蒼穹を仰げば 1





 ゆるやかな風が頬を撫で、透きとおるような淡い金髪を巻き上げる。
 それは肌に媚びてくるような優しい風だったが、ジルファードはかすかに眉をしかめ、落ちかかってきた髪を後ろに追いやった。降り注ぐ暖かな陽射しも、王城の庭園で揺れている色とりどりの花も、ジルファードの気分を晴らすものにはなりえない。ここ数日の間で習い性になってしまった溜息を吐き、吹きさらしになった回廊を足早に進んでいた金髪の騎士は、柱にもたれている人影に気づいてふっと顔を上げた。
「……シアン?」
「ジルか」
 等間隔で並んだ列柱に背を預け、睨みつけるようにして庭園を見つめていたのは、ジルファードとよく似た服装の青年だった。
 無造作にくくられた不揃いな黒髪に、作られたばかりの銅貨を思わせる赤銅色の瞳。シアン、と呼びかけられた黒髪の騎士は、どこか幼さの残る面差しを不機嫌そうに歪め、歩み寄ってきた友人に鋭い眼差しを投げかけた。苛立ちをそのまま映したような視線に、ジルファードは怪訝そうに首を傾げる。
「シアン、こんなところで何をしている? 今はまだ第一級警戒態勢のままだ、仮にも将軍たる者が堂々とさぼるのは……」
 生真面目にたしなめてくるジルファードを横目で見やり、シアンは両腕を組んではっ、と冷たく吐き捨てた。
「別に構わないだろう。アルスランド同盟領との戦は一時休戦だ。それも、あちら側にかなり有利な条件で結ばれた停戦条約の上でな。それとて向こうの出方次第でどうなるかわかったものじゃない。この状況で今の俺たちにできることと言ったら、無駄とわかりつつもレシェリクトさまのことをひた隠しにするしか……」
「シアン!」
 自虐的、とも取れるシアンの言葉に、ジルファードは叩きつけるようにして声を高めた。この落ち着いた気性の騎士が、激情のままに声を荒げるのは非常に珍しい。それを知っているシアンは辛そうに眉を寄せると、不揃いな黒髪を揺らしながら首を振った。
「すまん、八つ当たりだ」
 お前の方がよほど大変なのにな、と小さく苦笑するシアンへ、ジルファードも瞳を伏せながらながら首を振った。そのまま友人の隣に並ぶと、光に溢れる庭園に緑色の双眸を向けた。さわさわと穏やかな音を立てて、風が梢を撫でながら行き過ぎていく。ふいに落ちかかってきた沈黙を破ったのは、絞り出すようにして紡がれたシアンの声だった。
「なあ、ジル。レシェリクトさまは、まだ」
「ああ……だが、大丈夫だ」
 まるで自分自身に言い聞かせるようにして、ジルファードは強く言い切った。
「大丈夫だ。あの方はこの大陸で唯一、何よりも『貴い加護』を受けた王の末裔なのだから。彼の君は我らはとは違う。皇国でも両翼の将と呼ばれる我らが、御年十五のあの方に勝てはしないだろう?」
「そうだな、昔はそうでもなかったのに」
 シアンの赤銅色の瞳に、初めて柔らかな微笑が浮かんだ。過去を懐かしむように双眸を細め、脳裏に華奢な少年の姿を思い描く。ジルファードもかすかに微笑むと、もう一度静かに口を開いた。
「あの方ならきっと大丈夫だ。我らは信じて待たねば、な」
「ああ」
 シアンも大きく頷き、回廊の果てに眼差しを放った。ジルファードも無言でそれに倣う。ただゆるやかな風だけが、二人の将を押し包むようにして、いつまでもデュロスの王城に吹き続けていた。




