異界の王と夢の始まり 1


 


 一般の人々に宇宙への移住権が解放されたのは、大多数の期待と予想を裏切って遅れに遅れ、二十二世紀も終わろうかとする世紀末のことだった。
 多くの人は人口過密状態の地球を捨て、生存可能惑星や居住コロニーへと飛び出していくのを夢見たが、やはり優先されるのは大国と目される国家の要人たちだ。彼らは競い合うように宇宙空間へと足を伸ばし、それに伴って流れ出した富や科学技術によって、人類は爆発的な勢いで生存圏を拡大していくこととなった。
 そしてその頃には、人類は二つの勢力にわかれて互いにいがみあい、惑星やコロニーの所有権をめぐって争いを繰り返すようになっていた。
 国際連合の後身である共和連邦と、それに加盟していない国家を繋ぐ独立国家同盟。
 加盟した国家が『国』であることを捨て、統一政府に治められる『都市』となる連邦と、独立した国であることを捨て切れず、連邦への参加を拒絶した国家の同盟は、それが宿命であるように対立を深めてきた。連邦は「自分たちこそが正統な人類の代表者だ」という矜持を持ち、同盟はその連邦を「国家としての尊厳を捨て、寄せ集まって弱さを補う臆病者」と蔑む。実際はどちらも大差ないのだが、両者は互いが人類の支配者であると主張して譲らず、一世紀以上の長きに渡って戦火を交えることになった。
 そんな二つの支配者が所有を主張する場所、それが人類の揺り籠である地球だった。
 もはや地下資源も底を尽きかけ、長期間の戦争によって荒野と化してしまったその星は、それでも人類が誕生した唯一の聖地だった。建設された基地の数は数知れず、相手によって破壊されたそれも枚挙にいとまない。勝手に相手の支配領域との間に『境界線』を引き、両者はいくつもの部隊を送り出して領土を広げようと躍起になっていた。
 天城拓馬は、その同盟軍第十三地区制圧部隊少佐という、今だ若い年齢にはふさわしくない地位についていた。
 二十五歳で少佐というのも異例なら、巨大な島を構成する第十三地区の同盟軍基地、『自由なる場所』リバティの司令官に任ぜられたのも異例の出世である。だが、十三地区の戦闘の苛烈さや、有益な資源も地理的要因も見当たらない場所を考えると、拓馬はどうしても素直に出世を喜ぶことが出来なかった。
 今も、司令官である拓馬自身が部下と共に偵察に出かけ、敵の待ち伏せにあって危機に陥っているのである。
「おいおい、マジかよ……」
 連邦側の簡易基地『SーW』、サウスエリアのWブロックに建設されたそれは、偵察用の小さなものとはいえ立派な前線基地だった。周囲を鉄条網で覆っただけの警備に見えるが、地面には地雷群がしっかりと埋め込まれ、建物にはモニターや砲台が完備されている。もとから小部隊で落とせるものではなかったのに、ここはすでに連邦側によって廃棄された、というガセネタに踊らされて偵察に来たあげく、たった一人で命の危険にさらされることになったのである。拓馬は憎々しげにため息を吐いて、この任務を押し付けてきた同盟の上層部を心から憎んだ。
「これ以上、見つからずに進むのはちょっと無理だな」
 木々の茂みの影に身を隠しつつ、拓馬はダークブラウンの瞳で周囲を見遣った。この基地は山の斜面を削って作られていて、鉄条網を越えれば自然の隠れ蓑の中に逃げ込むこともできる。だが、そこまで到達するには、どうしても敵の兵士が配置された場所を通らなくてはならなかった。今頃は敵とて、取り逃した拓馬たちを発見しようと躍起になっているだろう。
 状況は絶望的だと言えた。
(どうする? 強行突破はさすがに死ぬだろうし、気づかれずに通り抜けるのはまず不可能だろうしな……ひょっとしなくてもおれ、大ピンチか?)
 嫌な結論に至ってしまい、拓馬はその場にしゃがみこむようにして頭を抱えた。
 そうやって身を低くしていても、均整の取れた体躯と引き締まった長身の持ち主であることがわかる。ところどころに葉が絡まった髪はダークブラウンで、黒とも見紛う色彩は瞳の色と同じものだった。精悍に陽に焼けた肌に、嫌味でない程度に整った端正な容貌。それは充分鑑賞にたえる容姿だと言えたが、ライフルをかつぎ、木々に張り付いて一体化しようと懸命になっている姿のせいで、どこか少年のような雰囲気を醸し出しているようにも見えた。
 体を低くしてうんうんと唸る拓馬に、ガサリ、という葉擦れの音が聞こえたのはその時だった。
「……!」
 ピク、と固くライフルを握っていた手が震えた。拓馬の双眸が鋭く細められ、一瞬で子供のようだった『甘さ』が払拭される。現れたのは戦いを生業とする者が持つ、冷静で透徹した刃の光だった。音を立てないようにライフルの安全装置を外すと、滑らかな動きで腰を折ったまま立ち上がり、茂みの傍の大木に背を預けた。
