神様がいなくても 3


 


 セシルはうっすらと微笑し、彼と拓馬を見比べている少年に視線を向けた。
 毛先が襟足にかかる黒髪に黒い瞳、女性がこぞって羨みそうな白い肌、そして軍服越しでもわかる細い肢体の、驚くほど非凡な容姿をした少年だった。無条件で庇護欲を覚えるほど儚い容貌だが、白皙の肌に病的な印象はなく、体つきはしなやかで、引き締まった筋肉が芸術的なまでのバランスを保っている。戦うことを知らない人間ではないのだろう。華奢なその姿にはわずかな隙もなかった。
 セシルは楽しげに青い瞳を細めた。他人の容姿になど興味はないが、少年の瞳が痛いほど深く、強く、透明な光を湛えていて、その澄み渡った眼差しがひどく心地よかったからだ。不思議な陶酔感をもたらすほどに。
 その瞳から視線を引き剥がし、セシルは渋面で佇んでいる拓馬を軽く見上げた。
「なんだ、言ってなかったのか、タクマ? 戸籍上、私と君はれっきとした兄弟だろう」
「……それは、わざわざレイに言うことではないでしょう。この場で関係のある話題とも思えませんが」
「つれないな、言ったろう? プライベートな空間くらい、他人行儀な態度はやめてくれと」
 膝の上で両手を組み合わせ、セシルは眉を寄せる義弟に薄い微笑を見せた。そのまま視線を横に流し、レイに向かって軽く顎をしゃくってみせる。
「とりあえず、座るといい。いつまでも立ったままでは話しにくいだろう」
「――――ありがたいが、それは僕が決めることではないな」
 ゆっくりと黒い瞳を細め、レイは許可を求めるように拓馬を見上げた。セシルが『将軍家(ゼネラルズ)』の幹部であり、れっきとした軍の上官であることを知りながら、この少年は他でもない拓馬を優先しようとしているらしい。セシルは喉の奥で小さく笑った。困惑したように佇む青年を見やり、ことさら揶揄するようにソファを指し示す。
「だそうだ、タクマ。座ったらどうだ?」
「……失礼いたします」
 セシルの言わんとしていることを悟り、拓馬は苦虫を噛み潰したような表情でソファに腰を下ろした。その隣にレイが音もなく腰かける。さらりと揺れた黒髪を目で追って、セシルは気軽な口調を保ったまま言葉を続けた。
「それでは、改めて自己紹介をするとしようか。私はセシル・ウィンフィールド。階級は同盟軍中将で、戸籍上のタクマの義兄だ。……そして何より、君をこの基地に『配属』させた張本人でもある」
「……貴官が?」
「ああ、これでも私はゼネラルスの一員だ。一人の少年の人事程度、口利きするのは簡単なことだったよ」
 そこでセシルは口を閉ざした。次は君の番だ、という無言の要求を感じ取り、レイは無言で居住まいを正す。
「貴官のご高配(こうはい)に感謝する、セシル・ウィンフィールド中将閣下。『私』はレイだ。どうぞ、そのままレイと呼んでいただきたい。――階級が上である貴官に対して、先ほど名乗らなかったのは無礼だった。許していただければありがたい」
「……無礼か。確かにそうだが、そこまで細かく気にする必要はない。そもそも、上官に対して敬語を使わないだけでも十分無礼だからな。その話し方が君のスタイルか?」
「……ああ」
 レイがふっと目を見張った。今気づいた、と言わんばかりに苦笑を浮かべ、ひどく優雅な仕草で首をかしげる。
「そうだな、確かにこの話し方も無礼の範疇に入るだろう。貴官の気に障ったなら改めるが」
「いや」
 セシルも口角を吊り上げて笑みを作った。おもしろい少年だ、と胸中に呟き、観察するように冷たい青の瞳をすがめる。レイの態度は十五歳の少年のものでも、上官に対面した軍人のものでもなく、一国の支配者が他国の王に見せるそれに近いものだった。交渉の席についた外交官、と言い換えてもいいかもしれない。相手がセシルではなく、表面的な礼儀に固執する官僚的な人間だったなら、レイは拓馬の立場を守るためにためらいなく敬語を使ってみせただろう。この少年は見抜いているのだ。相手が何に対して不快感を抱き、何に対して怒りを見せるかを。
「君の存在は、言うならばわが軍にとってのイレギュラーだ。それに対して軍紀の遵守を強いても仕方あるまい。気にせず、君の好きなような話すといい、レイ」
