竜と王器

 



 刃の長い大剣が振るわれ、甲冑の弱点である関節部分を容赦なく切り飛ばした。敵兵は悲鳴を上げて体勢を崩し、騎手を失った馬が棹立ちになって高くいななく。それを見事な馬術で避け、別の相手の首を一刀のもとに切り捨てると、ヴァンクール王国の統治者たるクラウス・レスト・ヴァンクールは低く舌打ちした。
 クラウスが見たところ、ヴァンクールの兵たちは敵軍と互角以上の戦いを繰り広げていたが、状況はそう楽観視できるものではなかった。誉れ高い五大国の一翼とはいえ、ヴァンクールの国土はお世辞にも広大とは言えず、動員できる兵の数も多いとは言えない。だからこそ『草原の国』と呼び名されるイーファンに狙われ、五大国の中でもっとも早く戦火に巻き込まれることになったのである。
 もちろん、ヴァンクールは大陸中に点在する弱小国とはわけが違う。特にクラウスが王位を継ぎ、国王兼総大将として戦場に出るようになってからは、大陸最大の王国レニングライドにせまる快進撃を見せていた。同じ五大国であるレマイルとの同盟、隣接するリン・ファーとの不可侵条約締結、国内にはびこっていた犯罪者たちの摘発など、クラウスの手腕はまだ三十前の青年とは思えないほど見事なものだった。
 即位から約一年が経った今、国家としてのヴァンクールは磐石のものに見えたが、それでも他の四国に比べれば与しやすく思えたらしい。クラウスはもう一度舌打ちの音を響かせ、襟足のやや長い黒髪を乱暴にかき上げた。
 胴から胸、肘から手首、そして両足の脛だけを覆う甲冑を身につけ、見事な拵えの大剣を構えたクラウスの姿に、『草原の国』イーファンの兵たちは色めきたった。もともと遊牧民たちが寄り集まって作られた国である。兵たちの馬術は巧みなもので、瞬く間に数十人がクラウスへと殺到した。
「………めんどくせーんだよ!」
 漆黒の双眸を鋭く細め、クラウスは旋回させた大剣で兵たちを迎え撃った。一人が頚部を、一人が肩を、一人が額を割られて乾いた荒野に落馬する。クラウスの技量は並外れて優れていたが、イーファンの兵たちは後から後から姿を現し、まだ息のある味方を踏み越えて青年王に襲いかかってきた。さながら餌に群がる蟻の群れだ。
 特に大柄な男の剣を弾き、がら空きになった胴に切っ先を叩き込んだところで、さすがに滑らかだったクラウスの動きがわずかに乱れた。好機とばかりに他の兵が馬首を向け、顔を殺気にぎらつかせながら剣を振りかぶる。
 クラウスはそれを流し見ただけだった。体を引くことも剣を掲げることもなく、唇の動きだけで『それ』の名を呼ぶ。
 時ならぬ風が駆け抜けていったのと、クラウスの周囲にいた敵兵がもんどりうって倒れたのは、ほぼ同時だった。
「―――シア!」
「呼ぶのが遅い!!」
 子供のように顔を輝かせたクラウスを、片手に槍を構えた青年が容赦なく叱りつけた。
 その瞬間、仮にも戦争中だというのに兵たちが息をつめ、戦場の直中に奇妙な静寂が落ちかかった。それも当然だろう。風のような速度で現れ、身の丈ほどの槍を振るって敵兵数人を屠ったのが、この世のものとは思えない美貌を持つ青年だったのだから。
 うなじで束ねられた長い銀髪、長い睫毛に煙る銀灰色(ぎんかいしょく)の瞳、ひどく形の良い唇と繊細な鼻梁が、これ以上ないほどの調和を見せて華奢な青年を彩っている。髪や白い肌だけでなく、まとっている戦衣も純白の地に銀を配し、裾と絞った腰の部分にだけ紫の刺繍をほどこしたものだ。右手に銀の篭手をはめ、両足にやはり白銀色の戦靴を履いた姿は、もはや美しいと表現する気にもならない造形美を誇っていた。
