月は光に頭を垂れて つきはひかりにこうべをたれて


 


 冬らしくカラリと乾いた空気の中、銀の長剣が光を反射しながら翻り、斬りかかってきた幅広の大剣を宙へと跳ね飛ばした。大剣はひどく軽やかな動きで空を舞い、甲高い音を立てて闘技場に敷きつめられた石の上を転がっていく。
「――――そこまで! 勝者、傭兵団“神月(グランディア)”団長、ユエ!!」
 審判がさっと片手を上げ、勝敗が決したことを宣言したとたん、ひろびろとした闘技場を割れんばかりの歓声が支配した。ある者は番号の書かれた札を放り投げ、ある者は指を鳴らして大もうけだと叫び、またある者は心ここにあらずといった風情でうっとりと指を組み合わせている。
 投げ捨てられた木の札には48、歓喜の声と共に掲げられた札には72という数字が焼き印として刻まれ、陽光を弾いてつやつやと輝いていた。48は大剣を弾き飛ばされた赤毛の巨漢に、72はその喉元に長剣を突きつけている黒髪の青年に与えられた番号である。勝者となった青年は薄い笑みと共に剣を引き、鞘に収めながら胸元のプレートを引きちぎって空に放り投げた。
 光に煌く72の数字に、彼の勝利に賭けていた観客たちが再び盛大な歓声を上げる。
「……クソが、格好つけやがって」
 痺れの残る右手を左手でさすりつつ、武闘会の優勝者になり損ねた巨漢が憎々しげに呟いた。その声が聞こえたのか、審判にユエと呼ばれた青年がにやりと唇の端を引き上げる。
「悪ィかよ? 格好いいヤツが格好つけるんなら別におかしくねェだろ」
「なっ……」
「敗者のひがみはみっともねェぜ? 悔しかったらもっと腕をみがいた上で、その暑っ苦しい顔を鑑賞に耐えるモンにして来いよ。雪辱戦ならいつでも受けてたってやるから」
 屈辱のあまり顔を真っ赤にし、歯軋りせんばかりの形相でにらんでくる巨漢から目をそらすと、ユエはそれきり興味を失ったように舞台(リング)の端へ歩き出した。冬のひんやりした風が吹きぬけ、このユレスティア大陸ではめずらしい漆黒の髪を揺らしていく。
 襟足の部分を小さく束ねた黒髪同様、露出している肌以外のすべてが黒で統一されている青年だった。冬の夜空を思わせる瞳、かっちりした布地の服、胸を部分をおおう胸甲、腰に回された剣帯のみならず、そこに下げられた剣の鞘と柄までが深みのある黒に染められ、色素の薄いユレスティア人の中では浮いて見えるほどの存在感を確立している。
 重苦しいと談じられても仕方がないいでたちだったが、一つ一つの挙措に見られる身軽さと、表情から滲み出る飄々とした雰囲気があいまって、ユエの持つ空気をどこまでも明るく清々しいものにしていた。やや目尻のつりあがった瞳をぐるりとめぐらせ、片手で艶のある黒髪を無造作にかき上げると、ユエはどこまでも重さを感じさせない動作で客席の一部に足を向けた。
 七大国の一つであるラグナンの闘技場だけあって、舞台を取り囲むすり鉢状の客席は見上げていると首が痛くなるほどに広い。その一部が大きく張り出し、品よく銀や宝石をあしらった貴賓席となっていた。貴賓席の名や仰々しい装飾にふさわしく、ラグナンの同盟国であるシュトラールの宰相や、国土はせまいながら大陸一の歴史を誇るレピニカの王妃、その他小国の王や大国の有力貴族などが顔をそろえ、四年に一度もよおされる『ラグナンの武闘会』の優勝者となった青年に興味深そうな目を向けている。
「……いやまったく、こうもあっさり決着がついてしまうと少々物足りませんな。さすがは最強と名高い“神月”のユエ、と言ったところでしょうか」
「彼はあの若さで信じがたいほど多くの戦場を渡り歩き、その上で数々の武将や傭兵たちから『最強』の名を持って呼ばれている男です。……言葉は悪いかもしれませんが、しょせん武闘会は競技にすぎないもの。彼にとっては遊びの延長でしかなかったのでしょう」
 小国サングラッドの王子がこぼした熱っぽいささやきに、前列の右端に腰かけていた少女がひどく大人びた口調で答えを返した。
 どれだけ多く見積もっても二十歳には達していないだろうと思わせる、華奢というよりは小柄な少女だった。泰然とした物腰も、並みの大人よりよほど落ち着いた口調も、まだ子どもとさえ表現できる年齢にはふさわしくないものだったが、それが問題にならないほど桁外れに美しい顔立ちをしている。
 ゆるやかに波打つ髪は豪奢な黄金、長い睫毛に縁取られた瞳は夏の空のようにくっきりした青。裾や袖が長く作られているものの、冬に着るにはいささか寒々しく感じられる薄絹をまとい、その上から花の透かし模様の入った白いマントを羽織っていた。それだけなら空から舞い降りた神の御使いのようだが、ほっそりした腰には黒地に金の入った剣帯が巻かれ、儀礼用のものとは決定的に異なる実用的な剣が下げられている。
