誰がために剣を取る 3





「……ばれてたか、さすがアーシェ」
「ばれてたか、じゃないだろう。それ以前の問題だ。びっくりするくらい普通にはみ出してるぞ」
「うおっ」
 そりゃ盲点だった、と悪びれずに笑い、クレスはひそんでいた柱の影からひょこりと顔を覗かせた。自分の体格を考慮していなかったのか、あるいは初めからアーシェをやり過ごす気などなかったのか、ほっそりした意匠の柱からたくましい両肩がはみ出し、何とも脱力感を誘う雰囲気をかもし出している。
 いや違うな、と疲労の滲んだ声で呟き、アーシェは目の前に回りこんできたクレスに嫌そうな目を向けた。
「そもそもつっこむところを間違えた。おまえがはみ出してようが柱と一体化してようがむしろ柱になってようが、はっきり言って私にはまったく関係ない」
「うわひでぇ、そういうこと言うか」
「うるさい黙れ。そうじゃなくて、クレス」
 ぱたぱたと服についた埃をはらい、ついでとばかりに落ちかかる黒髪をかき回したクレスが、悪戯めいた表情で何だよ、と首を傾げてくるのに、アーシェはこめかみを押さえながらしぼり出すようにして言葉を続けた。
「おまえ、どこから聞いてた?」
「ファレオの、アーシェ殿はどうしてこんなによくして下さるんですか、あたりからだな」
「死ねばいいのに」
 ぼそりと漏らされたアーシェの呟きに、クレスはこら待てっ、と彼らしくにぎやかな声を上げた。
「何だそのさりげなく新しい暴言は! 死ね、って言われるより地味に傷つくぞ、それ!!」
「うるさい、勝手に傷つけ」
 すでに日常と化している軽口に軽口で返し、アーシェは再び深すぎる溜息を吐いた。
「……いや、これも微妙に論点が違うな。というか、仮にも国王陛下が他人の会話を盗み聞きするな。おまえは会議室で会議中だったんじゃないのか?」
 話し合いに用いられていた会議室は、回廊によって中央棟とつながれている南棟の、出入り口として開け放された扉近くにある。中央棟に向かって回廊を歩いていたアーシェが、声をかけられるまでもなく蝶番の軋む音を聞き取ったように、ファレオと会話していた位置から会議室までの距離はごく短いものだった。いくらクレスが歴戦の武人とはいえ、超人と表現して差し障りのないアーシェに気づかれず、こうして先回りすることなど不可能に近い。
 疑問をこめて見上げてくるアーシェに、ファレオよりさらに背の高いクレスは茶目っ気たっぷりに笑ってみせた。
「そんな難しいことはしてねえよ。とりあえず、隣の東棟に回ってから中央棟に行って、そこから中庭に下りてここまで来ただけだ。何てったってこの城は俺の家だぜ?」
「そうか。で、そこまでして盗み聞きをしたわけは?」
「盗み聞きするつもりだったわけじゃねえって。俺は俺でアーシェに話があったから、ついでに先回りして驚かしてやろうと思ったんだよ。そうしたらおまえらが何か興味深いこと話してるだろ?」
 おかげで出るに出られなくなっちまったってわけだ、と気さくな仕草で肩をすくめ、クレスは他意がなかったことを示すように軽く両手を挙げた。アーシェはじとりと青の瞳を据わらせたが、半年以上の期間をレファレンディアで過ごすうちに、クレス相手に怒気を持続させることがいかに難しいかを学んでしまっている。
「……話があったから、会議を脱け出してきたのか?」
「脱け出してきたわけじゃねえって、信用ねえな」
 諦め混じりの息を吐いたアーシェに、クレスは真夏の空を思わせる表情でからりと笑った。
「どっちかっつーと、周りのやつらにお願いですから少し休んで下さい、って拝み倒された感じだぜ。ランドーラとヴァングレインのおかげでかなり寝不足だし、昨日の夜からろくに飯も食えてねえしな」
「……ああ、そういえばめずらしく真面目に国王やってたな。おまえ」
「めずらしくって何だよ、めずらしくって。俺はいつでも立派な国王だろ」
 普通の国王が柱の影に隠れて盗み聞きしたりするか馬鹿、というつっこみをぐっと堪え、アーシェは闊達に笑っている紅の瞳を振り仰いだ。
