明け方に見た夢のように 1


 


 吹き抜ける風が冷たさをはらみ、木々がまとっていた葉を落として、美しく整えられた街並みに灰色のベールをかけていく。
 独立国家同盟の首都、宇宙を二部する勢力の拠点、国々の首脳たちが一堂に会する場所。人によって呼び方の異なる惑星『セントラル』は、コンピュータの気象制御によってぐっと気温を下げ、そこで暮らす人々のために冬という季節を演出し始めていた。空気はひんやりと冷たく、空は秋と比べてかすかに低く、世界を彩る色彩はどこまでもモノトーンに近い。作り物の光景を窓越しに見遣り、セシル・ウィンフィールドは操作卓(コンソール)を叩いていた指を止めた。
「……名はレイ、姓はなし、もしくは不明。性別、男。年齢十五歳。瞳および髪の色彩、ブラック。身長……」
 画面に映し出された文字を淡々と読み上げ、セシルは青い瞳を皮肉げな動作で細めた。温度の感じられない視線の先では、黒い髪に黒い瞳、まっしろな肌、華奢な体躯を持つ類稀な美貌の少年が、見たこともない銀の剣を手に戦場を駆けている。あらゆるアングルで撮られた写真を眺め、横に添えられた文章に視線を走らせながら、セシルは豪奢な革張りの椅子に長身を沈み込ませた。
 機能的な部屋というより、美しい調度品の揃えられた客室のようだった。内装は枯葉色で統一され、天井は高く、敷き詰められた絨毯は踵が埋まるほど毛足が長い。ゆったりとしたアームチェアに背を預け、グレイがかった金色の髪をかき上げると、セシル長い指を伸ばして一つキーを弾いた。ウィン、という軽い機械音が響き、コンピュータに映っていた画面が一瞬で切り替わる。
「面白い人間を拾ってくれたものだな、『リバティ』のテンジョウ少佐も」
 喉の奥で低く笑い、画面をびっしりと埋める文章に一瞥を投げた。すでに一度目を通したことがあるのか、読むというよりはなぞるように視線を動かし、薄い唇を笑みの形に吊り上げる。
 レイ、という少年に偽りの身分を与え、基地リバティに『赴任させた』のが、三十四歳にして同盟軍中将の地位にあるセシル・ウィンフィールドだった。軍部における階級ゆえではなく、ウィンフィールドというファミリーネームが持つ力によって、本来ならばまかり通るはずのない無理を押し通してみせたのだ。
 『独立国家同盟』は対等な国家の集合体である、というのが建前だが、加盟しているすべての国が同じだけの力を持っているわけではない。当然のこととして、産業、財政、軍事力など、より力を持っている国が大きな発言力を持つことになる。数ある国の中でもっとも強大な力を有し、事実上同盟を牛耳っている国家の中枢、それが揶揄をこめて『将軍家(セネラルズ)』と呼ばれるウィンフィールド家だった。母が分家であるモラニス家の長女、父が本家ウィンフィールドの次男、という文句のつけようのない血を持ったセシルは、冷たい美貌を歪めて誰にともなく呟いた。
「素性の知れない少年を軍に迎え入れようなどと、本来ならば考えられない無謀だ。浅慮、無責任と罵られても仕方がないことだというのに、テンジョウ少佐……いや、タクマは、よほどこのレイという少年が気に入ったとみえるな」
 室内の防音設備、盗聴対策は完璧だ。だからこそセシルは口の端を持ち上げ、聞く者のない独白を続けてみせた。
「まあもっとも、その少年の持つ力は実に興味深い。特に、この異常なまでの戦闘能力は役に立つだろうな。タクマがそこまで考えているとは思えんが」
 青年の善良すぎる気性を思い出し、セシルは口元に手を添えて小さく笑い声を立てた。
 セシルでさえあずかり知らぬゼネラルズの上層部、あるいは共和連邦の研究所が完成させた、遺伝子操作や筋肉強化研究のサンプル。それがレイという少年に対するセシルの認識だった。なぜその試作品が地球にいて、拓馬のもとに身を寄せているのかはわからないが、利用できる駒であることは確かだ。レイが異世界から迷い込んだ王である、などという事実に思い至るはずもなく、セシルは少年の細かなデータをフロッピーに落とし込むと、それを手のひらで弄びながら立ち上がった。
 暗く沈んだ画面を見下ろし、形の良い唇にひややかな笑みを刻む。
「お前も意地を張らずに、ウィンフィールドに連なる人間であるという、その事実を誇りに思えばいいものを。生みの親の姓などにこだわるから、さして戦略的意義もない一惑星に飛ばされるんだよ。……なあ、心優しいわが義弟(おとうと)殿?」




