誰がために剣を取る 1


 


 大陸に名だたる六つの大国のうち、『黄金の国』レファレンディア、『鉄鋼王国』ヴァングレイン、『中央の大国』ランドーラの三つを指して『三大国』と呼ぶことがある。
 それぞれが三角形の頂点になるように位置しているからとも、他国に比べて大陸の中央に寄っているからとも、王国の代名詞にふさわしいほど歴史が深いからとも言われているが、最大の理由は残りの三国が束になっても敵わないだけの軍事力にあった。精兵と言ってさしつかえない兵を有するレファレンディア、随一の武具の産出国として知られるヴァングレイン、そしてレーヴァテイン最大の国力を持つランドーラは、大陸全土に並ぶもののない軍事国家として長くその名を轟かせている。
 その三つが寄り添うように存在している以上、どう足掻いても三国間の戦争は避けられないと思われがちだが、実際は危ういところで均衡を保ったまま数十年が経過していた。たとえばレファレンディアとヴァングレインが戦争を始めた場合、両国が疲弊するのを待っていたランドーラが悠々と腰を上げ、最後に美味しいところのすべてをさらっていくのは疑いないからだ。たとえ一国を攻め滅ぼすことができても、疲れ果てたところで残りの一国に乗り込まれてはたまったものではない。
 だからこそ三大国は眼前の餌から目をそらし、くすぶり続ける野望を押さえつけ、互いの間に戦火を交えることをしようとはしなかった。野心家で知られるランドーラやヴァングレインの王と違い、レファレンディアの王は国土拡張にわずかな熱意も持っていなかったが、それでも三大国間の均衡を保つために必要な軍事力だけは維持し続けている。その絶妙なさじ加減が中央の平和を保ってきた最大の要因だった。
 ランドーラがレファレンディアに宣戦布告し、その圧倒的な軍事力を持って侵攻を始め、大陸を巻き込む乱世の幕開けを告げるまでは。
「……馬鹿な。ありえません、そんなこと」
 ひどく呆然とした表情で呟きを漏らし、レファレンディア軍でも年かさの部類に入る将軍が頭を振った。一拍置いてそれに同意するうめき声が上がり、鋭く張り詰めた会議室の空気をゆるゆると揺らしていく。
「ランドーラがわが国に宣戦布告してきた際、ヴァングレインの方に動きがないかは入念に調べたはず。今も信頼に値する斥候を何人も潜伏させています。……それが、ランドーラとヴァングレインの同盟に気配に気づくことすらできないなど」
「だが、事実だ」
 すがるような将軍を声をぴしゃりとさえぎり、クレスは刃のように輝く紅の瞳を地図上に落とした。
「有り体に言えば、ランドーラのフォルストラ王はうちの国をつぶすためにヴァングレインに頭を下げる方を選んだってことだ。確かにそれも想定の範囲内だったが、まさかここまで迅速に動いてくるとはな」
「ヴァングレイン側の国境を守るシェスの砦はランドーラの兵に抑えられました。伝令の魔術師からの報告によれば、救援に向かわせた近隣領主の手勢も全滅に等しいと。……ランドーラ軍はそのままシェス街道を南下し、王都レスファニアを目指して進軍中とのことです」
 後を引き取って続けたのはファレオだった。可能な限り感情を廃したその声に、ある者は憎々しげな表情で唇を噛み締め、ある者は悪夢を振り払うように首を振り、ある者は不安をぬぐいされない様子でクレスとファレオを仰ぎ見る。決してせまくはない会議室に沈黙が落ち、男たちの立てる息遣いと衣擦れの音が忌々しいほど存在を主張し始めた。
 春に一度戦場となったイグリスの砦ではなく、ヴァングレインとの国境に作られたシェスの砦が襲われ、ランドーラの兵によって占領されたのが三日前のこと。事前にヴァングレインの動きを察知することができなかったのは確かだが、だからと言ってレファレンディアの兵が警戒を怠り、国境の向こう側に意識を向けていなかったわけではない。イグリスの砦に勝るとも劣らない警戒態勢が敷かれ、どんな不測の事態にも対処できるよう、幾度も戦場を経験してきた歴戦の将軍が目を光らせていたはずだった。
