終 いつかすべてが終わる日に





「――――こうして、レファレンディアの首都レスファニアは獅子王クレスレイドの墓標となりました。ご存知でない方はいらっしゃらないと思いますが、今も大陸の中央に残っている『空白の聖地』こそ、かつて大国レファレンディアの首都として栄えたレスファニアだったのです。……その後、再び歴史の表舞台から姿を消した裁定者がどこへ向かったのか、ただの吟遊詩人にすぎない私に知る術はありません。ですが、あのデリスカリア建国の戦から六年が経ち、レスファニアの決戦から四年が経った今でも、裁定者の噂や目撃談は大陸のいたるところで語られ続けています。こうして私の話に耳を傾けて下さっている皆さんも、普段生活している街の一角で、風の渡る野辺の小道で、ふらりと立ち寄った場末の酒場で、知らないうちに裁定者とすれ違うことがあるかもしれません。……私の話はここで終わりとなりますが、どうぞそのことをお心にとどめおき下さいますよう、ペルセフィアラを信奉する物語の伝達者としてお願い申し上げます」
 人好きのする表情でにこりと笑い、青年は長く続いていた話をそう締めくくった。ほろん、という竪琴の音色が空気を震わせ、柔らかい余韻を残してから吸い込まれるように消えていく。
 とたんに酒場中から拍手の音が鳴り響いた。最初は何だかんだと文句をつけていた客も、酔いのせいで赤く染まった顔をゆるませ、しごく満足げに吟遊詩人の青年へ拍手を送っている。投げ込まれた銀貨や銅貨が宙を舞い、青年の足元に決して低くはない山を築いた。
「……なかなか面白い話だったな。声もそれなりに綺麗だったし、話の途中で退屈もしなかった」
 行儀の悪い姿勢で頬杖をつき、銀色にけむる睫毛を伏せていた少女が、隣に腰かけているアーシェに悪戯っぽい笑みを向けた。そのまま吟遊詩人の方に顎をしゃくり、無言のままどうする、と相棒に問いかけの視線を送る。
 アーシェは小さな微笑を作った。返事の代わりに皮袋を取り出し、中から二枚の金貨を引っ張り出すと、絶妙の力加減で吟遊詩人の足元へと放り投げる。きらきらと輝く新品の金貨は、狙い違わず銀貨と銅貨の山の上に落ち、チャリンともシャリンともつかない澄んだ音を響かせた。
 その音に注意を引かれたのか、吟遊詩人の青年が何気ない動作で視線を動かし、奥まった位置に座っているアーシェをまっすぐに見据えた。
 純粋な黒い髪に黒い瞳の、東方の国レイゲツ人の特徴を完璧にそなえた面差しが、ほんの一瞬だけ懐かしそうな笑みに彩られる。
 そのまま片方の手のひらを胸に当て、吟遊詩人の青年はどこまでも優雅に腰を折ってみせた。短くそろえられた黒髪が流れ落ち、右の一房だけを束ねる金の飾りが小さく揺れる。傍目(はため)には観客に向かって礼をしたように見えたのだろう、再び巻き起こった拍手の音がこじんまりした酒場を押し包んでいった。
 それを見やってやんわりと笑い、アーシェは静かに備えつけの椅子から立ち上がった。少女も当然のような表情でそれにならい、相棒と共にやや離れた位置にある扉へと向かう。動作のひとつひとつがひそやかなためか、桁外れの美貌を持ったふたり連れであるにも関わらず、周囲の注目を集める前に酒場の外へとすべり出ることができた。 
 昼間と比べて涼しさを増した風に、腰のあたりまで伸ばされた純金の髪と、渦を巻くように流れる純銀の髪が巻き上げられる。それを追いかけるように首をめぐらせ、アーシェは青と緑を湛える色違いの瞳を細めた。
 アーシェの視界に飛び込んできたのは、街並みの彼方で赤々と燃えさかる、胸が痛くなるほど鮮やかな夕暮れの太陽だった。アーシェの隣で暮れなずむ空を仰ぎ、少女も眩しそうな表情で両目をすがめる。
「……それで、これからどうする?」
「とりあえず、夜になる前に宿を探そう。今夜も野宿は普通に嫌だからな」
「そうだな」
 アーシェの答えが返るやいなや、少女は弾むような身のこなしで踵を返し、宿屋の集まっている一角に向かって歩き始めた。猫を思わせる仕草で軽く伸びをし、隣に並んだアーシェにちらりと眼差しを投げる。
「なあ」
「何だ?」
「レファレンディアの獅子王は、おまえにとってすごく大切な人だったんだな。詳しくは聞かないけど」
 それ以上詮索する気など微塵も感じられない、ひどくあっさりとした表情と口調だった。簡単な響きの問いかけに背中を押され、アーシェも肩をすくめながらさらりと聞き返す。
「よくわかったな?」
「当然だろ? 私はおまえの二番目の友達で、現在進行形の相棒なんだから」
「なるほど」
 何度も繰り返されてきた気安いやり取りに、アーシェは再び穏やかな笑みをこぼした。
 腰に下げた長剣の柄に指をすべらせ、目の前で燃えている真っ赤な夕日に視線を向ける。あの日から四年の歳月が経ち、あらゆるものがどうしようもないほど変わってしまったが、こうして夕焼け空を仰ぐたびによみがえる、愛しさと痛みの入り混じった感情だけはわずかにも薄れない。
 それは何よりも幸福なことだった。
(――――……クレス)
 噛み締めるように胸中へ呟けば、瞼の裏に泣きたくなるほど明るい笑顔がよみがえり、大切に抱え込んだ傷の痛みをほんの少しだけやわらげてくれた。
(まさかこんな街外れの酒場で、おまえの話が聞けるとは思わなかったよ)
 立派に語られすぎてて別人みたいだったけどな、と唇の動きだけでささやき、長剣を撫でる指先に力を込める。
(いつになるかはわからないけど、おまえとの約束も、戦ってばかりの人生も、相棒と続けてるこの旅も)
 空を仰いだまま胸中に続け、アーシェは見惚れるほど綺麗な表情で微笑した。
(いつかすべてが終わる日に、おまえに会いに行くから)
 そうすればきっと、あの青年は太陽よりも眩しい笑顔を作り、遅れてやってきた親友を迎え入れてくれるだろう。アーシェの肩を容赦なく叩き、変わらない口調でご苦労さん、と労いの言葉をかけてくれるだろう。
 その時はアーシェも、いつかのように呆れの表情を滲ませ、言いたくても言えなかった数々の文句をぶつけてやれるだろう。
 ずっとおまえに会いたかったという、今さらすぎて口に出せない本音の代わりに。
(だからちゃんと、そこで待ってろ)
 長剣の柄から右手の指を離し、アーシェは返事を待つように稀有な色合いの瞳を閉ざした。
 明るい声音が耳に届くことはなかったが、春の気配を感じさせる風が音もなく吹きすぎ、夕焼けの光に透ける純金色の髪を乱していった。優しい風の吹き抜けていく先で、純銀の髪を持った少女がくるりと振り返り、不思議と懐かしい表情でアーシェに笑いかける。
「何だ? 早く行かないと夜になるぞ、アーシェ」
「ああ。そうだな、セラ」
 もう一度だけ腰に下げた長剣に触れ、精緻な細工をかすめるように撫でてから、アーシェはいつの間にか先を歩いていた少女の横に並んだ。今にも沈んでいこうとする太陽を見やり、あの日と変わらない鮮やかさに安堵の表情を浮かべる。この分なら明日は晴れだな、という小さな呟きは、隣の少女に届く前に風の手のひらがさらっていった。