 それは、あまりにも現実感が希薄な、映画の撮影を見ているような光景だった。
 振り下ろされた銃剣をかいくぐり、ほっそりとした影が跳躍したかと思うと、銀の光が閃いて赤い飛沫が散った。倒れかかる体をよけ、片足を軸に体をひねりながら、次の相手の喉下にナイフを突き立てる。一撃で急所を貫き、命を奪う相手に悲鳴さえ上げさせないその戦い方は、白兵戦というよりもひそやかな暗殺術のようだった。
 敵兵だけではなく、周囲で戦う同盟軍の兵士たちも、信じ難い光景を前にして言葉を失っていた。
 連邦軍の前線基地であり、拓馬が奇妙な少年を拾った場所でもある『S-W』。一月前に拓馬たちが偵察に出向き、危うく全滅の憂き目にあいかけたそこは、再び血なまぐさい戦闘の場と化していた。勢力圏を拡大するためには、どうしても相手の前線基地であるここを落とさなければならない。拓馬の指揮のもと、迅速に行われた攻略戦には、年若い黒髪の少年も当然のように参加していた。
 同盟軍上層部から新たに配属された新任士官、という名目で『リバティ』にやって来た少年を、不審のこもった眼差しで見つめる者も多かった。それも当然のことだと言えるだろう。レイ、と名乗った少年は見るからに良家の子息といった風貌で、間違っても軍人という役職にふさわしいようには見えなかったからだ。
 だが、戦闘が銃撃戦から白兵戦に移行し、武器が飛び道具からナイフや銃剣になると、少年に対する不審は大きすぎる驚愕へとすりかわっていった。
「……すっげぇ、なんだあいつ」
 比呂の呆然とした呟きに答えるように、レイの手からコンバットナイフが離れ、銃口を向けようとしていた兵士の手に突き刺さった。
 間髪いれずに腰の剣を抜き放ち、一瞬で相手の懐に飛び込むと、寸分の狂いもなく心臓の位置に切っ先を突き立てる。吹き上がった鮮血を背後に飛んでかわし、そのままの勢いで敵兵の鳩尾に肘を埋め、崩れ落ちたところへ手刀を叩きおろした。すぐさま身を鎮めて別の兵士の足を払うと、その手から銃剣を蹴り飛ばし、剣の柄で殴りつけて昏倒させてのける。
 もしも、事前に拓馬から説明を受けていなければ、同盟軍の兵士とて恐怖に駆られずにはいられなかっただろう。レイは、政府の機関によって特殊な訓練をほどこされ、身体的にも強化された『特別な』軍人であると。それは拓馬の考えた苦し紛れの言い訳だったが、事実、政府でそういった研究が進んでいることもあり、その説明を真剣に疑う者はいなかった。
「……レイッ!」
 自身も銃剣を振るい、白兵戦の技術を惜しみなく見せつけながら、拓馬が少年に向かって声を張り上げた。
「レイ、無事かっ!?」
「タク、こちらはあらかた片づいた。あとはどうすればいい?」
 拓馬の言葉に、レイは戦場には似つかわしくない、静かで淡々とした声を響かせた。風が音もなく吹きすぎて、濃い血の匂いと共にレイの髪をさらりと乱す。普段から子供らしさとは無縁な少年だが、剣を握って戦場に立つと、さらに年齢にぞぐわない雰囲気が強まるようだった。
 常人ならば、そのあまりにも異様な存在に恐怖を覚え、本能的に逃げ出したくなったかもしれない。だが、拓馬のダークブラウンの瞳に恐怖が過ぎることはなかった。
「大丈夫か、レイ? 怪我は……してないみたいだな?」
 真剣な表情で見下ろされ、レイは軽く夜空のような瞳を見開いた。だがすぐに苦笑を浮かべると、べっとりと赤く染まった剣を払いながら拓馬を見上げる。
「大丈夫だ、これくらいの戦闘なら慣れているし、心配には及ばない」
 簡単に返してから、それではそっけないとでも思ったのか、困ったように首を傾げながら言葉を続けた。
「心配してくれるのはすごく嬉しく思う。だがタクは司令官なのだし、僕一人を気にかける必要は……」
「仕方ないだろ。実力とかはともかく、お前のナリはどう見ても子供なんだから。これが熊みたいな大男だったり、朝築みたいなふてぶてしい男だったりしたら心配もしないけどな」
 上司に『ふてぶてしい』と言い切られた比呂は、連邦側の通信兵を銃床で殴って気絶させ、無線に銃弾を打ち込んで破壊していることろだった。これで、敵軍の主力部隊に応援を呼ばれる心配はなくなる。ほっと安堵の息を吐いた拓馬に、レイは小さく笑みを浮かべた。
「よかった」
「……ん?」
「こんな言い方は傲慢かもしれないが、あなたが優れた指揮官でよかった。誰かの下で戦ったことなどなかったが、あなたの命令なら聞いてもいいと思える。多分、部下の命を思いやりながら、最小の犠牲で最大の利益を出せる指揮官だからだろうな」
 淡く微笑しながら見上げてくるレイに、拓馬は何と返したらいいかわからず、困惑気味に眉を寄せた。子供が生意気を言うな、とたしなめるべきか、お褒めに預かり光栄だ、と言うべきか迷ったのかもしれない。結局、拓馬は軍人らしくしっかりとした肩をすくめると、手を伸ばしてレイの頭を軽くはたいた。
「子供らしくないことをしれっとして言うんじゃない。ついでに無闇に大人を誉めるな、おれ以外だったらキレるか調子に乗るかのどっちかだぞ? ……まあ、お前になら妙なことを言われても腹は立たないけどな」
 もう慣れちまったんろうなぁ、と眉間に皺を寄せながら、拓馬はポンポンとレイの頭を撫で、その横を通り過ぎた。手首につけられた無線から通信が入り、司令官である拓馬を呼んだからだ。油断なく銃を手にしたまま、それでも堂々と進んでいく拓馬の後姿に、レイはそっと口元を綻ばせた。ここまでくれば、すでに同盟軍側の勝利は揺るがないだろう。
 レイは美しい銀の長剣を一閃させると、慣れた動作で腰の鞘に収めた。自分に集中する畏怖と驚愕に視線に気づいていたが、それを気にすることはない。当然のことだと思うからだ。
 ただ、あの青年が普通ではないだけで。
 血にまみれた大地に立って、すさまじいまでの強さを見せつけていた少年は、ふふ、と柔らかな笑い声を響かせた。
「――……が、あなたでよかったよ。タク」
 艶やかな黒髪を風になぶらせ、レイは本当に小さく、そしてどこか嬉しそうに呟いた。






    



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