5 師弟、あるいは共犯者


 


 エディオの言葉が唐突なら、それに対するカイゼルの返答は簡潔だった。悠然と腕を組み合わせ、立ったままの幼馴染に冷たい視線を投げる。
「やらん」
「いや、そう言わずに」
「誰がやるか、馬鹿も休み休み言え」
「お願いだよ、そこを何とか」
「帰れ、鬱陶しい」
「いいじゃないか、幼馴染のよしみで」
「――――ってちょっ、あの、ちょっと待って下さいっ!」
 そこでようやく麻痺していた思考が動き始め、シオンはほとんど悲鳴のような声で会話に割り込んだ。深青と濃紫の瞳がほぼ同時にシオンへ向けられる。
「何だ、シオン?」
「どうかしたのかい?」
「あっ、いえあの、えっと、えぇっ……!?」
 言語中枢が仕事を放棄してしまったのか、シオンの言葉は見ていて憐れになるほどしどろもどろだった。それも当然だろう。会って間もないエルカベル騎士団の軍師が、いきなりシオンを指して「この子を私にくれないかい?」と言い出したのだから。
 混乱し切った様子のシオンを横目で見やり、堪えきれないとばかりにぷっと噴き出すと、エディオは悪戯っぽい表情を浮かべてカイゼルに向き直った。
「まあ、『この子をくれ』っていうのは三分一ほど冗談として」
「三分の二は本気なのか、と突っ込んでほしいわけか?」
「あんまり厳しいことを言わないでくれないでおくれよ、カイザー」
 くすりと柔らかな苦笑を浮かべ、エディオはシオンの肩に軽く片手を置いた。
「この子に……シオンに、出来ることなら勉強を教えてあげたいと思ってね。今は誰に教わってるんだい、シオン?」
「……あ、は、えっと、ウィルザス・フォールクロウ様に……」
 おろおろと視線をさまよわせつつ、シオンは反射的に軍師の問いへ答えを返した。ふむ、とエディオが首を傾げる。
「あの爺やか。彼はなかなか良い先生だろう?」
「あ、はい、もちろんです!」
「もちろん、このまま一般的なことは爺やに師事し続けてもらって構わない。私が教えたいのは軍略や兵法といった軍事的なことだからね」
 さらりと告げられた言葉を受け、シオンは碧色の瞳を大きく見開いた。カイゼルも興味を引かれたように両目を細める。
 以前、ウィルザスがシオンを指して「訓練を積めば軍師にでもなれるのではないか」と言ったが、それもあながち間違いではなかった。
 貴族以上でなければ教育を受けられないエルカベルと違い、シオンのいた世界では子供を学校に行かせるのが義務化されていた。いわゆる中学校までの『義務教育』である。シオンにとっては当然の事実だが、エルカベルの平民に聞かせたら首を傾げるか、どんな夢物語だといって笑い出すかのどちらかだろう。この世界に暮らす民にとって、知識とは専門職につく親に教わるもの、あるいは自分の目指す仕事の先輩に師事するものだからだ。
 そのせいか、シオンの知的水準は一般的な平民を大きく上回るものだった。そこにもとからの聡明さが加わり、シオンの頭の良さをさらに際立たせる結果となっている。エディオは短いやり取りの中でそれに気づいたのだが、シオンの脳内に「自分の頭が良い」などという認識は存在せず、目を見張ったまま呆然として立ちすくんだ。
 唇がぎこちない動きで言葉を作る。
「あ、あの……」
「ん?」
「軍略とか、兵法、ですか?」
「うん、そうだよ。興味ないかな?」
「いえっ、そんなことはありません! 興味はあります!」
 でもそれとこれとはっ、と慌しく続けるシオンに、エディオは実に楽しげな微笑を浮かべて首を傾げた。
「ほら、やっぱり興味あるだろう? 君には素質があるよ、シオン。帝国最高の頭脳たる私が言うんだ、間違いない」
 もはや二の句がつげないシオンに笑いかけ、帝国最高の軍師は座ったままのカイゼルに視線を戻した。書類の積まれた執務机に片手をつき、悪戯めいた表情で軽く身を乗り出す。
「良き師につけばシオンの才能はもっと伸びる。君もそう思わないかい、カイザー?」
「その『良き師』がお前だと言いたいのか?」
「そうだよ。当然じゃないか」
 この軍師の辞書に『謙遜の美徳』という言葉はないらしい。しれっとした顔で一つ頷き、ほんのわずかに表情を改めると、シオンを横目で見つめながら言葉を続けた。