 惑星セントラルほど美しく情緒的なものではないが、地球の第十三地区にも冬の気配が忍び寄り、鮮やかだった景色を無彩色に変えつつあった。
 喉がヒリヒリするほど空気が乾いているのも、コンクリートに降り注ぐ陽光が目に痛いのも、地球を守る大気がどうしようもなく汚染されているためだ。喉が渇いたな、と胸中に呟き、レイは軍内病院の廊下にきょろきょろと視線を投げかける。ジドウハンバイキ、という機械を探してみたのだが、近くにそれらしいものは見つけられず、レイは苦笑して歩みを再開した。
「……ここの空気はあまり澄んでないんだな。デュロスの冬はあんなに綺麗で、空気もそこまで乾いてなかったのに」
 夜空を思わせる漆黒の瞳を細め、美貌の少年は落ちかかる黒髪を片手で払った。
 空気は鋭く澄み渡り、空は凍りついたように薄青く、吐く息は小さな雲を作る。全身が引き締まる感覚に空を仰ぐと、真っ白な粉雪たちが曇天から舞い降り、むき出しになった木々にうっすらと花を咲かせていく。冷たく、透明で、優しくはないが荘厳で美しい季節、それが皇国デュロスの冬だった。懐かしい光景を思ってくすりと笑い、レイは殺風景な廊下を歩いている足をはやめた。
 ほっそりした両手に抱えているのは、ハードカバーに文庫、立派な装丁のされた厚い古書など、まるでまとまりのない何冊もの本だった。華奢な少年の腕にはいかにも重そうに見えるが、レイは体勢を崩すことも本を取り落とすこともなく、一つの部屋の前で優雅に足を止めた。プレートに書かれた『サキ・フジサワ大尉』という文字を見上げ、どこか満足げな仕草で一つ頷いた。
「サキ、入ってもいいか? 借りていた本を返しにきたんだが……」
 両手がふさがっているためにノックができず、レイは申し訳なさそうに首を傾げた。とたんにバンッ、という音を立ててドアが開き、ほっそりとした白い手が少年の肩を鷲掴みにする。ぎょっとしたように見開かれた瞳に、輝かんばかりの笑みを浮かべた美女が映った。
「いらっしゃいレイ君、ちょうどよかったわ。今コンピュータであなたの骨格と顔面の皮膚を再現できないか検討中だったのよ、細かい誤差を見たいかからちょっと服を脱いで診察台に乗ってみてくれないかしら。ああ大丈夫よ、何も痛いこともないしすぐに終わるし……」
「……サキ、サキ。ちょっと待った……っ」
 服に伸びてきた手を本で阻み、レイは軍医の魔の手から逃れるべく後ずさった。
「あらどうして逃げるのレイ君? 何も怖くないのよ、あなたはじっとしててくれるだけでいいし、何ならお礼もあげるのに」
「……サキ、それは中年男性がジョシコーセイを誘う時に使う台詞と変わらないと思うぞ?」
 拓馬が聞いたら絶叫しそうなことを言い、少年はやんわりと沙希の手を外した。不満そうな軍医に笑いかけると、盾にしていた十冊あまりの本を差し出す。
「実験台になるのは次の機会ということで。今日は本を返しにきたんだ」
「――――そう、残念だわ」
 それじゃあ次の機会を楽しみにしましょう、と反省が見られない呟きを漏らし、沙希は差し出された本を両手で受け取った。机の上にどさりと積み上げ、一冊一冊確かめるようにページをめくる。
「どう? 今回の本もあなたのお気に召したかしら?」
「ああ、どれもすごく興味深くて面白かった。……その、『黄薔薇男爵の耽美にして華麗なる殺人』というやつだけよくわからなかったが」
「あら、これが一番のオススメだったのに。まあ、レイ君はまだ十五歳だものね。もう少し大きくなればこの良さもわかるでしょう」