 浮かんでいる表情はいつもどおり明るいものだったが、よく見れば目の下にうっすらと隈が浮かび、クレスの精悍な容貌にかすかな翳りを投げかけていた。一昨日の朝にもたらされたランドーラ侵攻の報が、これまでにないほど大きな暗雲となってレファレンディアを覆い、今もなお国王であるクレスの肩に重く圧しかかっているのだろう。
 そのすべてを当然のように受け止め、こうして軽口を叩きながら笑っている青年王の姿を、他の何物にも代えがたいほど貴いものだと思った。
 だからだろうか、自分でも無意識のうちに表情をゆるめ、言うつもりなどなかった言葉を口に出してしまったのは。
「――そうだな」
「ん?」
「普段ははっきり言って城下街の子どもと変わらないが、おまえのそういうところは確かに立派な、国王さまだな」
「……アーシェ?」
 今までにないほど素直な賛辞の言葉に、クレスは虚をつかれた風情で瞳を丸くした。
「どうした? 何か悪いものでも食ったのか?」
「ありえないほど失礼なやつだな。人がせっかく褒めてやったのに」
「や、だってよ」
 ついさっきまで死ねばいいのにとか言ってただろ、と子どもっぽい表情で笑い、クレスは凝り固まった肩をほぐすように伸びをした。国王とは思えないほど庶民的な動作だったが、不思議なほどこの黒髪の青年には馴染んで見え、アーシェは唇の端に小さな苦笑を滲ませる。
「普段から敬ってほしかったら態度を改めろ。他国の王が見たら仰天するぞ」
「んなことねえよ、よその国の王さまだって伸びくらいするだろ」
「人前でするか。おまえがそんな態度だから……」
 どうあっても見捨てることができなくなってしまったのだ。どこか一所にとどまることはあっても、国家間の争いには関わらないように注意してきたアーシェが、レファレンディア・ウェル・クレスレイドという名の王だけは切り捨てられなくなってしまったのだ。
 急激ともいえる自身の変化を認識しつつ、そこで柔らかく言葉を切ったアーシェに、クレスはふっと真面目な表情を作ってみせた。なあアーシェ、と静かな語調で呼びかけ、やや低い位置にある青の瞳をまっすぐに覗き込む。
「それで、おまえはいいのか?」
 唐突ともいえるクレスの言葉に、アーシェは一瞬反応を返すことができなかった。
「……何がだ?」
「だから、このままレファレンディアに味方しててもいいのか、って聞いたんだよ。おまえがいてくれるとすげー助かるし、はっきり言って離れると言われても逃がしたくないくらい貴重な戦力だけどよ。俺はおまえが好きだから、おまえが勝ち目のない戦いに手を貸すつもりはないっていうなら別に構わないぜ? レファレンディアから離れても」
「……」
「俺はおまえの親友だからな。それを勝ち目の薄い戦争に引っ張り込むとなると、さすがに俺の良心が痛み始めるわけだ。だからってわけじゃねえけど、この戦いに関してはおまえの好きにしていいぜ。アーシェ」
 クレスの表情はひどく真剣だったが、口調は普段と変わらず穏やかなものだった。アーシェを突き放そうとするわけでも、その友情を試そうとするわけでもなく、相手を気づかう響きだけを込めて紡がれた言葉だった。
 それがわかったからこそ、アーシェは喉を詰まらせたように言葉を作ることができなくなってしまった。
「……アーシェ? 答えにくいんなら別に今すぐ答えなくてもいいぞ? 出て行けなんて言うつもりは微塵もない、つーか普通に皆無だからな。むしろここにいて下さいって土下座したい衝動を必死になって抑えてる最中だ」
 沈黙しているアーシェに気づいたのか、クレスがことさら明るい口調で言葉を続けた。その何気なさに助けられ、アーシェはふさがれていた喉から微笑と共に息を吐き出す。
 クレスは知らないのだろう。彼の持つ馬鹿馬鹿しいほどの明るさが、こうしてさりげなく示される純粋な好意が、どれほどの強さでアーシェをレファレンディアにつなぎとめているのかを。どれほどの大きさでアーシェを救い、そのどうしようもない孤独を癒しているのかを。
 気づくことなく笑ったまま、クレスはアーシェを友達と呼び続けるのだろう。
「……思いきり今さらだな」