「詳しいことはいずれ話すとして、今言えることは一つ。シオンは『鍵』だ。そうである以上、ただの侍従として屋敷にこもり、カイザーの身の回りの世話ばかりしているわけにはいかない。……カイザー、君は『トランジスタ包囲戦』に連れていったように、これからもシオンを戦場に出すつもりなんだろう?」
「ああ」
 カイゼルの答えはひどくあっさりしたものだった。本人の意志を確認することも、エディオから視線を外すこともなかったが、シオンの中にそれに対する不満が芽生えることはない。「これから何があっても俺に仕えるか」と問われ、その言葉に「はい」と答えた瞬間から、シオンは魂のすべてを懸けてカイゼルに仕える存在となったのだから。
 ただ小さく首を傾げ、『鍵』という言葉の意味を必死で理解しようとしている少年に、エディオは唇の端を吊り上げてひっそりと笑った。
「だったらなおさらだよ。シオンは強くならなければいけない。そうしなければ、これから先の過酷な戦で生き残ることなど出来ない。――――そして、シオンの身につけるべき強さは『剣』ではなく、『知』の力だ」
 もしもこの場に第三者がいたなら、エディオの言葉に違和感を覚えずにはいられなかっただろう。たとえ地方都市や奴隷の反乱が頻発しても、カイゼル・ジェスティ・ライザードに率いられた騎士団が存在する限り、エディオが言うような『過酷な戦』にはならないはずだ、と。
 そう考えるのが当然だったが、シオンもふくめ、この部屋にいる三人は誰も知らないはずの事実を知っていた。過酷な戦が起こるのではなく、他でもないカイゼル自身が起こすのだということを。エルカベル帝国そのものを相手取り、皇帝ヴァルロ・リア・ジス・レヴァーテニアと剣を交え、王朝を業火の中に葬り去るつもりだということを。
「――つまり、私はシオンが気に入ったんだよ、カイザー。より正確に言うなら、覇業の鍵であるシオンに力を授け得るという、己のいる位置がね。だからシオンを私にくれないかい?」
 うなじで束ねた黒髪を揺らし、エディオはゆっくりとした動作で首を傾げてみせた。そのままにこりと人好きのする笑みを浮かべる。
「この私、エディオ・グレイ・レヴィアースの弟子として」
「――――っ、あの……!」
 エディオの視線はカイゼルに向けられていたが、シオンとしては言葉を挟まずにはいられなかった。カイゼルがエディオに許可を出した場合、シオンの意志に関係なく彼の弟子入りが決定してしまう。カイゼルの言葉に逆らえないというより、『逆らう』という選択肢がシオンの中から完全消滅してしまうのだ。エルカベル帝国に来てから身についた悲しい性である。
 そんな自分自身を好意的に受容しているのだから、他人から見れば世話はない、ということになるのだが。
「あの、レヴィアース卿……っ」
「なにかな、シオン」
「えっと、その、弟子って」
 僕がですか、というシオンの言葉に、エディオは首を傾げたまま深々と頷いた。
 『カイゼルに絶対服従する自分』をごく自然に受容しているとはいえ、あっさりと軍師に弟子入りなど出来るはずがない。激しい眩暈を感じつつ、シオンはエディオに思い留まってもらおうと口を開きかけた。
 それをさえぎったのは、ふいに空気を震わせた低い笑い声だった。
「シオンがお前の弟子か。なかなか面白いことを言い出すじゃないか、エダ」
「そうかな? 私としてはしごく真っ当なことを言ってるつもりだけど。だいたい、私は以前から補佐役になるような弟子が欲しいと言ってじゃないか」
「で、なにを思ったかこいつに狙いを定めたと?」
「そうだよ。格こっ………もとい、とてもすばらしい人選だろう?」
 明らかに「格好の」と言いかけた軍師を見つめ、シオンは声もなく書斎の天井を仰いだ。自分はネギを背負ってやって来たカモなのだろうか、と胸中に呟き、楽しげに笑っている主君にすがるような視線を向ける。
 カイゼルはそれを見返し、刃の切っ先のような笑みを唇に上らせた。
「お前はどうしたい、シオン?」
「……え?」
「何度も言わせるな。お前はどうしたい、と聞いたんだ。こいつに弟子入りして軍師の勉強をするか、それともこの場で追い返すのか」
 追い返すのはひどいな、というエディオの言葉を完全に無視し、カイゼルはシオンに射抜くような眼差しを向けた。シオンは反射的に背筋を伸ばす。