 だが、シェスの砦に詰めていた兵のみならず、救援に向かわせた近隣領主の手勢までもが全滅させられ、ランドーラ軍の前に王都レスファニアへ続く街道を明け渡すことになった。常識的に考えてありえないことと言っていい。いかにランドーラの国力が充実しているとはいえ、精鋭として知られるレファレンディアの兵を短期間で屠り、そのままの勢いで敵国の奥深くに進軍するなど、ただの人間の集団でしかない軍隊には不可能な芸当のはずだからだ。
 卓上に広げた地図を指先で叩き、ヴァングレインとの国境から王都までの道筋を視線でなぞると、クレスはひとり言めいた口調で低く呟いた。
「……シェスの砦はレスファニアから遠い。イグリスの時みたいに俺が騎兵を率いて飛んでいくわけにもいかねえし、兵を出して途中で迎え撃つには敵の動きが早すぎるな」
「はっきりとした報告があったわけではありませんが、恐らく敵側に強力な力を持つ魔術師がついたとみて間違いないでしょう。春の戦いのように獣人や他の魔獣を操ってくるとしたら、ランドーラの本陣がレスファニアまで押し寄せてくるのは時間の問題かと思われます」
 わずかな不安のこもったファレオの声に、クレスは小さく顎を引くことで同意を示した。そのまま地図に落としていた視線を持ち上げ、会議が始まってからずっと黙ったままの友人に瞳を向ける。
「アーシェ、どう思う?」
 軽く首を傾げたクレスに倣い、会議室に集まったすべての人間が壁際にたたずむ青年に注目した。眼差しにこめられているのは無条件の信頼と畏怖だ。純金色の髪を頭上でたばね、華奢な体躯を白の衣装で包んだ青年は、レファレンディアの民にとって唯一の守り神にも等しい存在になりつつある。彼ならば何とかしてくれるのではないか、状況を打破する策を考え出してくれるのではないかという、ひどく純粋な期待の眼差しがアーシェのもとに集中した。
 アーシェは小さく息を吐いた。誰にも悟られないように拳を握り締め、胸中に湧き上がってくる思いを力任せに押さえつける。そうしなければ叫び出してしまいそうだったからだ。なぜだ、どうしてだ、と。
「……そうだな。ランドーラ側に強力な魔術師がついたのは間違いないと思う。数百人にひとり……いや、千人にひとりいるかいないかだが、たったひとりで熟練の兵一個大隊を片づけてしまえるような魔術師が生まれることがある。もちろん正しい手ほどきを受けなければ扱えるようにはならないし、そういう魔術師は力を悪用しないようにギルドが厳重に『管理』しているはずだが」
「それがギルドの管理から漏れちまった挙句、なにをどう間違ったかランドーラ側についちまったってことか?」
「多分な」
 苦々しい表情で吐き捨てるように呟き、アーシェは握り締めた拳に力を込めた。
 他者に管理されることを嫌い、ギルドに加盟しないまま好き勝手に力を振るう『はぐれ』の魔術師。それをギルド以上の権限によって取り締まり、世界に影響を与えないように管理するのが、二年前に建国された『魔術師の国』デリスカリアだった。
 ランドーラについた魔術師が『はぐれ』の者である以上、デリスカリアにはそれを取り締まる義務が生じるはすだが、レファレンディア側の親書に対する応えは今のところ返ってきていない。統治者である法王(ほうおう)の絶大な魔力と、理の神アーカリアの疑いようのない加護のため、建国後たった二年で大国のひとつに名を連ねるまでになったが、まだランドーラとレファレンディアの争いに首をつっこめるほど国力が充実していないということだろう。均衡を崩しかねない魔力の持ち主を管理し、たったひとりの力で数千の人間が命を落としかねない世界を改革するという理想のもと、多くの人間が犠牲になりながら『魔術師の国』デリスカリアを建国したというのに。