「そうか。ご厚意に感謝する。中将閣下」
「……レイ」
 そこで初めて、頭痛を堪えるように眉を寄せていた拓馬が口を開いた。げっそりとした表情で溜息をつき、セシルの視線からレイを庇うようにして身を乗り出す。
「申し訳ありません、閣下。レイはまだ十五で、この同盟軍の一員として正式な訓練を受けたわけではないんです。リバティの在駐司令官として、私からもレイの態度をお詫びいたします。……レイ」
 ささやくように声をひそめ、拓馬はダークブラウンの瞳でレイを見返った。
「お前は必要以上にしゃべらなくていい。――――目をつけられたら、後々面倒なことになるからな」
 レイがほんのわずかに目を見張った。透徹していた眼差しが揺らぎ、代わりにひどく申し訳なさそうな、悪戯を咎められた子供のような表情が浮かぶ。
「……すまない、タク」
 つい素の話し方が出てしまった、と小さな声で呟き、レイは向かいに座るセシルに軽く目礼した。セシルは虚をつかれたように眉を上げ、小声で何事かを言い交わした二人を見やる。そこにいたのは絶対的な王者でも、冷徹な判断力を持つ外交官でもなく、身近な大人の注意を受けた幼い子供だった。ゆるく口元に微笑を浮かべ、セシルは胸中に声のない言葉を作る。こんな顔も出来るのか、と。
「聞こえているぞ、タクマ? 目をつけるとはひどい言われようだ。入隊許可の下りる十七にすら達していない子供に、仮にも軍の中将が何をすると?」
「……あなたは」
 拓馬の表情に険が混じり、ダークブラウンの瞳がわずかに細められた。
「あなたは、相手が子供だからといって容赦するような人間ではないでしょう。利用価値があるならとことん利用するし、それによって相手が傷ついても気にも留めない。……そんなあなたが、わざわざレイと話がしたいと言ってきたんです。何かあると勘ぐってしまうのは当然のことだと思いますが?」
「私がレイを利用するためにここに来た、と?」
「それ以外には考えられません。――――失礼を承知で言えば。そもそも、真冬に入って戦闘が沈静化される前に、他でもないあなたがリバティに来た理由を考えつかないほど、おれは愚かでも子供でもないつもりですが」
 すっぱりと言い切ってみせた拓馬に、セシルは笑みを保ったままで組んでいた両手をほどいた。この優しく、明るく、苦労性な義弟は、いつの間にか一人称が『私』から『おれ』に変わっていることにも気づいていないらしい。確かにお前は愚かではないがな、と胸の内に呟き、セシルは上着の懐からフロッピーディスクを引っ張り出した。それを静かな動作でテーブルの上に滑らせる。
「思ったことをすぐ口に出してしまうところは、幼年学校を卒業した時からさして変わっていないな。……そう、お前の言うとおりだ、タクマ」
 フロッピーの表面を指でたたき、セシルはきつく眉をひそめた拓馬と、その隣で沈黙を守っているレイに視線を投げた。ソファの上で悠然と足を組んだまま、口調を変えずに言葉を続けてみせる。
「同盟軍作戦統合本部は寒さが本格化する前に、地球第十三地区の奪取をかけて敵軍基地『レーヴェ』に攻め込むことを決定した」
「……な」
 拓馬が短く息を呑む。その驚きを切り捨てるようにして、セシルは容赦なく軍部の『命令』を口にした。
「無論、今までのように境界線の周囲で小競り合いを繰り返し、それによって支配領域を広げていく、といった方法ではいたずらに時間ばかりが過ぎてしまう。そこで我々は、とある筋から入手した情報をもとに、境界線の防衛基地線(D・B・L)の攻略後に精鋭部隊をレーヴェに潜入させ、短時間で基地としての機能そのものを麻痺させることにした。作戦の概要はのちほど説明するが、D・B・Lの攻略、及びレーヴェへの潜入にはレイの力を借りたい」
 連邦と同盟の境界線沿いに作られ、敵軍の進行を阻む前線基地の連なり。それがディフェンス・ベース・ライン(D・B・L)と呼ばれる防衛基地線だった。両軍が支配領域を広げようと躍起になった結果、無秩序なまでに簡易基地が建設され、いつの間にか連邦と同盟の『国土』を区切る『国境』の役目を果たすようになったのだ。戦闘は主にその周辺で行われるが、半年ほど前に連邦軍基地『S−W』を陥落させたことにより、D・B・L攻略線は同盟軍有利のままでずるずると進んでいた。