 大陸中に数え切れないほどの国が乱立し、武力によって覇権を争っていた戦乱の初期。『黄金の王国』レファレンディアと『中央の大国』ランドーラが、たった一夜にして大陸レーヴァテインから消滅した。
 王都であるレスファニアに攻め込まれ、激しい戦いの末に滅ぼされたのはレファレンディアの方だが、時を同じくしてランドーラの首都に流星が降りそそぎ、国の中枢を完膚なきまでに破壊してしまったのだという。
 多くの吟遊詩人や語り部は、かの裁定者がレファレンディアの獅子王クレスレイドに忠誠を誓い、彼に対する弔いとしてランドーラの首都を滅ぼしたのだと伝えているが、大半の歴史家たちはそれを根拠のないおとぎ話だと断定している。どれだけ詳しく調査を進めても、ほんのわずかしか残されていないレファレンディアの資料の中に、裁定者エリュシオンに関する記述を見つけることはできなかったからだ。
 ただ、あくまでも私的なクレスレイドの手紙や、厳しい戦いを生き残ったレファレンディア兵の手記の中に、金の髪を持った『戦神の御子』についての描写が数多く見られ、今もなお歴史家たちの首を傾げさせる要因となっている。それが果たして誰のことを指していたのか、残された資料の中では語られていない。






  


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