「……つーことは、状況はかなりやべぇってことだな。陣形組んだところを吹っ飛ばされでもしたら大損害だ。ただでさえデリスカリアができてから魔術師を雇うのが難しくなってるってのにな」
 思考の中に沈み込んでいたアーシェの意識を、内容とは裏腹に力強さを失わないクレスの言葉が掬い上げた。つめていた息をゆっくり吐き出し、アーシェも意識の向かう先を会議の内容へと切りかえる。
「その魔術師の力がどの程度かにもよるが、近隣領主の手勢まで短期間で全滅させられたことを考えるとまずいな。レファレンディアのかかえている魔術師だけで対抗できるとも思えない」
「ああ。……そうは言っても、何の手も打たずにレスファニアで歓迎してやるわけにもいかねえな。とりあえずは時間だけも稼ぐ必要がある」
「私が行くか?」
 それはひどくあっさりと紡がれた言葉だったが、短い響きの中にはアーシェだからこそ込められる強さと凄みがあった。どこか嬉しげに見える表情で瞳を細め、クレスはそう言ってくれんのはありがてえけどな、と呟きながら小さく頭(かぶり)を振った。
「アーシェはレスファニアに残ってくれ。頼っちまうのは心苦しいが、何があった時にアーシェがいてくれんのといねえのでは全然違うからな。街道には別のやつを送る」
「そうか」
「もっとも、そんなやべえ魔術師がランドーラ側についたんなら途中で食い止めるのは無理だ。目的は時間稼ぎにしぼって、できるだけ多くの情報を持ち帰れるようにした方がいい。――――ファレオ」
「は」
 隣に控えていた忠臣の名を呼び、細かく打ち合わせを始めたクレスから視線を外すと、アーシェは何かを堪えるような表情で採光用の小窓に瞳を向けた。差し込んでくる光の眩しさに眉を寄せ、長い睫毛に縁取られた瞳を静かに閉ざす。
 クレスが国王としてレファレンディアを守ろうとする限り、ファレオをはじめとした臣下たちはたとえ勝ち目がなくてもランドーラと戦うだろう。それの認識はアーシェの精神にいくばくかの安堵をもたらしたが、同時に胸をかきむしられるような痛みをも与え、金細工を思わせる繊細な美貌に色濃いかげりを投げかけた。
(……ランドーラについた魔術師が、本当に数千の人間をひとりで殺しつくせるような実力の持ち主なら)
 目を閉じたまま握った拳に力をこめ、爪が食い込む痛みによってせり上がってくる焦燥感をまぎらわせる。
(レファレンディアに、勝ち目があるわけがない)
 神に与えられた力がどれほど強大なものか、それによる破壊がどれほど理不尽なものか、アーシェは『世界に愛された者』として他の誰よりもよく知っていた。腕の一振りで火柱を作り出し、短い詠呪によって激流を呼び寄せ、意思ひとつで己の体さえ強化してしまう魔術師の前に、アーカリアの寵愛を得られなかった人間の群れはあまりにも脆すぎる。
 アーシェの青い瞳は『召喚系』魔術師の証だったが、わけあってその力の大半を使うことができない現在、人間離れした体術や剣技だけで高位の魔術師に打ち勝つのは不可能に近かった。その事実に驚くほどの焦りを感じている自分に気づき、アーシェは形のよい唇の端に自嘲の笑みを滲ませる。
 これではまるで、宝物に執着して失くしなくないと叫ぶ幼子だ。国王であるクレスが前を見据えて立っているのに、『戦神の御子』が勝手な思考に捉われて絶望していたのでは話にならない。きつく閉ざしていた瞼を持ち上げ、方針の定まりつつある空気に安堵の息を吐くと、アーシェは気配を感じさせない身のこなしで会議室の扉へと踵を返した。






    


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