 それを一気に終わらせる、と断言したセシルに、拓馬は驚きと不審を込めて眉を寄せた。
「確かに、D・B・L周辺の戦闘はわが軍が有利に進めていますが、それでも戦線は膠着状態を保ったままです。ゼネラルズから支給された新しい武器や、最新式の戦車を投入して一気に片をつけたとしても、そのままの勢いでレーヴェに侵攻するのは無理でしょう。このリバティ同様、レーヴェは連邦軍の恒久的な軍事施設なんですから……」
 そこまで言って、拓馬は何かに気づいたようにダークブラウンの瞳を見張った。よく気づいた、と言わんばかりに目を細め、セシルがフロッピーディスクと黒髪の少年へ視線を向ける。
「とある筋から入手した情報をもとに、と言っただろう。我々はすでに、連邦軍側からレーヴェへと続く通路の存在を聞き出してある。……正確に言えば士官用の脱出路だが。D・B・Lさえ突破できれば、その通路を使って直接レーヴェへ侵攻することが可能だ。連邦側も、まさかこの時期に大規模な攻勢をかけるとは思うまい。勝算は十分ある」
「……その情報の真偽のほどは?」
「信用に値するものだ、確実にな。そして作戦成功を確実なものにするために、我々としてはその少年の力を借りたいと思っている」
 漆黒の瞳がセシルの眼差しを受け止めた。人間の虹彩に純粋な『黒』は存在せず、どれほど混じりけのない色に見えても、湛えられている色彩は濃い『ダークブラウン』に分類されるべきものだ、というのが現代の常識である。だが、この少年の双眸はどこまでも澄明に透きとおる漆黒だった。艶やかな黒髪と同様に。
「私の手を、借りたいと?」
「そうだ、レイ。君の戦闘の様子はすべて見せてもらったが、同盟軍に籍を置くすべての軍人を見ても、君ほどの身体能力を持った人間はまずいない。君の存在は必ずやわが軍に勝利をもたらすだろう。……少なくとも、私はそう確信している」
「――――っ、閣下!」
 声を荒げた拓馬を見やり、セシルは青い瞳に冷たい光を浮かべてみせた。
「それが統合作戦本部、そして我々ゼネラルズの意向だ、タクマ。正式な軍人ではないとはいえ、レイは今現在、このリバティの一員として軍に身を置く存在。それが命令に従うのは当然のことだろう」
 純粋な怒りを露にする拓馬に、セシルはゆっくりと唇の端を歪めて笑った。素直すぎる義弟を哀れむように。曲がらない潔癖さが愛しいというように。
「まあ、私の目から見てもかなり強引な作戦ではある。思わず神に縋りたくなるほど、な。だがこれは命令だ」
「…………」
「神が救ってくれなくても、軍人は上の命令に従って戦い、国のために勝利しなくてはならない。子供だって知っている単純な事実だ、お前だってわかっているはずだろう、タクマ?」
 噛んで含めるような声を受けて、拓馬は不快そうに整った顔をしかめた。セシルの言葉は覆しようのない事実だが、だからといってレイを巻き込み、その命を危険にさらしたくないのだろう。
 拓馬が口を開き、無駄と知りつつもセシルに対して反論しようとした、まさにその時だった。
「――――タク」
 場違いなほど穏やかな声が響き渡り、拓馬とセシルの視線を有無を言わさず引き寄せたのは。
「大丈夫だ、タク」
「……レイ?」
「大丈夫。僕は死なないし、あなたたちも死なせはしない。絶対に」
「……――」
「あなたたちと共に戦うことが許されるなら、僕は全力をもってタクたちを守る。守るために戦う」
 信じがたいほど綺麗に響く声音だった。セシルはふっと目を瞬かせ、聞きようによっては傲慢とも取れる言葉に耳を傾ける。
「だから、大丈夫だ。僕自身も決して死なないから」
 それは、人々を導く王者の言葉に似ていた。そしてセシルの命令に対する受諾の言葉だった。




 誰もが知らないまま、夢の歯車は回り出した。逃れられない終わりに向かって。






    


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