い位置にある紅の瞳を振り仰いだ。驚愕を追い払うように唇をゆがめ、銀髪を揺らしながらゆっくりと首を振ってみせる。繊細な容貌に悪戯っぽい表情が広がった。
「これはまた……何ともお美しい戦神さまでいらっしゃいますね。戦の守り神であられるシエルは、鋼色の髪と鮮血色の瞳を持つ雄々しき男神(おがみ)のはずですが」
「外見だけなら美の神シェランティールだけどな。それにあいつはシエルじゃねえよ、俺の友達のアーシェだ」
「……なるほど、よくわかりました。悔しいようですが、確かにこれでは……」
 私たちの出番はなさそうですね、と続けようとしたティアラは、後ずさってきた刺客がにわかに方向転換したことに気づき、紫水晶の双眸を鋭い光に輝かせた。
「――――クレス殿!!」
 ティアラが焦りの滲む声で叫んだのと、男が武器を振り上げてクレスに斬りかかったのと、狙われた当人が自然な動作で一歩下がったのは、わずかな差こそあれほぼ同時だった。
 ティアラとジェスの推測どおり、刺客たちの狙いはあくまでもレフュロス側の二人だったが、アーシェの超人的な力を目の当たりにして意識に刃こぼれが生じたのだろう。真っ青な顔でどけっ、と絶叫し、男は悠然とたたずんでいるクレスに向かって仕込み刀を振りかぶった。
 クレスはその言葉に従わなかった。ただ唇の端に笑みを浮かべ、余裕の感じられる態度で腕を組み、ぎらぎらと光を弾く刀身に紅の瞳を向けただけだ。ティアラが腰の鞘から剣を抜き、クレスを狙う凶刃を弾き返そうとするが、彼女の反射速度を持ってしても紙一重で間に合わない。
 あらゆる叫び声を飲み込んだ一瞬の後、キィンッという奇妙に高い金属音が大気を震わせた。
「……おまえ、今わざと避けなかったな?」
 呆れと非難のこもった声は、クレスと刺客の間に滑り込み、銀の細剣で仕込み刀を受け止めたアーシェのそれだった。
「確かに下がってろと言ったが、木偶の坊みたいに突っ立ってろとは言わなかったぞ」
「まあな。でもおまえ、これくらいなら朝飯前だろ?」
「……別に否定はしないが」
「ならいいじゃねえか。こう、たまには護衛に守られる王さまの気持ちを味わってみてえしな」
「それならいつも味わって……ないか。クレスだしな」
 気軽すぎるほど気軽な会話を交わしつつ、アーシェはがっちりと受け止めていた刀身を弾き、そのままの勢いで相手の腹部を蹴り飛ばした。どれほどの力が込められていたのか、決して小柄ではない体が水平に吹っ飛び、やや離れた位置にある石の壁に激突する。骨が折れたとしか思えない音を立て、男の体はずるずると壁伝いに崩れ落ちた。
「よっしゃ、さすがアーシェ!」
「何がさすがだ。……ああ、あっちも片づいたみたいだな」
 満足げに笑うクレスからあっさりと目をそらし、アーシェは厳しかった美貌をほんのわずかに綻ばせた。
 アーシェのように楽々というわけではないが、ジェスが余裕のある動作で長剣を振るい、最後の刺客を地面の上に打ち倒したところだった。淡い色の金髪をかき上げ、剣に絡みつく鮮血を振るい落とすと、緑の瞳を持つ青年は微妙な表情でアーシェを見返った。
「……何だ、本当に十五人片づけたのか、あんた」
「ああ」
「人間じゃないな」
「そうかもしれないな」
 ジェスの台詞はどこまでも無遠慮なものだったが、水面のように凪いだ瞳からも、ひどく淡々とした口調からも、アーシェに対する恐怖や嫌悪の感情を読み取ることはできなかった。アーシェがまともな人間であろうがなかろうが、ジェスとティアラに害をなさない限りどうでもいいと思っているらしい。どこまでもさらりとした態度で剣を仕舞い、クレスの隣に立っているティアラのもとへ歩み寄ると、これで仕事は終わったとばかりに両目を閉じてしまった。
「……クレス殿。それに、エリュス殿」
「ん?」
「何だ?」
 よく似た仕草で首を傾げ、そろって瞳を瞬かせる王と護衛に、ティアラは中途半端に引き抜いていた剣を収めて溜息を吐いた。
「言いたくはありませんが、先ほどのアレには肝が冷えました。……こちら側の不手際でクレス殿に何かあったら、われわれは妃殿下に一生恨まれて過ごさねばならなくなります。お二人の信頼関係は羨ましく思いますが、もう少しこちらの心臓にも配慮していただきたいものです」
「ああ、そうだな。悪かった」
 恨み言めいた台詞だったが、その声にこめられた深い安堵を感じ取り、クレスは精悍な面差しをゆるめて小さく微笑した。ティアラもそれを見やってふわりと笑う。
「わかっていただけたなら幸いです。―――それにしても、まさか生きているうちに戦の神にまみえることができるとは思いませんでした」
「戦の神?」
