荒れ野に御使い 3


 


 拓馬は何とも言えない表情を浮かべ、眼前でしきりに首を捻っている黒髪の少年を見下ろした。
「タク。ここの衣装は何と言うか……ずいぶん奇抜なんだな?」
「いや、奇抜っていうか、なぁ」
 それはちょっと違うだろ、とダークブラウンの瞳を瞬かせる拓馬に、レイはどこか困ったような顔を向けた。
 レイが今まとっているのは、白銀のマントに白い上下の装束、銀細工の装身具という映画のセットのようなものではなく、一般的な兵士たちが着る標準的な迷彩服だった。多少大きいとはいえ、制圧部隊は十七歳から入隊許可が下りるだけあり、華奢なレイが着ても裾が余ってしまうことはない。ウエストもベルトで絞れば問題はなく、膝まで覆うブーツも細く長い足に似合っていた。
「……」
 だが、それでも『軍隊生活を描いた映画の主役に抜擢され、初めて軍服に袖を通した若い俳優』という印象が拭えないのはなぜだろう。
(美形すぎるのも考えものってことだよな……)
 やれやれと深い溜息をつき、拓馬は迷彩服をまとった少年に向かって帽子を放り投げた。
「それも持っとけ。この辺はだいぶ陽射しがキツイからな、外に出る時はかぶれよ」
「わかった。……ああ、すまない。私の服はどこかに保管しておいてもらえるだろうか?」
 同盟軍の徽章がつけられた帽子を受け止めつつ、レイは思い出したように椅子の背にかけられた衣服を見遣り、申し訳なさそうな表情を浮かべてみせた。
 それに軽く頷きを返し、拓馬は極上のものと一目で知れるマントを手に取った。白銀のそれは手触りがよく、さらさらと涼しげな音を手から立てて流れ落ちていく。テーブルの上に丁寧に置かれた額飾りも、見たこともない細工ながら実に見事な逸品だった。
「……とりあえず、クローゼットにかけておくからな? 必要になったら勝手出していいぞ」
 思わず感嘆のこもった息を漏らすと、拓馬はマントと服をハンガーにかけ、皺にならないよう細心の注意を払いながらクローゼットの奥へ仕舞いこんだ。自分の服ならばろくにアイロンもかけずにタンスに放り込むが、ここまで流麗な衣装を粗雑に扱うのは気が引ける。
「ありがとう、面倒かけてすまない」
 苦笑を含んだ声に振り向くと、レイが再び椅子に腰を下ろすところだった。その動きに合わせてシャラ、というかすかな音が響き、迷彩服の首元から銀色の光が零れ落ちる。
 改めてその向かいに座りながら、拓馬は細い首で揺れている銀の輝きを見やった。
「それはいいのか? 外さなくて」
「……ああ、これはいいんだ」
 答えたレイの瞳には複雑な光があり、拓馬は訝しげに眉を寄せた。不審そうな拓馬の視線に気づいたのか、レイは苦笑しながら首に手をやってみせる。
「お守り……のようなものかな。失くすわけにはいかない大切なものだから、普段からなるべく外さないようにしてるんだ。額飾りは甲冑の代わりのようなもので、普段はつけていないんだが」
 そう言った少年の首元で揺れているは、女性の身につけるアクセサリーよりはやや太い銀の鎖だった。ペンダント・トップとして何かが通されているのだろう、レイが動くたびにどこか重たげな動作でシャラシャラと揺れている。服に隠れてしまって肝心の部分は見えないが、その濡れたような輝きから本物の銀で作られていることがわかった。
 やはり、年端もいかない少年が持つのにふさわしいものではなかった。
「お前……」
 拓馬は何かを言いかけたが、ふいに澄んだ眼差しを向けられて言葉を飲み込んだ。
「タク?」
「……いや、なんでもない」
 軽く頭を振って腕輪から視線を逸らすと、拓馬は何かを思い出したように腕時計に視線を落とした。そこに記された時間にやば、と嫌そうな呟きを漏らし、カタンと音を立てて椅子から立ち上がる。視線で問いかけてくるレイに向き直り、小さく口の端に苦笑を浮かべた。
「レイ。悪いが、ちょっと適当に時間を潰しててくれるか? 一度仕事の方に戻らないと部下どもがうるさいんだ。夕食の時間までには一度戻ってくるから」
 そう言った拓馬のすぐ横には窓があり、そこから差し込む日差しはゆるやかに明度を落として、静かに忍び寄ってくる夕暮れの存在を告げていた。拓馬が少年を連れ帰ったのは昼過ぎの頃で、それから事情の説明や服の調達などにかなりの時間を費やしたのだ。一度窓の外に眼差しを放つと、レイは拓馬を見上げて生真面目に頷いた。
「わかった、司令官ともあろう人を長く引き止めてしまい、申し訳なかった。私のことには構わず、あなたの職務をまっとうして来てほしい。あなたの決済を待っている仕事はたくさんあるんだろう?」
「……レイ、お前なぁ」
 本気で申し訳なく思っている様子の少年に、拓馬はぐしゃりとダークブラウンの髪をかき回した。ほとんど無意識のうちに深い溜息が零れる。
「さっきから思ってたんだが、そのしゃべり方、素か?」
「…………は?」
 きょとん、と漆黒の瞳を見開くレイを見下ろして、拓馬は苛々と眉間に皺を寄せた。
「だから、お前は普段からそんなしゃべり方してるのか、って聞いたんだよ。…………だいたいなぁ、冷静に考えて、普段から一人称が『私』な子供がどこの世界にいるってんだ? おかしいだろうが」
「え。…………え?」
「レイ、そもそもお前はいくつなんだ? 十五か、十六か?」
「あ、ああ、一応十五、だが……」
 拓馬の妙な迫力に押され、レイは上半身を引き気味にしながら途切れ途切れに答えた。やっぱりそのくらいかよっ、とさも嘆かわしそうに唸ると、拓馬はぐいっと少年の頭を押さえつけた。
「うわっ……!?」
「いいか、いくら服装を変えて名前を縮めてもな、一人称が『私』な上に『申し訳なかった』だの『職務をまっとうしてきてほしい』だの、そんなしゃべり方の子供がいたら怪しまれるに決まってるだろ。もう少し子供らしいしゃべり方をしてみろよ、十五歳の分際で」
「……」
 そのままぐりぐりと頭を小突かれ、レイは心から戸惑ったように瞳を瞬かせた。十五歳の分際で、という叱責は何やら理不尽な気もするが、怪しまれると言われてしまえばレイに反論することはできない。考え込むような表情を作ると、ややためらいがちに拓馬を見上げて口を開いた。
「……そうだな。昔、母上と会話する時はもう少し砕けた口調だった気もする」
「ちなみに何歳の時だ?」
「五、六歳か?」
 さらりと返された答えに、拓馬はすべての気力を失って崩れ落ちかけた。頭から拓馬の手が外れ、顔を上げることに成功した少年は、そんな拓馬にどこか困惑したような眼差しを向けた。
「直した方が、いいか?」
「………ああ、可能ならな」
「わかった、善処する」
 どこまでも真剣な顔で頷く少年にそうしてくれ、と力なく告げ、拓馬は今度こそ長身の体躯を翻した。レイの言うとおり、拓馬の決済を待っている仕事がデスクの上に山積になっているのだ。いつまでものんびりしていては、夕食の時間までに帰ってくることすらままならなくなってしまうだろう。レイを長時間一人にしておくのは不安があるため、一刻も早く仕事を片づけて戻ってこよう、と保護者のような決意を固めつつ、拓馬はもう一度腕時計に視線を落とした。
「それじゃあ、退屈だろうとは思うが時間を潰しててくれ。食事までには戻る、腹減っただろう?」
 時計から瞳を上げながら軽く見返ると、少年が夜空色の双眸に大人びた光を浮かべて拓馬を見ていた。
「いや、心配しなくても大丈夫だ……じゃなくて、大丈夫だよ、タク。がんばって仕事をしてきてくれ」
 どうやら必死に『子供らしい』口調を作ろうとしているレイに思わず笑い、拓馬は軽く片手を上げてから自室のドアを押し開けた。




