荒れ野に御使い 1


 


 同盟軍第十三地区制圧部隊中尉、という無駄に長い肩書きを持った朝築比呂(アサツキヒロ)は、額にガーゼを貼り付けた顔を軽くしかめ、ゆったりと組んでいた腕を解いた。
「…………で。ようやく無事に帰って来たと思ったら、あんたはそんなところで何をしてんですか、少佐?」
「なっ、ななな、何がだ?」
 司令官という身分にも関わらず、衛兵に口止めをしてまでひっそりと基地に帰って来た拓馬は、明らかに不審な動きで廊下の壁に張りついていた。比呂はさらにきつく眉を寄せると、呆れたようにやや高い位置にあるダークブラウンの瞳を見上げる。ここは士官用の宿舎であり、彼ら以外に廊下を歩いている人影は見当たらなかったが、司令官のこんな姿を人に見られたら当然のこととして大問題である。
 比呂も拓馬と同様、連邦側の前線基地『S−W』へ偵察に行った兵の一人だった。そこで敵の待ち伏せにあって散り散りになり、逃げのびることができたのは比呂を含めた十数人しかいない。生存は絶望的だと思われていた彼らの司令官が、救出に行く前に自力で戻ってきたと思えば、こうして奇妙な行動を取っているのである。溜息の一つも吐きたくなるというものだった。
「どうでもいいんですけど、あんた今度は何を拾ってきたんですか」
 隠そうとしても見えてますよ、と投げやりに呟くと、拓馬の顔色が眼に見えて変わった。
「……いや、大したものじゃない。気にするな」
「普通気にしますって。犬とか猫じゃあるまいし」
 そう言って再び比呂が溜息を吐いたのと、拓馬の背後から涼しげな声が響いてきたのは、ほぼ同時だった。
「…………テンジョウ殿。やはり、私がついて来てはまずかったのでは?」
「おいっ、出てくるなって……」
 拓馬が慌てて押しとどめようとするのをやんわりとかわし、一人の少年が青年の長身と壁の間から滑り出てきた。
 頭から被っていた白銀の布がぱさりと落ち、そこから夜の闇のような漆黒の髪が零れ落ちた。短く刈り込んだ軍人たちのそれとは比べ物にならない、艶やかでしっとりとした美しい髪。白い衣装に包まれた華奢な体躯に、蝶の翅を思わせる長い睫毛。それに煙る黒玉の瞳が真っ直ぐに上げられ、白皙の造作が照明に照らし出された。そこに立っていたのは、いわゆる滅多に見ることのできない絶世の美少年だった。
 比呂は両目を極限まで見開くと、ぎこちなく拓馬の方を振り返り、再び少年へと視線を戻した。
「…………少佐」
「な、何だ?」
「おれ、あんたがそんな趣味の持ち主だとは思いませんでしたよ」
「――――――――――すさまじい誤解を招くような発言をするな! おれに少年をコスプレさせるような趣味はないっ!!」
 比呂の言わんとしているところを悟り、拓馬は一瞬で顔を真っ赤に染めて絶叫した。あまりの大音声に驚いたのか、隣に立った少年がぎょっとして耳をふさぐ。比呂も片手で耳を押さえつつ、もう一方の指を口の前に立ててみせた。
「どうでもいいっすけど、あんまり騒ぐと他のヤツも来ますよ? ……で、どこで拾ってきたんですか、その子供」
 ちらりと視線を向けると、信じられないほど綺麗な面差しをした少年も、どこか申し訳なさそうな表情で眼差しを上げてきた。その瞳に聡明そうな光を見つけ、比呂はほんのわずかに片方の眉を持ち上げる。説明しようとする拓馬を軽く制し、少年は優雅な動作で比呂へ向き直った。
 肩にあさくかかるほどの黒髪が、その動きに合わせてさらさらと流れる。
 そうそうお目にかかれるものではない美貌に感嘆していると、少年が流れるような動作で静かに頭を下げてきた。
「勝手にあなた方の砦へ入り込んでしまい、申し訳ない」
「………………へ?」
「テンジョウ殿には先ほど会ったばかりだ。気づかないうちに知らない場所に迷い込んでしまい、困っていたところを助けていただいた。そのご厚意に甘えてここまでついて来てしまったのだが、迷惑ならばすぐにここを立ち去る。だからどうか、テンジョウ殿を責めないでもらえるだろうか」
「………………は?」
 どう見ても十五、六歳程度にしか見えない少年の口から、違和感を感じるほどに堅苦しい単語が飛び出したのを耳にし、比呂はポカンと大きく口を開いた。
 少年の表情は真面目そのものだった。比呂をからかっているようにも、精神に異常をきたしているようにも見えない。かと言って普通の子供に見えるかといえば、考えるまでもなく答えは否だ。訝しげに眉をしかめ、答えを求めるように拓馬を見遣ると、この基地の若き司令官は両手で頭を抱えていた。
「テンジョウ殿?」
 どうかしたのか、とあくまでも真面目に問いかける少年に、拓馬はずるずると廊下の壁にもたれかかった。精神的な疲労がピークに達したようで、その端正な横顔には絶望の影さえ垣間見える。なまじ造作が整っているだけに、その悲痛さは涙を誘うものがあった。
「少佐?」
 死んでないで説明して下さい、と比呂が無情な言葉をかけると、拓馬はがばっと壁から身を起こした。そのまま掴みかかるような勢いで部下へと迫り、思わず仰け反る彼へ剣呑なダークブラウンの眼差しを向ける。その瞳は完全に据わっていた。
 やってられるか、と言わんばかりに。
「しょ、少佐?」
「朝築。お前が今ここで見たことは他言無用だ。むしろすべてお前の幻覚だ」
「はい?」
「いいか、誰にも言うなよ。言ったら降格の上減給だからな。あぁ心配しなくても、後でちゃんと説明してやるから!」
 ビシリと比呂へ指を突きつけると、横で困惑気味に立ち尽くす少年の腕を掴み、拓馬は大股に広い廊下を歩き始めた。引きずられるように足を踏み出した少年が、比呂の横を通り過ぎる際に軽く頭を下げてくる。やはりありえないほど礼儀正しく、一つ一つの動作が優雅な少年だった。何とも言えない表情で見送る比呂の前で、拓馬と少年は廊下の角を曲がり、司令官用の個室がある宿舎の奥へと消えていった。
「…………何だ、ありゃ」
 そのもっともな疑問に答える者は、この場に一人も存在していなかった。