 おまえたちまでそんなことを言い出すのか、と顔をしかめるアーシェに、レフュロスが誇る女将軍は柔らかく頷いてみせた。
「無論です、エリュス殿。先ほどは手合わせ願いたいなどと言ってしまいましたが、つつしんで取り消させていただきます。私などの相手ではアーシェ殿には役不足でしょうから」
「……」
「それにしても、クレス殿にはいつも驚かされてばかりですね。妃殿下のお輿入れ以来、レファレンディアとは浅からぬおつきあいをさせていただいておりますが、このような頼もしい味方を引き入れていらっしゃるなんて今まで知りませんでした」
「……それは仕方がないだろう。私がクレスに会ったのはほんの一月前だ」
 苦笑の混じったティアラの言葉を受け、アーシェはすぐ横に立っているクレスに視線を投げた。ティアラが驚いたように目を丸くする。
「一月、ですか」
「ああ」
「それは……何といいますか、少し意外ですね。まがりなりにも国王の護衛を任せられる以上、もっと長く仕えていらっしゃるものだとばかり……」
「仕えてるわけじゃない。味方はしてるがな」
 ティアラはますます怪訝そうに首をひねったが、ふいに向けられたアーシェの微笑を見やり、魂を揺さぶられた風情で続く言葉を飲み込んだ。
 吹き抜けていく風が勢いを弱め、降りそそぐ日差しが音もなくさんざめき、アーシェを中心にどこまでも優しい旋律を奏で上げていく。神がかった美貌ゆえでも、信じがたいほどの力ゆえでもなく、アーシェは表情ひとつで世界の色彩を変えることができる人間だった。風に揺れる長い髪のように、時折見せる透きとおった笑みのように、その魂がまばゆく輝く光の色を湛えているからだろう。
「一月前に会ったばかりの人間を心から信じて、目の前に迫ってくる刃を避けようとも受け止めようともしない、こっちが心配になるほどのすばらしい馬鹿だからな」
 沈黙しているティアラに視線を戻し、アーシェはささやくような声音で言葉を続けてみせた。
「だから、こいつのために戦おうと思った。それだけだ」
「……アーシェ!!」
 とたんにすさまじい勢いで背中を叩かれ、アーシェはうわっ、という間の抜けた声を上げてたたらを踏んだ。ティアラとジェスがぎょっとしたように目を見張ったが、アーシェをよろめかせた張本人は嬉しそうに笑み崩れ、腰に手を当てながらうんうんと頷いている。
「嬉しいこと言ってくれるじゃねえか、さすが俺の親友だな!!」
「……って、痛いだろうがこの馬鹿力!! 少しは加減しろ、むしろくっつくなっ!!」
「いいじゃねえか、照れんなよ!」
「誰が照れるかっ!!」
 一気に緊張感を失ったその場の空気に、ティアラは堪えきれないとばかりに肩を震わせ、ジェスは呆れ返った表情で片方の眉を持ち上げた。そのままくるりと背後を見返り、ティアラは黙って控えている部下に軽く笑いかける。
「……何というか、おもしろい方々だな、ジェス?」
「ああ」
 くすくすと笑い声を立てる上官を見つめ、鍛え上げられた肩をひょいとすくめると、ジェスはクレスと言い合っているアーシェに何とも言いがたい視線を向けた。緑の色彩がごくわずかにすがめられる。まぶしい何かを透かし見るように。
「……ティアラザード」
「何だ?」
「確かにおもしろい奴だが、あれは異常だ」
 それはぞっとするほど静かに響く声だった。目を見張ったティアラを見やり、ジェスは事実だけを述べる淡々とした口調で呟く。
「俺たちとは根本的に違う、異質な生き物だ。あまりにも輝きが強すぎる」
「……ジェス」
「自然に生まれてくるものじゃない。生きているだけで世界に何かを及ぼす、そういう存在だ」
 ジェスの言葉が聞こえていないのか、あるいはあえて聞こえないふりをしているのか、アーシェはクレスと向き合ったまま振り返ろうとはしなかった。細すぎるほど華奢な背中をじっと見つめ、ティアラは何かを探るように紫の瞳を細める。形のよい唇が淡い笑みを形作った。
「……確かにな。人とは思えないほど綺麗だし、強い方だ」
「ああ」
「そんなエリュス殿が、クレス殿のために剣を振るいたいと言っている。……それは、すごいことだな」
「そうだな」
「なあ、ジェス」
「何だ?」
「私はな、この方たちが好きだよ」
 ティアラが答えを求めていないことに気づき、ジェスは返事をする代わりに唇の端を持ち上げてみせた。切れ長の瞳がすっと流れ、いつの間にか普通に会話をしているクレスとアーシェを見やる。ティアラも自然な動作でそれに倣った。
「それなのに……神さまは、残酷だな」
 ぽつりとこぼされた呟きは、音として響く前に吹き抜けていく風にさらわれた。






    


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