 カチャリ、と音を立てて閉まった扉を見やり、レイは小さく苦笑を漏らした。
「……子供らしくしてみろ、か。そんなことを言われたのは初めてだな」
 柔らかく笑いながら椅子から腰を浮かせ、テーブルに立てかけてあった剣を手に取った。鞘から柄まで銀で統一された中、象られた翼が青玉と翠玉を抱え込み、薄明かりを受けて美しい輝きを放っている。信じがたいほどに見事な細工の長剣だった。
 迷彩服のベルトを引き抜き、代わりに検帯を腰に巻くと、そこに慣れた動作で銀の長剣を佩いた。他にも短剣や隠し武器服の中に仕込み、軽く動いてみて違和感がないか確認する。やはり自分の衣装のようにはいかないが、戦闘に差しさわりが出るほどの動きにくさはなく、レイはほっと小さく息をついた。
 拓馬が見たら思わず絶叫しそうな状況である。
 一体どこの世界に、迷彩服の腰に剣を差して戦闘に出る馬鹿がいるのか、と。
 だが、レイはそれが妙なことだとは思いもせず、ようやく落ち着いたと言わんばかりに淡く笑った。そのまま軽やかに窓辺へ歩み寄ると、暮れ始めた空を仰いで黒玉の双眸を細める。
 触れれば消えてしまいそうなほどに柔らかな呟きが、静寂の中に紡がれていった。
「……大丈夫」
 ふわりと長い睫毛を伏せて、まるで祈るように手を胸の前で組んだ。稀有な美貌に微笑を浮かべながら、その白い手にそっと唇を寄せる。降りしきる光が漆黒の髪を透かし、繊細な造作をほのかな金色に縁取る様は、現実感が希薄になるほど綺麗な光景だった。
 荒れ果てた大地の直中で祈る、真っ白な天の御使いのように。
「大丈夫」
 助けてあげるから、という小さすぎるささやきは、誰にも聞かれることなく静寂の中へ溶けていった。
 






    



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