 王国グランディールの世継ぎ姫、シャナ・ティアラ・グランディール。父王が老年になってから生まれた一人娘であり、齢十八歳にして床に伏した父の代わりに政を行う摂政であり、ひとたび戦が起これば誰よりも勇敢な指揮官として剣を取る戦士であった。
 周囲から集まる感嘆の眼差しに笑みを返し、シャナは優雅でありながら隙のない身のこなしで椅子から立ち上がった。そのまま精緻な細工のほどこされた手すりに歩み寄り、舞台から貴賓席の下まで移動してきた黒髪の青年に視線を向ける。
 真夏の空の瞳が楽しげに微笑した。
「ご苦労だったな、ユエ。負けはしないだろうと思ってたが、ここまであっさり片がつくとは思わなかったから拍子抜けしたぞ」
「しょーがねェじゃん。大体これって戦闘じゃなくてお遊びだろ? 目は狙っちゃいけませんとか、相手を死に至らしめたら失格ですとか、できる限り急所への攻撃は控えましょうとか、おいおいおまえら戦いをなんと心得るそこに座んなさいな規則が目白押しでやんの。あんたが出ろって言わなけりゃそもそも出場しなかったぜ、姫」
 かるく首をかたむけて貴賓席を見上げつつ、ユエは姫君らしからぬぞんざいな口調の少女に肩をすくめてみせた。七大国に比べれば取るに足らない小国とはいえ、仮にも一国の王女に対するものとは思えない青年の態度に、貴賓席に座った王侯のみならず警護の兵士までもがざわめき始める。
 当のシャナだけは悪戯っぽい表情で微笑し、ちょうど足元に目の高さがきているユエに向かって手を差し伸べた。
「仕方ないだろ。武闘会へは国でもっとも強いとされる者を出場させるのが常識なんだ。うちの国が他に雇っている傭兵団や正規の軍人をふくめた中で、文句なく一番強い使い手だと断言できるのがおまえだったんだから」
「そりゃ当然だな。なにせ天下の俺さまユエさまだぜ?」
 軽い調子で自信に満ちた台詞を口にすると、ユエは少女の意図に気づいて形のいい唇に笑みを滲ませた。
 貴賓席の手すりから身を乗り出し、まるで女王のような仕草で片手を差し伸べてくる姫君に、ユエも貴婦人を踊りに誘うような手つきで鍛えられた右手を持ち上げる。無骨な戦士の手に少女の白い手が重なった瞬間、シャナはなんのためらいも見えない動作で手すりを乗り越え、薄絹の裾をなびかせながらその細い体を躍らせた。
 周囲があっけにとられて見守る中、ユエは降ってきたシャナの体をあっさりと受け止め、そのままたくましい肩の上にかつぎあげてみせた。くすくすと笑う少女を漆黒の瞳で見やり、どこかわざとらしい表情で片方の眉を吊り上げる。
「どうでもいいけど、これってかなり王族らしくない行動なんじゃねェか、お姫サマ?」
「今さら。私はグランディールの世継ぎ姫。人には戦姫(いくさひめ)と呼ばれる粗忽者だぞ? おまえみたいなやつとつき合うならこれくらいがちょうどいいんだ」
「言ってくれるじゃねェか」
「なんだ、間違ってるか?」
「いんや。そんなあんただから俺は誓いを立てたんだしな。――――だから俺はあんたのもんだよ、姫」
 それは情熱的でも、甘美でも、真摯でもない言葉だったが、疑いようのないほど確かな思いが込められた宣誓だった。
 くずぐったそうな表情で首をすくめ、シャナはユエの肩に腰かけしながら観客席を眺めやった。清楚でありながら豪奢という稀有な美貌を笑みに溶かし、何事かとざわめき続ける観客たちに向かって悠然と片手を振る。
 一瞬の静寂の後、耳をつんざく歓声が広すぎるほど広い闘技場に爆発した。
「……若造と小娘が。虚栄心が強いのもここまでくると見苦しい」
 憎々しげに呟いたシュトラールの宰相に、武闘会の開催国であるラグナンの王がちらりと笑みを見せた。
「そうは言うがな。貴国でも、最強と誉れ高い傭兵団“神月”と、それを率いる傭兵ユエを雇ったことくらいあろう」
「……それは無論ですが」
「だがやつは、我々が継続的に神月を雇おうとするとその前にするりと逃げてしまう。まるで誰のものにもならないと宣言するようにな。……それが、今ではすっかりかの戦姫のものだ」
「……」
「それだけのものがあの『小娘』にあったのだと、我々も認めぬわけにはいくまいよ」
 苦笑まじりにささやいたラグナン王の視線の先、冬の日差しが石造りの舞台を白々と照らし出すその場所で、誰のものにもならなかった戦場の至宝が金髪の戦女神と共に楽しげな笑い声を立てている。その光景に見惚れていた己を認めることができず、シュトラーゼの宰相は舌打ちをこらえながら大きく顔をそむけた。








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