 『自由なる場所』リバティ、と名づけられたその基地は、第十三地区における同盟軍の本拠地であり、最大の規模を誇る恒久的な軍事施設だった。
 娯楽施設に属するものは必要最低限しか存在しないものの、食堂の横には立派な酒場や士官ルームが構えられ、軍人たちのストレスの捌け口となっていた。外にはヘリポートから射撃訓練場、行軍のための周回コースまでが収まり、その広大な面積を過不足なく利用している。基地の巨大な建物も、やや老朽化が進んだことに目を瞑れば充分立派なもので、少年は廊下を歩きながら軽く瞳を見張った。
「すごいな」
「……ん? 何だ?」
 すでに少年の腕を離し、先導するように前を歩いていた拓馬が、ぽつりと漏らされた声に気づいて振り返った。それを漆黒の瞳で見返し、少年は大人びた微笑を口元に浮かべてみせる。
「あなたは、この立派な砦の司令官なのだろう? その若さでずいぶんと高い地位におられるんだな、と」
「…………いやまあ、それはそうなんだが、な」
 確かに、二十五歳で少佐という地位は異例の出世と言ってよかった。様々な裏事情の重なった結果であり、拓馬としては素直に喜ぶことができなかったが、傍から見ればうらやましい昇進速度であることは間違いない。だからこそ複雑な笑みを浮かべ、曖昧に答える言葉を濁してみせると、聡い少年は何かに気づいたように首を傾げた。
 綺麗な夜空色の双眸が、何もかも見通すような光を宿して真っ直ぐに向けられる。
「私は何か、あなたの気に障るようなことを言ってしまっただろうか?」
 だとしたら許して欲しい、と真面目な瞳で続ける少年に、拓馬は心から呆れたように溜息をついた。
「お前、本っ当に変な子供だな。言葉遣いだけじゃなく、妙に気が回るっていうか、あまりにも子供らしくなさ過ぎるっていうか………」
「……テンジョウ殿?」
「それだっ!!」
 突如として声を張り上げられ、少年はえ、と大きく瞳を見開いた。そんな表情を浮かべると、隙のない立ち振る舞いの中にもかすかな幼さが垣間見える。隣を歩きながら少年を見下ろし、拓馬はやれやれと言わんばかりの動作でダークブラウンの髪をかき上げた。
「その『殿』っていうのはやめろ。お前みたいな子供が『殿』、なんて言ってるだけでも悪目立ちし過ぎる。っていうかものすごく変だぞ」
「……」
「拓馬でいい、拓馬で。それが呼びにくかったら好きに呼んでもいいけどな、頼むから『テンジョウ殿』だけはやめてくれ。ものすごく反応に困る。……っておい、聞いてるのか?」
 困ったように拓馬の言葉を聞いていた少年は、訝しげに声をかけられて黒玉の瞳を瞬かせた。拓馬が本気で『殿』という呼称を嫌がっているのがわかったのか、透明度の高いその瞳に思案するような光が宿る。どうやら本気で考え込んでいるようだった。
 やがて少年は顔を上げると、やや躊躇いがちに花のような唇を開いた。
「好きに呼んでしまって構わないのか?」
「ああ、殿だの氏だの、最後に妙なオマケをつけなければな」
「――――それじゃあ」
 髪をさらりと揺らして首を傾げ、少年は何かを思いついたようにそっと拓馬を見上げた。
「タク、と呼んでも構わないか?」
「たく?」
 意外なことを聞いた、というように目を見張り、拓馬は真面目な表情を浮かべている少年に問い返した。この奇妙な少年のことである、そのまま『テンジョウ』などと呼ばれたらどうしようかと思っていたのだ。少年は穏やかに頷くと、まるで独り言のように言葉を続けた。
「どうしてだろうな、タクマ、というのは何だか呼びにくいような気がして……ああもちろん、気に入らないのならばタクマと呼ばせていただくが。どうだろうか?」
 タクマ、と口に出す少年の様子は、冗談ではなく慣れない発音に戸惑っているように見えた。どちらにせよ、気心の知れた相手にはタクと呼ばれたこともあり、さして違和感を感じる呼称ではない。小さく苦笑して構わないと告げると、少年はほっとしたように淡く微笑を過ぎらせた。
 それは呼び方の許可が出たことに対する安堵、というより、拓馬の気分を害さずにすんだことに対する安堵のようだった。
「ありがとう。それでは、これからはタクと呼ばせてもらう」
 よろしく、と柔らかく微笑んで、少年は隣を歩く長身の青年に漆黒の双眸を向けた。






    



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