神様がいなくても 2


 


 天城拓馬がセシル・ウィンフィールドに出会ったのは、幼年学校を主席で卒業した十五の時だった。
「君がタクマ・テンジョウか」
 何の前置きもなくそう言い、革張りのソファに長身を沈みこませると、セシルは入室してきた拓馬に自分の向かい側を指し示した。早く座れと言わんばかりの、初対面とは思えない尊大な態度で。
 拓馬は大きく目を見開き、うろたえたように背後にかかるプレートを見上げた。入室する部屋を間違えてしまったのか、と思ったのだが、『校長室』という文字の刻まれたプレートも、飴色で統一された重厚な調度品も、壁にずらりと並んだ写真も、拓馬がこの部屋に足を運ぶたびに目にしていたものだ。
 困惑気味に眉を寄せ、壁際にたたずむ校長に瞳を向けると、拓馬は問いかけるように眼差しを厳しくした。何の説明もなく校長室に呼び出され、入室するなり知らない男と対面させられたのだ。拓馬が訝しく思うのは当然のことだったが、校長はせわしない動作で瞬きを繰り返し、拓馬の視線から逃げるように顔をそむけた。自分には関係ない、というように。
 思わず声を上げかける拓馬を見やり、セシルはゆっくりと組んでいた指をほどいた。その指先がくすんだ金髪をかき上げる。
「はじめまして、タクマ・テンジョウ。私はセシル・ウィンフィールド、階級は同盟軍大佐だ。……ああ、君たちには『将軍家(ゼネラルズ)』という通称の方が通りがいいかもしれないな」
 ウィンフィールド、という名を聞いた瞬間、拓馬の心臓が勢いよくはね上がった。目を見張ったまま沈黙する拓馬に、セシルは唇の端を冷たく持ち上げる。
「そう警戒しないでもらいたいな。今日づけで卒業したとはいえ、君も幼年学校の生徒ならばわが国の軍人だ。上官に対して礼儀を守るのは義務だ思うが」
「……イエス・サー。まことに申し訳ありません」
 冷たい微笑は癇に障ったが、軍部の上官に対して礼を欠くわけにはいかない。慌てて敬礼する拓馬に薄く笑い、セシルはもう一度両手の指を組み合わせた。そのまま世間話でもするように口を開く。
「まあ、これがプライベートな場だったなら、君は私と親しく口をきく資格を持っているがな」
「は……?」
「知らないのか? 君の父親は末席とはいえ、わが一族につらなる血筋の者だろう」
「…………っ、な」
「といっても、ウィンフィールドの血を引く庶子など、この宇宙中に数え切れないほど多くいる。それこそ何十人、何百人の単位でだ。われら本家の人間とて、そのすべてにこうして声をかけて回るわけではない。……が、それが優秀な人材である場合は話が別だ」
 青い瞳をわずかに細め、セシルは立ち尽くす拓馬に微笑を向けた。
「座ったらどうだ、タクマ。立ったままの人間とは話しづらい」
「……イエス・サー」
 ひどくぎこちない動きで敬礼し、拓馬は失礼します、と頭を下げてからソファに腰を下ろした。革張りのクッションがわずかに沈み、空調のきいた室内に小さな音を立てる。つかみどころのない笑みを浮かべたまま、セシルはためらうことなく言葉を続けた。
「失礼だが、君は五年前に母を亡くし、奨学金を取って幼年学校に通っていたそうだな? 末席の、とはいえ、ウィンフィールドの血を引く者がそれでは少々情けない」
「それは……」
「単刀直入に言おう、タクマ。われらには君をウィンフィールドに迎え入れる用意がある」
 さらりと落とされた言葉の爆弾に、拓馬の顔からほんの一瞬だけ表情が消え、次いで深い色の瞳が大きく見開かれた。素直な反応を返す少年がおかしかったのか、セシルは喉の奥でくすりと笑い声を立てる。
「入学してからの成績をチェックさせてもらったが、君の成績はかなり優秀だ。優秀な人材を援助し、育てるのも私たちの仕事の一つ。……君は本当に幸福だよ、タクマ。ウィンフィールドの後ろ盾を得たいと切望し、結局はわれらの目に止まらず消えていく者が多い中、君はその一員として招き入れられようというのだから」
 それはあまりにも傲慢な、絶対的優位に立った支配者の言葉だった。拓馬の意志も、望みも、今までも生活もすべて無視し、これからは権力者の列に加えてやるから感謝しろ、というのである。拓馬は拳を握りしめ、皮肉げに笑っている最大の権力者にきつい眼差しを向けた。ふいに、耳の奥で母親の言葉がよみがえる。
『あなたのお父さんはね、とても力のある家の人だったのよ』
 脳裏に浮かぶ母の表情はいつも優しく、穏やかで、触れれば消えてしまいそうなほどに儚げなものだった。
『でもだからかしら、私との生活がすぐにいやになってしまったみたい。ごめんなさいね、拓馬。あなただってお父さんがほしかったでしょうに』
 そんなことない、と言って拓馬が首を振ると、母はいつも寂しそうに笑って手を伸ばしてきた。
『拓馬。私のかわいい拓馬。ウィンフィールドは怖い家よ。だから、関わってはだめ。いつか私がいなくなっても、一人になってしまっても、あの家にだけは絶対に関わらないで』
 懐かしい声が何度も反響する。軋むほど強く奥歯をかみ締め、込みあがってくる吐き気と不快感をやり過ごしながら、拓馬はダークブラウンの瞳に力をこめてセシルを見上げた。
「……ウィンフィールド大佐。それは、おれに……私に対する、お誘いですか?」
「違うな、タクマ」
 あっさりと言い切り、セシルはソファの肘かけを指で叩いた。
「君に拒否権はない、タクマ・テンジョウ。いいや、タクマ・テンジョウ・ウィンフィールド。君はこれから士官学校に進み、多くの人間を従える優れた軍人になれ。ゆくゆくは統合作戦本部長や、宇宙艦隊総司令官を目指してもいい。われらと同じ、『特権階級』に属する人間として」
「……っ、そんなこと……!」
「ゼネラルズの決定は絶対だ。そんな簡単な事実、この国の人間ならば誰でも知っていることだろう」
 絶句する拓馬に微笑みかけ、セシルは余裕を示すように長い足を組んだ。壁際にたたずんでいる校長を軽く見返り、すぐに眼前の拓馬に視線を戻すと、どこまでも冷淡な調子で薄い唇を開く。
「細かい手続きは後日、ということで、今日のところはあいさつだけだ。何せ戸籍上、これから私は君の義兄になるのだから。……ああ、何か他に聞きたいことはあるか? できうる限り答えるつもりだが」
 あまりにも驚きが大きすぎたためか、義兄、という衝撃的な言葉は耳を素通りしてしまい、結果として拓馬にこれ以上のショックをもたらすことはなかった。どこかぼんやりした頭のまま、拓馬はひややかな青い双眸を見上げる。言葉がひどい苦味と共に口からすべり出た。
「……おれの」
「うん?」
「おれの、父は……」
 今どうしていますか、という拓馬の言葉に、セシルは小さく両目を見開いてみせた。彼が微笑以外の表情を浮かべたのは初めてだったが、拓馬がそれを意外に思う間もなく、端正に整った面差しに冷笑が浮かぶ。
 それはどれだけ時が過ぎても忘れられない、氷から削り出された刃を思わせる笑みだった。
「死んだよ。とっくの昔に」