 手にした槍の柄で地面を打ち、シア、と呼ばれた青年は馬上のクラウスをにらみつけた。造作が桁違いに整っている分、怒りをあらわにするとえもいわれぬ迫力がある。
「………自分から囮になるような真似をするなって何回言えば気がすむのかな、クロウ? っていうかお前に一国の王だという自覚はあるわけ? 筆舌に尽くしがたい空前絶後兼前人未到の馬鹿じゃないの?」
「うっ、そこまで言わなくてもいいじゃんか……」
「うるさい黙れ。まったく冗談じゃないよ、そんな王を守る方の身にもなってほしいね!」
 鋭く言い放ちつつ、青年は振り向き様に巨大な槍を横へ薙いだ。にわかに正気づき、青年とクラウスに襲いかかろうとしていた敵兵が、その正確無比な一撃に薙ぎ払われて大きく吹っ飛ぶ。
「……僕の王に剣を向けるなんて、『草原の国』の連中もいい度胸してるじゃないか」
 青年の唇が淡い笑みを刻んだ。それを見たクラウスがあちゃあ、と呻いて天を仰ぐ。
 クラウスは他の誰よりもよく知っていた。この繊細優美な青年を怒らせたが最後、ただの『人間』では逆立ちしても対抗できないということを。
「竜王に守られる五大国のうち、銀の竜王シェキア・リースが守るヴァンクールに攻め入ったんだ。報いは受けてもらうよ」
「――――っ、竜王!?」
「銀の王、シェキア・リース……ッ!!」
 静かに響いた声を受け、イーファンの陣営を動揺と恐怖が駆け抜けていった。
 銀の竜王、シェキア・リース。遥か昔に人間と契約を結び、それぞれの王国を守護している竜王の中で、最年少ながらずば抜けた魔力と戦闘能力を持つ美しき白銀竜。覚悟の上でのヴァンクールに攻め入ったとはいえ、こうして実際に相対すると本能的恐怖に捕らわれるのだろう。何人かの兵が反射的に馬首を返し、シェキアに背を向けて逃亡しようとした。
「見苦しい」
 シェキアの口元を鮮烈な笑みがかすめる。ほっそりとした白い手首が翻り、柄の長い巨大な槍が宙を裂いて飛んだ。兵の一人が肩を貫かれ、わずかな鮮血を噴き上げながらのけぞって倒れる。
「シア、あんま殺すなよ!」
「うるさいな、努力してるだろ」
「ついでにお前も怪我すんなよ! 怪我したら泣くぞ!!」
「黙れ二十六歳!」
「だってお前すぐ治るからって怪我するじゃんか!!」
 まるで緊張感のない会話を交わしつつ、シェキアは滑るような身のこなしで間合いをつめ、何も持っていない右手を軽く振るった。
 いや、確かに『何も持っていなかった』はずが、振り抜かれた時には白い手に銀の片手剣が握られていた。『空中』から抜いたとした思えない剣を握り直し、シェキアはどこまでも優雅な動きでそれを一閃する。光の残像が走った、と思った瞬間には、幾人もの兵が腕や手首を切断されて剣を取り落とした。
 そのまま片足を軸に身を翻し、横を走り抜けようとした軍馬を浅く切りつける。それだけで馬は狂ったように暴れ、必死でなだめる騎手を戦場に放り出した。その手から剣を蹴り飛ばし、別の騎影とすれ違いながら兵の足を傷つけ、まったく速度をゆるめずに軍馬の直中を駆けていく。
 イーファンの兵たちは強い恐怖に抱きすくめられていた。白銀の風が走りぬけ、瀟洒な片手剣が光を弾く度に、草原の民であるたくましい男たちが悲鳴を上げて落馬していくのだ。紙や飴細工を両断するように。あるいはまったく動かない張りぼてを切り捨てていくように。
 その横へ夜闇のような黒馬が走りこんだ。両手でも扱いかねるほどの大剣を軽々と振るい、クラウスがシェキアと並んでイーファンの陣営を切り崩していく。
「シア、無理すんなよ!?」
「――――いつも思うけど、なんでお前はそんなに心配性なんだ?」