「う、やっぱそうか?」
「やっぱそうか、じゃないだろう。ここまでつき合わせておいて、今さら好きにしていいと言われても反応に困る。半年前の、砦での戦闘の直後なら考えたかもしれないがな」
 台詞の後半は軽口にまぎらせた嘘だったが、クレスは真剣な表情でそうだよなぁ、と腕を組んだ。
「けど俺も結構考えたんだぜ? シェスの砦が落ちてから今まで、仕事を片づけつつ真剣に」
「いや、余計なことを考えずに仕事をしろ。そんなんだから普段からおまえを敬う気にならないんだ。……それに」
「それに?」
「おまえがさっき言ったんじゃないか。友達を戦争に引っ張り込んだら良心が痛むって」
「ああ、そりゃそうだろ」
 だからこうやって話してるんじゃねえか、と首を傾げるクレスに、アーシェはどこかわざとらしくしかめ面を作った。
「だったら仕方ないだろう? それとも、おまえは私がそんなに薄情な人間だと思うわけか?」
「は?」
「鈍いやつだな。……私も、おまえを見捨てたら良心が痛むって言ってるんだ」
「……」
「おまえは、私の『友達』なんだろう?」
 アーシェにしては珍しく、その言葉は冗談めかした抑揚で響いていった。
 それがアーシェなりの照れ隠しだと気づいたのか、言葉の意味をつかみそこねたように首をひねった後、クレスは成人男性とは思えない表情で紅の瞳を見開いた。クレスがアーシェを友達だと言うことはあっても、アーシェがクレスを友達だと認めたことはなかったからだ。
 そのままひどく嬉しそうな様子で相好を崩し、クレスはそっか、と呟きながら大きく頷いた。
「――友達、か」
「いちいち繰り返すな。おまえがしつこいくらい友達だの親友だのと言ってたんだろうが」
「そりゃあ俺とアーシェは仲良しだからな。……よっしゃ! じゃあ今回アーシェからもめでたく言質が取れたことだし、これから俺たち名実共に大親友だな!!」
「ちょっと待て、言質って何だ、言質って!!」
「へっへっへ、後でファレオたちにも自慢すっかなー」
「やめろ、この馬鹿!」
 思いきり拳を振りかぶったアーシェに、クレスは避ける素振りもみせずにやりと笑ってみせた。その表情に毒気を抜かれ、アーシェは体中の酸素を排出する勢いで溜息を吐く。
 半年前からわかりきっていたことだが、この手の話題でアーシェがクレスに勝てるはずがないのだ。
「……言っておくが、特別だからな。感謝しろよ」
「ありがたき幸せにございます、アーシェ殿」
「よろしい」
 せめてもの負け惜しみにも直球で返され、アーシェは自棄ともとれる仕草でおざなりに頷いた。
 こうして振り回されるのは悔しいようにも感じるが、それは今さら考えても仕方のないことだと言えた。クレスがそんな人間であるからこそ、アーシェは彼の差し伸べた手をとり、彼を友達であると認め、彼のために剣を取ろうと決めたのだから。
 諦めのこもった息を吐きつつ、アーシェは笑っているクレスにじろりと据わった瞳を向けた。
「……話はそれだけか? さっきファレオにも言ったが、おまえたちにはやることがあるんだろう?」
「あー、そういやそうだな。アーシェは城の周りを見てくんのか?」
「しないよりマシ、という程度だがな。一応しっかりと下見はしておきたい」
「そうか」
 国王の表情になったクレスを振り仰ぎ、おまえもちゃんと仕事をしろよ、と苦笑まじりに告げると、アーシェは今度こそ城の外に出るべく踵を返した。その肩にクレスの手がかかり、歩き出そうとしていた細い体をやんわりと引き止める。
「……何だ?」
「悪いな、アーシェ。頼りにしてるぜ」
 訝しげに細められた青の瞳に、力強く笑う紅の瞳が映りこんだ。
 それは何があっても揺るがず、何があっても翳るのことのない、太陽の光を思わせる心地よい笑みだった。
「ああ。任せろ」
 だからアーシェも表情を和ませ、目の前の共に向かって嘘のない笑顔を浮かべてみせた。
「つきあってやるよ。最後まで」






    


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