 白衣の裾を翻して踵を返し、沙希は苦笑している少年を手招きした。背もたれのない簡素な椅子をすすめ、自分は紙の束にうもれているティーポットの発掘にかかる。今にも崩れ落ちそうな書類を見やり、浮かべた苦笑をやんわりと深めると、レイは慣れた動作で小さな椅子に腰かけた。
「サキ。お茶はいいから水を一杯もらえないか? それだけもらったら退散するから」
「ま、せっかく来てくれたのにもう帰る話? つれないわね、こんな美女を前にして」
 掘り出した、という表現がしっくりするティーポットを手に、沙希はくびれた腰に片手を当ててみせた。自分で『美女』と断言するだけあって、その立ち姿にはえもいわれぬ色香と妖艶さがある。じろりと睨んでくる瞳に笑みを返し、レイは大人びた表情で首を傾けた。
「そういうわけではないが、サキは忙しいんだろう? 来る途中も、病院内で人が慌しく動き回っていたし」
「ああ、それはそうよ。最近小さな戦闘が頻発してるし、そろそろ本格的に冬だから。自然状況がこれ以上厳しくなる前に、相手の力をできるだけ削いでおこうとしてるのよ。冬が終わったら大きな戦闘があるのもいつものことね」
 沙希の言葉は的を射ている。冬が深まる前は小競り合いが増え、本格的に気温が下がるといったん沈静化し、春には恒例行事のように大規模な戦闘があるのだ。沙希が軍医という立場である以上、戦闘が増えれば忙しくなるのは当然のことだった。
「ということは、僕たちが出陣……っじゃなくて、戦闘に出て行くことも増えるんだろうか? 今のところは特に指示されてないが」
「まだ大丈夫よ。今出てるのは主に下士官たちだもの。『S−W』みたいに重大なものじゃない限り、あなたや少佐たちが戦いにいくこともないんじゃないかしらね」
 レイの言葉を無視するようにお茶を淹れ、同じように発掘したティーカップに注ぎながら、沙希はどこか悩ましげに溜息を吐いた。
「戦闘になんて出ない方がいいのよ、レイ君。私は少佐たちやチヅや中尉が死ぬのは嫌だから。人体標本にしてもいいけど、死体が無事に帰ってくるっていう保障もないものね。そもそも死体解剖はつまらないのよ、解剖はやっぱり生き生きした体にメスをいれて、その際の筋肉の躍動と血管を流れる血の脈動を……」
「サキ、サキ」
 脱線し始めた会話に苦笑を零し、レイは沙希の手からティーカップを受け取った。お礼の代わりに漆黒の瞳を細め、煙るように柔らかい微笑を浮かべてみせる。
「それだったら大丈夫だ。心配しなくていい」
「……あら、新鮮ピチピチな解剖用の人間を調達してくれるの?」
「いや、そうじゃなくて」
 ひどく優雅にカップを傾け、美貌の少年はくすりと笑い声を立てた。
「何もわかっていない、傲慢な……子供の戯言だと思って聞き流してほしいんだが。タクも、ヒロも、チヅルも、もちろんあなたも、誰一人として絶対に死なせない。何があっても守ってみせる。だから大丈夫だ」
「……」
「あなたたちを失うのは嫌だ。絶対に、何があっても死なせない。持てる力のすべてを持って僕が守る。……絶対に、絶対に、あなたたちは死なせない」
 傲慢なことを言ってるだろう、と言って笑った表情は、どこまでも透きとおる硝子の細工物のようだった。
 とっさに言葉が出ず、少年を見下ろしたまま瞳を瞬かせる沙希に、レイは空になったカップを机に戻してにこりと笑った。今にも壊れて消えそうな微笑ではなく、少年がいつも浮かべている綺麗な笑顔で。
 少年は何よりも優しく、包み込むように微笑してみせた。
「それでも、僕はあなたたちを守りたいんだ。僕はあなたちが大好きだから」






    


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