 
 苦虫をかみ潰したような表情のまま、拓馬は目の前の青年に向かって敬礼した。セシルはひんやりと笑って一つ頷き、嫌味なほど優雅な動作で応接室のソファに腰を下ろす。どこまでも洗練された挙措、という点は黒髪の少年も同様だが、レイの仕草が相手に心地よい陶酔感をもたらすのに対し、セシルのそれには他人に見せつけるような傲慢さが滲んでいる。単なる思い込みかもしれないが、拓馬は不快感をつのらせてそっと眉を寄せた。
「……改めまして、このような前線基地にまでご足労いただき、在中司令官として歓喜の念にたえません。まずは航行の無事を心よりお喜び申し上げます。セシル・ウィンフィールド中将閣下」
 お決まりの台詞を口にしながら、拓馬は過去の情景が視界の端にちらつくのを感じた。過去と違うのは場所と、状況と、目線の位置と、軍部におけるお互いの階級だけだ。その事実が自分でも意外なほどに悲しく、胸に痛かった。
(……ああ、くそ)
 セシルからほんのわずかに目をそむけ、拓馬は胸中に苦々しく吐き捨てた。ゼネラルズの人間がわざわざこんな辺境の地を訪れたのである。どんな理由があるのか、あるいは誰の思惑が絡んでいることなのか、第十三地区制圧部隊の司令官として知らなければならなかったが、それ以上に拓馬は戸籍上の義兄と同じ空間にいたくなかった。本能的な嫌悪感、と言い換えてもいいほどに。
 どうしようもない感情をもてあまし、もう一度声には出さずに毒づいたところで、拓馬は半歩後ろから注がれる気遣わしげな視線に気づいた。ちらりと向けられたダークブラウンの瞳を、底の見えない漆黒の輝きが受け止める。小さく目を見張った拓馬を見上げ、綺麗な夜空色の双眸を細めると、レイはあからさまにならないようそっと微笑してみせた。大丈夫、というように。
 たったそれだけで痛みがやわらぐのを自覚し、拓馬は上官の前だというのに苦笑してしまった。退出の許可がでたわけでも、目の前からセシルがいなくなったわけでもないが、気づかないうちに不快感や不安、苛立ちといった感情が溶けるように薄れ始めている。相変わらず不思議な存在だった。拓馬の背後にたたずんでいる華奢な少年は。
 そんな二人の様子をどう取ったのか、セシルは愉快でたまらない、というように喉を鳴らして笑い声を立てた。
「なんだ、お前はずいぶんとその少年が気に入っているようだな。タクマ。相変わらず懐が広いというか、お人よしというか」
「……閣下、レイのことは今は……」
 関係ないでしょう、と続けようとした拓馬の言葉は、有無を言わさないセシルの笑みによってさえぎられた。
「閣下はよさないか? 今はわれわれしかいない、いわばプライベートな空間だ。たとえ、私がここにいる理由が仕事上のものだったとしても。義兄に対してそう他人行儀になることもないだろう」
「……っ」
「なあ、タクマ。愛しいわが義弟(おとうと)どの」
 穏やかに響いたセシルの声に、美貌の少年はふっと両目を見開いた。皮肉げに笑うセシルに視線を向け、不快感をあらわにしている拓馬を見遣ると、問いかけの表情を作りながら小さく呟く。心から意外そうに。不思議そうに。
「……おとう、と?」






    


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