 ふぅっとわざとらしく溜息を吐き、シェキアは銀灰色の瞳を悪戯っぽく煌かせた。
「じゃあとっとと終わらせようか」
「……あ?」
「僕に命じろ。『全力を持ってこの戦いを終わらせろ』って」
 そこでようやくシェキアの意図に気づき、クラウスは思いきり渋面を作ってみせた。
「…………俺、あんまし命令とか好きじゃねーんだけど」
「わがまま言うな。僕に命令できるのはただ一人、わが名と魂にかけて忠誠を誓ったお前だけなんだから。ほら、早くしてくれる?」
 人身のままで戦うのはめんどうくさいんだよね、と眉を寄せて呟き、シェキアは無造作に相手の槍を切り飛ばしてのけた。切断された穂先がくるくると宙を舞う。
 それを見やって溜息を吐くと、クラウスは仕方がなさそうに手綱を絞って馬を止めた。
「シア」
 ただ一人、クラウスだけに許された呼び名を口にする。竜王へ命令を下すために。
「命令だ。お前の持てるすべての力を持って、イーファンとの戦いを終わらせろ。―――――ただし怪我とかしない程度でっ!」
 慌ててつけ加えられた『命令』に苦笑を漏らし、シェキアは舞うような優雅さでクラウスに向き直った。
「御意のままに、わが王」
 その瞬間、シェキアを構成していた輪郭が揺らぎ、瞬きする間に戦場へ巨大な影が落ちた。
 白銀に煌き渡る皮膜状の翼。金属よりなお滑らかで、宝石よりなお透明感のある鱗。純白の角が伸びる形の良い頭部に、戦場を睥睨するように曲げられた力強い首。意志あるもののように揺れる先細りの尾。銀灰色の双眸だけは変わらないまま、美貌の青年は美しい異形のものへと姿を変じてみせた。翼が広げられ、完璧な均衡を保つ体躯を宙へ持ち上げる。
「……あ、ああ、あ………っ」
 その威容を間近で見てしまった兵たちが、声にならない喘ぎを上げてその場に膝をついた。それは一部だけに留まらず、まるで波が広がっていくようにイーファンの陣営へ伝染していく。代わりにヴァンクール側からは歓喜の声が上がった。
『―――引け、草原の国イーファンの民たちよ』
 それはどこまでも透明で豊かな、大自然の恵みを感じさせずにはいられない響きだった。銀灰色の双眸で周囲を見渡し、シェキアは魔力によって形作られた声を響かせていく。
『もはや勝敗は決した。ここで剣を引くならこれ以上は追わぬ。だか引かぬというなら、銀の竜王シェキア・リースの名にかけて、最後の一兵にいたるまで屍となることを覚悟してもらおうか』
 その一言で勝敗は決まった。兵たちはめいめい武器を手放し、戦意がないことを示すように荒野へ跪く。それを安堵の表情で見やりながら、馬を下りたクラウスは己の竜王に嬉しげな視線を向けた。
『………なに?』
 子供のように影のない視線を受けて、シェキアはクラウスにだけ聞こえるように『声』をひそめた。
「いや、やっぱりシアはすっげー綺麗だよなーって思ってさ」
 さすが美竜だよなっ、と力いっぱい頷く主君を見下ろし、シェキアは『このまま下りていってこの馬鹿を踏み潰したい』という衝動を必死で堪えた。そうだこいつは馬鹿なんだマトモに取り合うな、と自分に言い聞かせ、優美な首を持ち上げて荒れ果てた戦場を見下ろす。その瞳にどこまでも明るいクラウスの笑みが映った。
「なあ、シア」
『なに、クロウ?』
「いや。とりあえず、今日もありがとうな』
 次もよろしく、という屈託のない声を受け、銀灰色の双眸をかすかに和ませると、銀の竜王シェキア・リースはどこか恭しい動作で頭を垂れた。
『すべてはお前の望むままに。わが王、クラウス・レスト・ヴァンクール』






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