 拓馬の目線の辺りまで葉を伸ばした茂みは、再び葉擦れの音を立てることはなかった。向こうにいる人物も、こちらいる拓馬に気づいて気配を絶ったのだ。あまりにも鮮やかな存在の『消失』に、拓馬は背に冷たい汗が伝うのを感じた。
(見つかった、か? それにしてはなぜ出てこない、仲間を呼んでいるのか?)
 ふいに訪れた静寂に、拓馬は訝しげな表情を作った。抱いたかすかな疑問によって意識が逸れ、油断なく構えていた銃口がほんのわずかに下がる。
 その一瞬を待っていたように、ガサッと音を立てて細かな葉が宙に踊った。
「……っ!!」
 目を見張ってライフルを向けた時はすでに遅く、大気を裂く鋭い摩擦音が聞こえ、銀の煌きが顎のすぐ下に突きつけられた。
 拓馬の視界に映ったのは、風をはらんで翻る純白と、夜闇よりもなお艶やかな漆黒の色彩だった。
「――――誰だ」
 まるで歌声のように澄み渡った声音に、拓馬は虚をつかれた風情でダークブラウンの瞳を丸くした。
 少なくとも、今まで拓馬が生きてきた時間の中で、ここまで美しさと力強さを反発させずに秘めた声を聞いたのは初めてだった。王者の風格と歌い手の旋律が、最高の水準で溶け合っている至上の音律、とでも言えば一番近いかもしれない。
 答えを返さない拓馬に眼光を強めると、喉元に突きつけた白銀の切っ先をわずかにも揺らさず、声の主は静かに言葉を重ねた。
「誰だ。ここで、何をしている?」
 一言ずつ区切るようなその声に、拓馬はようやく、その言葉が自分に向けられていることに気づいた。
「……あ?」
 夢から覚めたようにダークブラウンの瞳を瞬かせ、突きつけられた刃からとっさに顔を引いた。そして次の瞬間、思わず拓馬はカクンと顎を落としてしまった。
 そこにいたのは、十五、六歳と思しき少年だった。
 風にさらさらと揺れる漆黒の髪に、長い睫毛に煙る透明な黒玉の瞳。見るからに東洋人のそれではない、肌理細やかで滑らかな白い肌。身長は拓馬より頭一つ分ほど低く、体つきもほっそりと華奢で、男だとはわかるものの中性的な容貌をしていた。むさくるしい男たちを見慣れている拓馬からすれば、性別に関わらず見惚れてしまうほどの美貌と言っていい。
 だが、拓馬が驚愕したのはその容姿の端麗さではなく、少年がまとった衣服の奇妙さだった。
 印象的な黒い瞳を持つ少年は、銀糸で刺繍のほどこされた白い服に、なめらかな光沢を持つ白銀のマントという、映画やテレビの中でしか見られないような奇妙な格好をしていた。秀でた額を銀の装飾品が飾り、柄を握った手首にも銀細工の腕輪が揺れて、少年の姿を余計に現実離れしたものに変えている。突きつけられたのがナイフではなく、長い刀身に瀟洒な柄を持った『剣』であることに気づいた瞬間、動きの鈍かった拓馬の脳が驚愕に支配された。
「なっ……何だっ?」
 あまりにもこの場にそぐわない姿に、拓馬はつい素っ頓狂な声を上げてしまった。
(ひょっとしてこれはコスプレってやつか!? って、何でこんな所で子供がコスプレしてんだっ、ここは戦場だぞ!?)
 目を大きく見開き、食い入るように少年の姿を見つめて苦悩する拓馬に、少年はふっと漆黒の双眸を揺らした。かすかに首を傾げるようにして、稀有な美貌に困惑した表情を過ぎらせる。そういった顔をすると、際立って容姿が整っただけの普通の子供のようにも見えた。
「アルスランドの者ではないのか?」
「……は?」
 ポツリと零された呟きを聞きとがめて、拓馬は軽く眉を寄せた。
 吸い込まれそうな黒い瞳でそれを見ていた少年は、ややあって静かに剣を引き、とてもお遊びには見えない慣れた動作で鞘に収めた。喉元で光っていた白刃が消え、拓馬は無意識に詰めていた息を吐き出す。少年はそんな青年を見上げると、ますます困惑したように眉をひそめた。
 はらはらと細かい葉が舞い落ち、少年の足元に緑色の文様を描き出す。
「すまない、あなたはアルスランドの者ではないようだ。どうか非礼を許していただきたい」
「……」
「ぶしつけとは思うが、聞いても構わないだろうか?」
 何とも言えない表情で沈黙する拓馬に、少年は奇妙なほどに礼儀正しい口調で問いかけた。首を傾けた拍子に毛先が肩にかかり、白い衣装の上を夜空色の髪が滑っていく。それを優雅な仕草で後ろに追いやると、少年は大人びた調子で言葉を続けた。
 からかっているわけでも、遊んでいるわけでもないと確信できる、痛いほどに真剣な光を双眸に浮かべて。
「ここは、どこなんだ?」






    



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