 それは今まで幾度となく向けられた、シオンに選択を迫る強い視線だった。その気があるなら雇ってやると言われた時、侍従にしてやると宣言された時、忠誠を誓うかと問われた時、シオンはこの鋭すぎる眼差しを受け止めてきたのだ。確かに感じた高揚感と共に。
「僕は……」
 一度瞳を伏せてから、シオンは隣に立っている青年軍師をためらいがちに見上げた。何だい、と優しく笑う表情にはげまされ、何より気になっていたことを問いかけてみる。
「……レヴィアース卿」
「うん?」
「軍師の弟子、というのは、具体的にどういう……?」
「ああ、それは当然の疑問だね。でも大丈夫、そんなに心配する必要はないよ。私は自分の知識を伝える相手が欲しいだけだから」
「伝える相手、ですか?」
「そう。私の得た知識、兵法、策のたて方から、戦場に流れる微妙な空気を読む方法まで。――――もちろん私の頭脳は私だけのものだし、他人に教えたところで完全に伝えきるのは不可能だ。簡単な技術とはわけが違うんだしね。でも、私に次ぐ優秀な軍師を育て上げることくらいは出来る」
「……」
「私はね、シオン。弟子というより共犯者が欲しいんだよ」
 喉の奥で小さく笑い、エディオは主君である幼馴染に意味ありげな視線を投げた。
「カイザーのもとで知略を用い、戦場を駆け、彼の覇業を支えていく共犯者がね。……どうする、シオン? 君は鍵だ。そして私なら、鍵である君に生き残るための力を与えてあげることが出来る」
「生き残るための……?」
「カイザーのための、と言い換えてもいいけれどね。カイザーが君に選択権を委ねた以上、私も君の意志を尊重するよ、シオン」
 柔らかく微笑し、エディオは変わらない調子で先ほどの問いを繰り返した。「どうする?」と。
 シオンは真剣な表情になって目を伏せた。考えようによっては願ってもないチャンスだが、一介の侍従が騎士団の軍師に弟子入りし、補佐役となって戦場に出るなど、頭の固すぎる貴族たちが容認するはずがない。猛反対してくる様が容易に想像できた。
 シオンが頭を抱えずにいられないのは、カイゼルにしろエディオにしろ、貴族たちの反対を押し切ってしまえるだけの権力者だということだ。押し切るどころか歯牙にもかけず、鼻で笑いながらシオンの弟子入りを認めさせるだろう。一悶着どころか二悶着も三悶着もある未来予想図に、シオンは呻き声を上げながらその場にしゃがみ込みたくなった。
「シオンー? 世にも悲痛な顔をしてないで、私としては答えが欲しいんだけど?」
「……え、あ」
 すみませんっ、と勢いよく頭を下げ、顔を上げながらカイゼルの表情を伺うと、シオンは気を落ち着けるように一つ息を吸い込んだ。
「……あの、少しだけ」
「うん?」
「少しだけ、考えさせていただいてもよろしいでしょうか……?」
 最大限に無難な返答だったが、エディオは実に嬉しそうな表情で頷いてみせた。拒絶されなかっただけで上等、というように。
「もちろんだよ。もとより即決できるようなことでもないしね。……ああ、そうだ」
 そこで何かを思いついたように手を打ち、エディオは穏やかに笑いながらカイゼルと視線を合わせた。
「明日、シオンを借りていっても構わないかい?」
「はいっ!?」
 カイゼルに向けられた問いに対し、素っ頓狂な声で答えたのはシオンだった。エディオの突飛さにはだいぶ慣れたが、だからといって驚かなくてすむわけではない。目を見開いたシオンに構わず、薄情な主君は執務机の上に頬杖をつき、深い青の双眸を楽しげにすがめた。
「別に構わんが、どこへ連れて行く気だ?」
「スティルヴィーアの書庫を見せてあげようと思ってね。面白いものを見せてあげれば、それだけ決心するのも早くなるかもしれないし」
「……っ、書庫、ですか?」
 明日は仕事がっ、と叫ぼうとして、シオンは『書庫』という言葉に思い切り反応してしまった。エディオがそれを見やって薄く笑う。
「そうだよ。本は好きかい、シオン?」
「――――はい」
 たとえ嘘でもいいえ、と答えられなかった時点で、シオンは自分がエディオに惨敗したことを悟ったのだった。






    


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